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25 兎田颯斗(後編)

「────っ」


 昔、学校の特別授業で聞いたことがある。

 緊急事態でパニックになると、人によっては119番通報すらできなくなることがあると。


 俺はそんなに鈍臭くないと思ったし、現に今もスマホを取り出して救急車を呼ぼうとし……ここがダンジョンの中だということに思い至った。

 目の前には崖から落ちて気絶した女性。背後からは迫り来る濁り紫の竜巻。


「(どうする、どうすればいい!?)」


 何度もダンジョンで戦って場慣れしたと思っていた。

 違った。これまではずっと一人だった。先天スキルのおかげで命の危機と呼べる程のことはなかった。

 知らなかった。他人の生命の重みが、これほど思考を圧迫するなんて。


「(他人を回復させる後天スキルは無い。アイテムも。抱えて逃げる?人ひとり分の重量をこんな未開の山で?モンスターに襲われたらどうする。立ち止まってたらその分竜巻に近づかれる早く結論を。いやそもそも頭を打った人を動かして大丈夫なのか?──)」


 まとまりのない考えが脳裏に浮かんでは消える。

 握り込んでいたスマホの感触を思い出し、反射的に問いかけた。


「そうだニャビッ、この人を俺と一緒にダンジョンから出せたりはしないのか!?」

「無理にゃん。ダンジョンの出入りは本人しか運べないにゃん。彼女のスマホにはロックが掛かってるから外部から操作するのも不可能にゃん」

「クソっ、どうする、もう竜巻(ボス)があんなに近づいて……っ」


 右手で髪を掻きむしる。

 竜巻(ボス)は俺達を捕捉しているらしく、ふらふらと左右へブレながらもこちらへ向かって来ていた。


「にゃにゃ、あれはダンジョンボスじゃないにゃん」

「え?」

「竜巻の不快な【魔力】で分かりにくいけど、あの中からダンジョンボス特有の【魔力】は検知できないにゃん」

「通常モンスターがあんな規模の能力を持ってる訳ないし……だったらアレは他のプレイヤーか!?」


 可能性はある。プレイヤーならランク三……あるいはもっと上になっていたっておかしくない。

 そしてプレイヤーなら話をすることが出来る。


「でも……」


 でも、こんな恐ろしい能力を平気で使う者と話したって意味あるのか?

 そのプレイヤーにだって事情があるのかもしれないが……他人を殺すことを何とも思わない悪人だって可能性の方が高いんじゃないか?


「だけど……っ」


 今から不慣れな手当てをし、彼女を抱えて逃げるのは現実的じゃない。

 だったら道は一つだ。


「俺が……囮になる……」


 俺一人なら緊急脱出機能で逃げられる。

 竜巻に呼び掛けて注意を引き、倒れている彼女から充分に離れてから脱出するのが最善だ。


 【エスケープスコープ】を持つ俺なら竜巻にも比較的安全に行える。

 <魔刃>で近くの藪を刈り取り被せておけばモンスターに見つかる確率も下がるはず。


 ……ただ一つ、足りないものがあるとするなら。あの悍ましい竜巻に近づく、俺の勇気だけが欠けていた。


「逃げないのかな、にゃん?」


 唐突にニャビはそんな問いを発した。

 どこがとは言えないけど、いつもとは調子の異なる……こちらを試すような声色だった。


「君にこの子を助ける義務はない、にゃん。ダンジョン攻略は自己責任、君が逃げても罪には問われないし、ニャビも君を責めたりしないにゃん。あの竜巻の使い手が【エスケープスコープ】を上回る攻撃手段を持ってないとも限らないにゃん。君が無理をする必要はないにゃん」

「っ」


 息を呑む──ずっと頭の片隅にあった考えを看破されたように感じた。

 俺が動く理由。それを探して視線をさまよわせ、足元に横たわるプレイヤーを見て、拳を握りしめて──息を吐き出す。


「そんなの、考えるまでもない」


 彼女を藪で隠し、【エスケープスコープ】が示した竜巻からの逃走ルートに、背を向ける。


「助けられるかもしれないのに逃げるとか、それは駄目だろ」

「そんな義務感でリスクを冒すにゃん?」

「義務感で逃げ道塞がなきゃこんな危ないこと出来ない」


 胸が締め付けられる。

 怖い怖い怖い怖い怖い。後悔の念が止めどなく溢れて来る。

 それでも前だけを見据えて山を駆ける。


 あれだけの規模の能力を遠隔で行使できるとは思えない……思いたくない。

 だったら発動者は竜巻のすぐ近く、あるいはその中に居るはずと推測した。というか、そうでなければ探しようがない。


 すぐそこに迫る淀んだ紫色の竜巻。知らず鳥肌の立つ不気味な【魔力】をより強く感じる。

 幸いにして風音はあまり聞こえない。発動者に届くよう、精一杯に声を張り上げた。


「俺は人間だ! 止まってくれないか!?」


 恐らく無駄だが静止を乞う。

 主目的は注意を引くこと。すぐに逃げ出せる体勢で叫んだその結果、


 ──フゥッ


 紫の竜巻が突如として晴れた。

 竜巻の中心だった場所に佇んでいた、(くま)のある長身瘦躯の少年が呆然と呟く。


「ほ……他の人間もダンジョンに居たんですか」

「え……?」




「申し訳ないです! 本ッ当に!」

「だから言おうとしたにゃん! これは合同攻略イベントで他のプレイヤーも居るって! ニャビの話を遮るからこうなるにゃん! 反省しろにゃん!」

「はい……本当に、今回ばかりは猛省です」


 ニャビ──俺のではなく彼のスマホのニャビだ──に叱られながら僕に頭を下げる男は桜口(さくらくち)と名乗った。

 俺より一個上の受験生で、受験勉強のストレスを発散するためにダンジョンに入ってるのだとか。


 初めはもっと慎重に能力を使っていたらしいけど、ずっと他のプレイヤーには出会わなかったし、ランク二になって竜巻を纏えるようになってからはずっと手荒な攻略をしていたという。

 今日は二徹していたのもあって、イベント内容もボスがランク三てことしか知らずに勢いで参加したそうだ。


 ……俺と同時期に初めたのにランク二になるくらいやり込んでいては勉強が疎かになっているんじゃないか、とか。

 睡眠はきちんと取った方が勉強の能率もいいんじゃないか、とか。

 色々思ったけど取りあえず触れないでおいた。受験生には受験生にならないと見えない景色があるのだろう。


「顔を上げてください桜口先輩。誰だって追い込まれればおかしなことの一つや二つしますよ。今回は誰も死なずに済んだんですし次から気を付ければいいですって」


 取りあえずそう言ってフォローする。

 とんでもないことを仕出かしかけてたけど、ニャビによれば他のプレイヤーに被害はないそうだ。

 それなら俺からこれ以上言うことはない。


「う、ん……あれ? ぼくは一体……」

「やっと起きたかにゃん、智聡(ちさと)。君は転んで木に頭をぶつけて気絶してたにゃん。助けてくれたそっちの少年に感謝するにゃん」

「そうか、君が助けてくれたのか。すまなかったね、礼を言うよ」

「い、いえ、こんなの当然のことをしただけで……それより、怪我とかは……」

「ああ、ぼくは<自動治癒>を取っているから不調はないかな。もっとも、頭を打ったから後で病院には行くけどね」


 気絶していた女性も目を覚まして一安心だ。

 これからどうするか話し合おう、というところでニャビ達の声がユニゾンした。


「「「にゃにゃ! ダンジョンボスが倒されたらしいにゃん!」」」


 どうやら俺達以外のプレイヤーがボスと戦っていたらしい。

 これで終わりだと思うと、どっと力が抜けて来た。


「なんか、一人相撲だったな……」

「ほう、それはどういう意味だい?」

「ああ、いえ、特に深い意図はなくて……なんて言うか、ランク三のボスとか正体不明の竜巻とか、結構気合入れて来た割にあっさり解決して力が抜けるっていうか……」

「はは、成程、あるあるだね。難事件だと思ったら些細な誤解だったり記憶違いだったり。得てして物事は思い描いた通りには行かないものさ」


 けどね、と女性は続ける。


「大切なのは結末よりもその物事にどう向き合ったかだよ。力が抜けたと感じるのは、それだけ力と勇気を振り絞った証さ。君が逃げずに一歩を踏み出したことで救われた身としては再三になるが感謝を伝えたいね」

「逃げずに、一歩踏み出す……」


 なんだか、彼女の一言が心の奥底にカチリと嵌ったような気がした。


「そちらの方の言う通りです。俺も危うく【カーソルカース】で人を殺めてしまうところでした。兎田さんが呪素を恐れず声を掛けてくれたから止まることが出来たんです」

「いやいやそんな、大したことは……」


 なんだかむず痒くなって話を変える。

 ダンジョンが攻略されたということはもうじきここにも居られなくなるのだし。


「それよりフレンド登録しませんか? このアプリ、色々胡散臭いですし」

「賛成だ。一般人への情報開示が禁止されている以上、プレイヤーの協力者は不可欠だろうからね」


 そうしてフレンド登録と連絡先の交換をし合い、イベントは終了した。

 ランク三との戦闘経験は詰めなかったが、俺はこのイベントは戦闘経験以上のものを積めた気がした。




「おい兎田、隣のクラスの奴が見てたぞ、お前がセンコーにチクるところ」


 三学期。受験直前で学校中の空気がピリピリとしている中、俺はトイレで数人の同級生に絡まれていた。

 なあなあにされないよう職員室で話したけど、こいつらの知り合いの生徒も居たらしい。


「そうだったのか。それで俺に何の用だ?」

「は? 何だよその反応。もっと謝るとかねーのかよ」

「何を謝るんだよ……呼び出し食らったのはそっちに問題があったからだろ」

「オレらが悪いってのかッ? あいつが浮いてるから折角構ってやってたのに」

「そーそれな、なのにイジめてるってチクるとかマジありえねーわ。お前そんなサムい奴だったのかよ」


 悪態をつく同級生達にこっちの方こそ溜息をつきたくなった。


「本心からそう思うなら先生にそう言えばいいだろ。こんなとこでコソコソ集まってんのは後ろめたいからじゃないのか?」

「あ゛ァ!?」

「オレらのこと舐めてんのかッ?」


 ドスの利いた声を出しながら距離を詰めて来る。

 だがそこ止まりだ。こいつらには本当に暴力を振るうような度胸はない。


 反撃されるのが怖いから、警察沙汰になったら嫌だから。だから(おど)かすくらいしか出来ない。

 (おど)かすのだって万が一トレイの外に響かないよう声量を抑えている。

 思い返せば教室でも、パシらせてはいてもカツアゲなんかはしてなかったな。


 そんな中途半端な彼らに凄まれようと恐怖心は微塵も湧かなかった。

 連日、ダンジョンでモンスターの咆哮や敵愾心を浴びているのだから当然なのだが。


「そろそろ予鈴鳴るぞ。お前らも不満があるなら下らないことに逃げてないで真面目に向き合えよ」


 そう言ってずいと前に踏み出すと同級生達は一歩下がった。

 彼らの間を歩き、トイレを出る。視線を感じるが振り返ることはしない。


 トイレのドアが閉まっても、暴力を振るわれることはなかった。

 とどのつまり、現代社会において力は然程重要じゃないのだ。


 先人達の取り組みのおかげで暴力の時代は過ぎた。

 大抵の問題に対処するため必要なのはきっと、一歩を踏み出す勇気だ。




「うん、及第点かな」


 スマホを介して視た兎田君の様子からそう評価を下す。

 彼はどちらかというと『危うい』寄りのプレイヤーだった。〔原始式〕で導出した暴走確率は二十パーセントを上回っていた。


 けれど暴力に頼らず問題を解決できた今ならば、その可能性は極めて低下している。

 余程のことが無い限り大丈夫だろう。


「まあ、一プレイヤーのことはどうでもいいんだ。それより考えるべきはこっちだね」


 五月、ゴールデンウィークに到達予定のランク五ダンジョン。

 その落下予測地点が確定した。日本だ。


 原則として、ダンジョンクエストで侵入できるダンジョンは、今居る落下予定のダンジョンのみ。

 このランク五ダンジョンには日本のプレイヤーで対処することになる。


「そのためにもプレイヤーにもっと刺激を与えないとね」


 合同攻略イベントに前後して、新規プレイヤーは徐々に増やしていた。

 フレンド機能も実装され、プレイヤー同士の交流もこれから活発になるだろう。


 個人での探索が主だったところへ、集団での探索という選択肢が加わる。探索や鍛錬のノウハウの共有もなされ戦力増大も一層進む。

 これによりプレイヤーがどのくらい強くなれるかがランク五ダンジョン攻略の鍵だ。


 ダンジョンクエストはまだまだ加速して行く。



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