22 リリース開始
「んー、順調順調」
ついにサービスを開始した『ダンジョンクエスト(リアルダンジョン攻略版)』。
その滑り出しは恙ないものだった。
神社の二階──勝手に改装した──の仕事部屋で十六画面の大型ディスプレイを眺めながらほっと胸を撫で降ろす。
トラブルが起きないよう細心の注意を払ってプログラムしてもそうは行かないのが世の常だからね。
問題が発生しないかの監視、兼、発生時の対処のためにモニタールームに詰めてるんだけど……これなら杞憂に終わりそうだ。
「ま、目的はそれだけじゃないから杞憂で別にいいけど」
今から数時間前に、対象者のスマホへ全世界同時配信された『ダンジョンクエスト(リアルダンジョン攻略版)』。
言葉を選ばずに言っちゃうと、このアプリはスパイウェアだ。
スマホを通して持ち主が一人になったのを検知すると、ニャビが話しかけて強制的にチュートリアルダンジョンへと引き込む。
チュートリアルダンジョンとは攻略したダンジョンを僕らに都合よく制御したものだね。
数百個は用意したので、第一陣の全プレイヤーが同時アクセスしても問題はない。
見ているとプレイヤー達は四苦八苦したりあっさりクリアしたりと様々だけど、今は日本人プレイヤーの兎田颯斗君を観察していた。
「不体裁な戦いじゃの」
「あ、神様。配信終わったんだ?」
「うむ。儂も同席するぞ」
アースがちょこんと隣に座る。
まあ、僕もアースもわざわざモニターを見るまでもなく、流れて来た映像データを直接理解できるんだけど……その辺は気分だね。
せっかくモニターを設置したので使ってみたいという気持ちもある。
さて、そのモニターに映っている兎田君だけど、神様の言う通りお世辞にも華麗とは言えない戦いぶりを見せていた。
彼の【エスケープスコープ】は安全に逃走するルートが分かるスキル。
それはイコールで、安全な避け方が分かるってことだ。
現在の戦闘を例にとってみようか。兎田君が対峙しているのは猪を一回り小さくしたようなモンスターだけど、こいつの攻撃手段は高速の突進である。
速度はある反面、方向転換は苦手なので左右に逃げれば簡単に避けられる。
【エスケープスコープ】が示すのはそういう情報だ。
全く初見の攻撃であっても……何なら来ることすら分かっていない不意打ちであっても、最適な逃走ルートや動き出すべきタイミングを教えてくれる。
理論上は確実な回避とそこからの反撃で一方的に相手を倒せる無敵の異能。
兎田君もそう考えたからチュートリアルに乗り気になった面もある。
もっとも、現実はそう上手くは行かないんだけど。
『ひぃっ、はぁっ、はあっ!』
兎田君は現在、追いかけて来る猪モンスターから逃げ惑っていた。
【エスケープスコープ】の示す逃げ道を辿り、猪モンスターが突進する度に進路を九十度曲げながら走り続ける。
突然目覚めた異能力や怪物退治といった非日常に高揚していたのも今は昔。
剥き出しの害意と暴力の気配は、平和に生きて来た高校生への冷や水としてはあまりに冷た過ぎた。
萎縮し切った兎田君の頭の中はまっさらになり、スキルの示す逃げ道を進むので精一杯だ。
「おい、本当に此奴は戦えるのか?」
「さあ……それを見極めるためのチュートリアルでもあるしね。数字の上では精神的にも問題ないはずだけど、人間の脆さは僕もよく知ってる。無理そうなら記憶を消して日常に戻ってもらうだけさ」
「ならば記憶処理の用意をしておいた方がよいかもしれぬの。転びおったぞ」
何度も急カーブをする内に疲労が溜まったのか。
兎田君は足を縺れさせ勢いよく地面を転がった。
彼は慌てて背後を見、時を同じくして猪モンスターは突進を開始する。
急発進と急停止を繰り返して猪も疲弊しているけど、それでもこの距離なら兎田君が立ち上がる前に彼を撥ねられる。
「──でも多分大丈夫、彼は転んだままじゃ終わらないタイプのはずだから」
プレイヤーに選出された人間の精神傾向は、大きく分けて二種類。
初めから暴力を何とも思わないタイプと、窮地に陥れば心の枷を引き千切れるタイプ。
兎田颯斗という少年は後者だ。
判断は一瞬だった。
ぎりり、と強く奥歯を食い縛り、
『シぃっ!』
手足の力を利用して四つん這いのまま横へ跳んだ。
移動距離は一メートル程度。だけど真っすぐにしか走れない猪の攻撃範囲からはそれだけで脱せた。
これまで以上に忠実に【エスケープスコープ】をなぞった回避。
だけど彼の行動はそれだけじゃ終わらない。
先程まで自分が倒れ込んでいた場所を猪モンスターが通過するその瞬間、【魔力】を集めて後天スキルを発動する。
『──<魔刃>っ!』
【魔力】で形成された刃が兎田君の右腕の動きに沿って振るわれる。
斬撃は突進して来たモンスターに直撃し、刃を深く沈み込ませた。
獣皮も骨も物ともしない<魔刃>が頭部を切断し、鮮血が宙を舞う。
力を失った猪の体が転倒し、地面を削りながら止まる。
暫しして死体にスノーノイズが走り出し、ノイズが最高潮に達したところで細かなポリゴンとなって消散した。辺りにぶち撒けられていた血も同様である。
「ね。だから大丈夫って言ったでしょ」
「主も半信半疑と言う調子だったではないか……」
手応えを確かめるように右手を握りしめる兎田君。
さっきの戦いで一皮剥け、戦闘の恐怖は克服できたらしい。
彼と同じように、これまでにチュートリアルを受けた人達は大体が戦いに順応できていた。
「これなら第二陣、第三陣も問題なく呼び込めそうだね」
期待通りの結果にうんうんと一人頷く。
「低ランクのダンジョンはすぐにでも任せられるようになりそうだね」
「もうじきダンジョンの数が急激に増えるからの。これで主の負担も和らぐじゃろう」
「好きでやってることだから負担って感じはしないけど、いつまでも僕個人の力で守るのは不健全だからね。まずはこのプレイヤー達に直接戦闘は委託することにするよ」
ディスプレイの向こう側の彼らに話しかけるように僕は言ったのだった。




