2 継承
バイトからの帰り道。
明日の講義は午後からだから今夜はゆっくりできるな……と、呑気なことを考えながら暗い路地を歩く僕は、軽い眩暈に襲われた。
不意にブラックアウトする視界と、体が一瞬宙に浮くような感覚。
そして気付いた時には瓦礫に囲まれていた。
「…………は???」
反射的に後ろを振り返る。けどそこにあったのはさっきまでの路地じゃない。
異国情緒あふれる街並み、の無惨な残骸が広がっていた。
かつては整備されていたのだろう石畳は荒れ果て、街を囲む壁は半分以上が倒壊し、遠くに見える城にも大穴が開いてしまっている。
空はのっぺりとした灰色で、曇り空のような陰影はない。
「え?」
再び声が漏れた。
何が起きているのか、まるで理解が追いつかなかった。
けれど状況は立ち尽くすことを許してはくれない。
……ン、ズン、ズンッ。
「(足音……!?)」
重く低い音がする。崩れた家屋の向こうからだ。
この音が生物の足音であるのならば、そいつはかなりの巨体だろう。
──距離は十二。体高は三百四十一。重量は二百九十三。脅威度は七十五。
逃げなければ!
何故かそう確信した僕は、恐怖に突き動かされるようにして走り出した。
足音を吸収するゴム製のソールに感謝しつつ、向かったのは近くの曲がり角。
そこを曲がれば取りあえず敵の視界に入ることはなくなる。
でもそこで立ち止まったりはしない。あんな得体の知れない気配からは出来るだけ距離を取りたい。
──距離は五十。七十五。百。
百メートルくらい離れたのを機に速度を緩めた。
乱れた呼吸を歩いて整えながら周囲を見回す。
「(何なんだここ……!?)」
何度も確認しているけどスマホのアンテナは圏外。当然GPSも機能しない。
歩き慣れた住宅街から何故こんな場所へ着いたのか、皆目見当が付かない。
それに異変は周囲だけでなく僕自身にも起きている。
先程から何だか頭が冴えている……というより、
「(数値が分かる?)」
そんな感覚だった。
言うまでもなく普段の僕は足音から発生源の重さを見抜いたり、移動距離を正確に測ったりなんて芸当は出来ない。
『脅威度』なんていう漠然過ぎる単位を数値化したこともない。。
「(不気味だ……けど、今はありがたいね)」
建物と建物の隙間、入り組んだ道を縫うようにして進んでいた。
見通しの悪い道のりだけど、数値を把握できるおかげで危険は回避できていた。
この謎の能力は、数値の探索もできるのだ。
意識を集中させれば大体百メートル以内の数値が分かるため、これで『脅威度』の高い存在を避けている。
この数値の正確さは分からないけれど今のところ間違いは起こってないし、取りあえずは信用しても良さそうだ。
「(まあそれはそれで問題だけど)」
僕は『脅威度』と同時にもう一つ、『体高』の探知も行っていた。
なのに引っかかるのは『脅威度』の高い存在ばかり。『体高』もおよそ人間のそれからはかけ離れている。
街なら人が居て然るべきなのに、これまで人間らしき数値は一度も拾えていないのだ。
「誰か居ませんかぁ」
不安を紛らわすため小声で呼び掛ける。当然返事はない。
そもそも他の人間を見つけられたとして、どうにかなるとも思えないけど。明らかに人智を越えた事態だしね。
それでも他にアテもないので、街の中心に建つ大きなお城へと近づいていく。
尖塔じみた屋根が複数生えた西洋建築、けれど尖塔の半数ほどは途中で折れ、壁にもそこかしこに穴が開いている。
あまり無事とは言えない様相だけど、この街で一番目立つこの建物なら人間が居る可能性は最も高い……はず。
これで誰も見つからなかったらいよいよアテが無くなるので誰か一人くらいは見つかって欲しいところだ。
「(この辺りが一番安全かな)」
お城を囲う城壁も所々崩れており、そのうちの一つを侵入経路に選ぶ。
城壁前は遮蔽物がなく見つかりやすいので全力疾走だ。
どうにか見つからず城の敷地内に入り、物陰を伝って一気に城内へ。城内にも敵は存在しているので気は抜けない。
薄暗く瓦礫の散乱する廊下を慎重に進みつつ人間を探した。
一定以上の『耐久度』で検索して壁の位置を把握すれば、簡易地図の出来上がりだ。
敵を避けながらしばらく徘徊し、そこで気になる反応を見つけた。
「(『耐久度』が測定不能!?)」
明らかに尋常じゃない。これまでも金属製の物体をいくつか解析して来たけど、こんな数値は存在しなかった。
何か、異質な気配を感じる。
近寄るべきか、避けるべきか。少し悩んで結論を出す。
「(……行ってみよう)」
人間も見つからないことだし、打開策を求めて見に行くことにした。
何よりの決め手は『脅威度』がゼロだったこと。最悪でも徒労に終わるだけで済む。
ある程度近付いたところで、異常に気付いた。
謎のナニカがある中庭の付近には、敵が寄り付かないのだ。
それを不思議に思いながらも、辿り着いた中庭に踏み入る。そこは、これまでの場所と同じくすっかり荒廃していた。
草花は枯れ果て、雑草が道にまで侵食している。
何より目立つのは中央にある大穴。クレーターのようなその穴の中に、目的の物体はあった。
「……っ」
息を呑む。目が離せなかった、その欠片が放つ存在感から。
そう、欠片。僕が見つけた金色の金属塊は、強大無比なるナニカの一部の末端の片鱗に過ぎない。
本能の部分でそう理解できた。
ちろちろと金属塊の先端で燻る熾火に吸い寄せられるように、クレーターに足を踏み入れる。
『人類か、これは重畳』
「なっ!?」
その声は、耳と言うより脳の内側に響くようだった。
音は聞こえないはずなのに不思議と意味が理解できる。そのことに驚く間もなく声の主は続けた。
『最早言の葉を交わす猶予もない。成すべきことは力が教えてくれよう。後は託したぞ』
一方的に言い切ると、熾火がまるで爆発するかのように燃え広がった。
退避する暇などなく、僕は全身を炎に巻かれる。
「づっ、あ゛っ、あ゛ああああぁぁぁっ!?」
熱い。熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いっ!!
皮が肉が骨が臓腑が、細胞という細胞が焼け焦げる!
何が『脅威度ゼロ』だふざけんな! そう叫びたくても口を衝くのは悲鳴ばかり。
その場で倒れのたうち回るも鎮火の兆しはなく、体中を掻きむしる。
何故こんな目に!? と、どこへともなく疑問を投げる。
〔魂〕を強制的に〔神〕の域まで引き上げる反動だ。と、頭の片隅で理解できた。
どうして分かるのか、という疑問に〔神〕に刻まれる基礎知識だ、と答えが浮かぶ。
〔神〕とは何か。〔魂〕とは何か。〔虚空〕とは。〔眷属〕とは。〔星界〕とは。〔司統概念〕とは。
疑問と理解が噴出する。
視界が回転し、頭が割れるように痛み、嘔吐感に苛まれ、自分が立っているのか倒れているのかも分からなくなる。
「そうっ、か……っ!」
そんな沈没間際の難破船みたいな状態で、目の前の金属塊の正体を悟る。
これは地球の〔神〕の成れの果てだ。
この星を脅かす何かしらの脅威と闘い、その末にこのような姿になってしまったのだ。
本体の千分の一にも満たない欠片となりながらも必死に意識を繋ぎ止め、異形の化け物の接近を拒み、地球の生物が訪れるのを待っていた。
そんなコンディションで、他者を〔神〕にするなんて世界の原則に反する真似をすれば、結末は必定。
金属塊は端から塵と化して行き、〔魂〕の輝きも急速に翳る。
己が使命を果たした先代の〔神〕はそうして消え──、
「──させない……ッ!」
崩れ行く金属塊を、いつの間にかホログラムと化していた右腕で掴んでいた。
朦朧とする意識の中、走馬灯のように過去の記憶が脳裏を掠める。
──『大丈夫よ! 母さん達が付いてるからね!』
──『ハァッ、ハァッ、少し待ってろ! すぐに父さん達が──』
〔神〕の挺身が、あるいは視界を埋め尽くす火炎が、いつかの光景と重なった。
心の片隅でいつも燻っていた後悔が、今度こそはと救う手立てを探させる。
「何かないかっ、何か……ッ!」
激痛と眩暈の中で自身に芽生えた力と向き合う。
三つの〔司統概念〕と、〔神〕としての基礎能力。
けれどそのどれも〔神〕の〔魂〕に干渉することはできない。
霞み行く意識を必死に繋ぎ止めて探し続け……そして遂に、一つの答えを見つける。
「〔眷属〕契約……!」
そこが限界だった。
最後の力を振り絞ると同時、僕の意識は途切れたのだった。