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26 明谷錬(前編)

「ちょう待てや!」


 人気(ひとけ)のない歩道を歩く目つきの悪い高校生──眼竜(がんりゅう)龍治(りゅうじ)を呼び留めた。

 龍治(りゅうじ)は立ち止まり、脇道から出て来たワシに鋭い目を向ける。


「……またかよ、(れん)

「今日こそきちんと答えてもらうで! なんで急に部活辞めたんやっ」


 龍治(りゅうじ)の様子がおかしくなったんは冬休みからやった。

 いきなり部活に来んくなり、気づけば退部しとった。


 二学期が始まってから何度も問い詰めようとした。

 やけど昼休みはいっつもどっか行っとるし、学校が終わったらソッコーで帰るしで、教室が離れとるせいもあってあんまり会うことが出来てへん。


 もう二月に入ったってのに直接話せたんは数える程や。


「はぁ……何度も言ってるだろ。一身上の都合だよ」

「んなので納得できるかいっ。ちゃんと理由(ワケ)()うてくれ、ワシら甲子園目指して二年間頑張って来たやないか……!」


 ワシと龍治(りゅうじ)は一年の頃、同じ(クラス)やった。

 両親のゴタゴタで入学早々引っ越すことになってピリついとったワシにも、こいつは分け隔てなく接してくれた。


 龍治(りゅうじ)の根の真面目さは知っとる。退部にも相応の理由があるんやってことは察しとる。

 せやけど、それでも何か力になれんか聞きたかったから人通りの少ないここで待っとった。やって友達(ダチ)なんやから。


(れん)もよく言ってたろ、時は金なりって。俺に構うより練習に時間を費やした方が得なんじゃないか」

「友情は損得やない言うたんは龍治(りゅうじ)やんけ」

「…………本当、気持ちは嬉しいよ。けどこれは俺が一人で──」

「?」


 いつもみたいに、強引に話を打ち切って逃げる素振りを見せた龍治が、ワシの背後を見て目を見開く。

 どうしたんやと振り返り、遅ればせながら気づいた。一台の乗用車が対向車線にはみ出して爆走しとる。。


 運転手はハンドルに突っ伏したままブレーキをかける様子はあらへん。道路を少し斜めに突っ切るその乗用車の進路上には、歩道に居るワシらが含まれとった。

 このままやと数秒としないうちに撥ねられる。


「ア──」


 アカン。反射的に声を漏らしそうになったその時、体に強い衝撃を受けた。

 車はまだ来てへん。龍治や。

 火事場の馬鹿力っちゅうんか、人間とは思えん腕力で車の進路外まで突き飛ばされた。


 やけど、ワシを逃がしたせいで龍治の逃げる時間はのうなった。

 ワシは届くはずもないのに手を伸ばし、叫ぶ。


「逃げ──」


 言い切ることは出来んかった。

 ワシを庇った親友は真正面から車に激突される。

 車よりも遥かに軽い人体が容易く撥ね上げられ……て、いない。


 ありえへんことに、龍治は両腕で車に組み付き、二本の足でざりざりとアスファルトを削りながら車を止めようとしとった。


「【ワイルドハント】」


 不可解なことはまだ続く。

 大量の空気が一気に解き放たれるような轟音がしたかと思えば、乗用車が下から蹴り上げられたみたく浮かび上がったんや。


 推進力が無く(のう)なったことで龍治は停まり、そして強風みたいな音が四度響く。

 音がする度にタイヤがパンクい、全てのタイヤが取れたところで龍治は車を地面に降ろした。


 龍治が気絶した運転手──他の乗客はおらんかった──を助け、救急車を呼ぶのをワシは見とることしかできへんかった。


「これで分かっただろ。こんな力を持つ俺はもう、お前らと同じグラウンドには立っちゃいけない」


 こっちに戻って来た龍治が、運転手を回復体位で寝かせながら口にする。

 その寂しげな声音に何かを言おうとして、別の声が割って入って来た。


「なぁにやってるにゃん! 一般人にスキルのことを知られるのは禁則事項だって忘れたにゃん!?」

「それくらい覚えてるに決まってるだろ。ペナルティは覚悟の上だ」

「はぁ、呆れたにゃん。もうどうなっても知らないにゃんッ。すぐゲームマスターが裁定を下すから待ってろにゃん!」


 半透明な猫型マスコットはそう言うて消え、間もなく辺りに変化が起こり始めた。

 事故の音を聞いたからやろう、通り沿いの建物からチラホラ現れとった人らが、忽然と姿を消す。建物の中を覗いたらまるで何事もなかったかのようにそこにおった。


 車はまるで数分前の状態をリロードしたかのように復元され路肩に駐車。

 すぐそこで横たわっとったはずの運転手もいつの間にか運転席に移り、シートを倒して眠っとる。

 外傷は治っとるし胸の上下も規則正しい。救急車はもう必要なさそうや。


 これらのことが僅かな時間で同時に起こった。

 まるで映像を差し替えたみたいに急激な変化やった。


「……これがゲームマスターの力か」


 龍治が苦々しげに呟いた。

 その警戒心の滲む声からこの現象は龍治が起こしたんやないと分かる。


「なぁ龍治、大丈夫なんか……? さっきペナルティがどうとか言うとったけど」

「どうだろうな、初めてのことで俺にも分からない。これから教えてくれるんだろう、ニャビ?」

「にゃにゃにゃ、受信したにゃん。心して聞くにゃん」


 ムカつく語尾のホログラムがまた浮かび上がりよった。


「開発中の能力抑制機能を緊急で実装してもらったにゃん。スキルを封じて、身体能力の強化も無くす機能にゃん。龍治はこれをダンジョン外では常に使用するにゃん」

「……つまり?」

「ダンジョン外では一般人と同等の能力に落ちるにゃん。反省しろにゃん」


 それだけ告げてホログラムは消え失せる。

 龍治はその場で二、三回軽くジャンプした。その動きには人外じみた脚力は見られへん。


「あー、なんや、その……ワシには何も分からんけど、一旦学校戻るか?  部活始まっとるで」

「……いいのか? 今更」

「まあ監督なら学校の周りを二十週で許してくれるやろ」

「せめて十周くらいで勘弁してくれねぇかな……」


 ワシらは下校する生徒がポツポツ現れ始めた道路を戻って行く。

 これがワシ、明谷(あけたに)(れん)とダンジョンクエストとのファーストコンタクトやった。




「ほう、プレイヤーを探しに来てみれば面白いものが見られたな。全く、ぼくは事件によく行き当たる」


 鹿撃ち帽を被り、チェック柄のトレンチコートを羽織った、中性的な顔立ちの女性がビルの屋上に佇んでいた。

 先程の光景──<望遠>によって観察していた、遥か先で行使された奇蹟を考察する。


「先刻の事故は突発的なもののはず。にも関わらずこの対応速度、ゲームマスターは常に待機しているのか、たまたま時間が空いていたのか、能力を全自動化しているのか……あるいは能力を分与している可能性もあるか。そもそも単独とも限らないしな」


 しばし思考を巡らせた彼女は、一度首を振りフェンスに足を掛ける。


「やれやれ、これ以上は妄想にしかならないな。まずはあのプレイヤーの素行調査と行こうか、<迷彩>」


 その姿が周囲の色に溶け込む。余程観察眼に優れていなければ、一般人が見破ることは不可能。

 屋上から屋上へと飛び移り、錬と龍治の尾行を始めるのだった。




「ほう、プレイヤーの隠蔽をしに来てみれば面白いものが見られたな」

「何を真似しておるのじゃ主よ」


 ポンコツ探偵を真似して顎に手を当てる僕を、アースが窘める。

 僕らが居るのは空中。元の状態に回帰させるため事故現場を俯瞰していたのだ。


 まあ、神様が来る意味はなかったけど、ちょうど暇してたので一緒に来てもらった。


「にしてもやるね、探偵。あんなちょっとした通話記録から身元を割り出すなんて」

「ドジさえ踏まなんだら優秀なんじゃがのう」


 跳躍距離がちょっと足りず慌てて<空歩>でカバーするのを見ながらアースが言った。


「にしても今回は隠蔽が楽で良かったよ。前にテレビの生放送中にスキル使われた時は本当に大変だったんだから」

「ブータンのあの事件じゃな」


 あの時ほど〔電脳〕の〔司統概念(アリティア)〕に感謝したことはない。


「話は変わるが、能力抑制機能を実装してしまって良かったのかの? 渋っておったじゃろう」

「もういいんだよ」


 ニャビは開発中だと言っていたけど、実は能力抑制機能はとっくに完成していた。

 それを未だ実装していないのは、眼竜(がんりゅう)龍治(りゅうじ)君のような人間はスポーツに専念してダンジョンに入る頻度が減るんじゃないかって懸念があったから。

 戦力は少しでも多い方が良い。


 だけど彼らを見ていて初心を思い出した。

 僕がダンジョンクエストを生み出したのは人類のためであり、それはつまり個々の人々を救うことだ。だったらこんな個人の選択肢を奪うような真似、するべきじゃない。


「それに龍治君のダンジョン探索時間が減っても、それを補ってくれる人が見つかったからね」


 明谷(あけたに)(れん)って言ったっけ。彼に記憶消去を適用しなかったのにはスカウトのため。

 他のプレイヤーのような外れ値レベルじゃないけど、百人に一人くらいの資質はある。


 学校を抜け出した負い目もあって一旦は戻ったものの、部活が終わればまたダンジョンクエストについて追及するはず。

 そこでニャビがスカウトする訳だ。


 眼竜君は責任感が強いからダンジョン探索を人任せにはしないはずだし、そうなれば友人想いの明谷君は必ずやスカウトに乗る。

 そしてそんな明谷君をサポート、及び護衛するため眼竜君はますます精進するだろう。


「クックック。僕も人の心に寄り添えるようになって来たね」

「加賀美がおったらドン引きしておったじゃろうな……」


 アースは一歩下がってそう言ったのだった。



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