閑話 αテスト
紙とインクの匂いに満ちた廊下を進む。
数歩ごとに段差があって指三本分ずつ目線が下がる。
右を向けば湾曲した壁を埋め尽くさんばかりに本棚が並んでいる。
左も同様、曲がった壁と本棚の群れ。
ここは異世界にかつて存在し、今は世界の破片となった巨大図書館。深く深く、螺旋状に伸びるこの図書館には、古の魔法によって自動的に本が補充される。
そしてその本の一部には、〔魂〕の宿ったものも混じる。
「パタタタタッ」
本棚から飛び出した本のページがひとりでに捲られ、牙が剥き出しになる。
ハードカバーの本とトラバサミを組み合わせたようなこのモンスターは、ブックミミックとでも名付けようかな。
斜め後方から一直線に飛んで来たブックミミックは鮫のような牙で僕に噛み付こうとし、
「<魔盾>」
【魔力】の盾に遮られる。
僕は振り向きざまに腕を振るった。
「<魔刃>」
その手には直前まで存在しなかったはずの【魔力】の剣が。
体を上下に分かたれたブックミミックは少しして魔石に変わった。
「うん、切れ味も上々だね」
役割を終えた【魔力】の剣は幻覚であったかのように消失。
床に転がった魔石を<収納>で回収しながら螺旋状の廊下を一人進む。
そう、今回のダンジョンには加賀美さんは同行していない。なぜなら今は夜だから。
第二階梯じゃさすがに不眠不休の活動は難しい。
もちろん〔司統概念〕を使えば解決できるけど、馬車馬の如く働かせるのは気が引けたんだよね。
加えて僕にもこういう時間を利用してやらなきゃいけないことがある。
その一つがこのスキルの試用だ。
「今度は二体か」
通路の向こうから現れたのは、犬っぽい形状のモンスター。けれどその体は折り畳まれた紙で出来ていた。
さながら折り紙で作った大型犬だ。
折り紙ドッグ達は薄っぺらい体を駆けさせて僕に接近して来る。
「<魔弾>、並列」
でも僕へ攻撃を届かせる前に、同時に放たれた【魔力】の弾丸達が二体ともを撃ち抜いた。
紙の体はバラバラに散らばって、それらもすぐに魔石になる。
スキル。
僕がそう呼んでいるのは全人類に与える予定の〔祝福〕のことだ。
〔摂理〕に『スキルデータベース』を埋め込み、そこに記述されている〔祝福〕を各人が好きにダウンロードできるようにする。
スキルの設計は本体の演算能力で大方済ませたので、端末の方で実地試験をしているってわけだね。
公平を期すためにわざわざ〔神力〕を希釈して【魔力】にするくらいの徹底ぶりだ。
「やっぱりこの三スキルは性能いいね」
さっきまでの戦闘を振り返って独りごちる。
この破片に現れるモンスターはボスを除いて第三階梯。
そして僕が使ったスキルも第三階梯相当の出力に抑えていた。
にも拘わらずワンパン出来たんだからその強力さも分かろうと言うもの。
<魔刃>は取り分け威力が高い。
【魔力】に強度と破壊力を与えて刃状にするだけだから軽いし、維持に必要な【魔力】も少ない。
【魔力】の刃だから刃筋を立てなくても雑に斬れるし、素人が持った時の切れ味はどんな名刀よりも上だ。
<魔弾>は若干コストが嵩むけど、一定距離までなら威力の減衰がない。
照準も直感的に行いやすくしてるし、慣れれば二、三発は誰でも同時撃ち可能。
安全性を取るなら<魔刃>よりもこっちだね。
<魔盾>は前二つとは毛色が違うけど、少ない【魔力】で十二分に強力な防壁を張れる優秀な防御スキルだ。
<魔弾>なら数発。<魔刃>でも一発ならほぼ確実に耐えられる。
サイズや形状にも融通が利き前後左右どこにでも発生させられるのだ。
これら三つは土台と呼ぶべきスキルだ。
効果の高さも然ることながら〔魂〕の容量も大して食わない。
「とはいえ圧倒できたのは身体強化のおかげもあるけど」
新たに現れた敵──生ける魔導書の発射した氷魔術を跳躍して躱す。
魔導書は自身のページを一つ捲り、素早く次の魔術を放つ。今度は細かい氷の礫を多数放つ範囲攻撃だ。
「<魔じゅ……いや、<魔刃>」
思い付きに従い、盾ではなく剣を生成。
魔力剣の腹を使い、僕に当たる軌道の氷礫を全て弾いた。
「おお、案外動けるもんだね」
今の僕は、身体強化の〔祝福〕を持つ第三階梯の人間と同じ身体能力をしている。
演算能力や情報処理速度にも制限を掛けた。
それでもこんな芸当が出来るのはやっぱり身体強化が高性能だからだ。
「<煙幕>、<隠密>」
【魔力】で煙幕を張るスキルと、足音や【魔力】といった気配を抑え込むスキル。
敵の動向は【魔力】感知で把握しつつ、僕は<魔刃>を消して近づく。
煙幕の端の方から飛び出し、生ける魔導書が迎撃するより早く肉迫、斬撃。魔石に変える。
「<収納>、と」
【魔力】を体内に循環させると、〔魂〕の力が引き出され身体能力が拡張される。
モンスターが階梯に合わせてフィジカルが増すのはそういう仕組みだ。
僕の作った身体強化の〔祝福〕は、【魔力】循環をムラなくムダなく常時自動的に行なってくれるという優れもの。
けどそれだけじゃなく、各種能力値を増幅させる〔原始式〕由来の効果も付属している。
だから同階梯のモンスターにも優位を取りやすい。
大型肉食獣モンスターとか相手だとその限りでもないけどね。
「やっぱり強化系もスキルに組み込むべきか……いやぁ、でも効率悪いしなぁ……」
〔魂〕本来の性能から乖離する程に、強化の効率は悪化する。
<腕力強化>とか<脚力強化>とかは要らないかな、ってのが今の見解だ。
それに、選択肢は多すぎると枷になる。
異世界の魔術を片っ端から模倣しないのも同じ理由だね。有用で効果的なスキルに絞った方がアベレージの底上げに繋がるはず。
少なくとも、人類全体がダンジョンを認知し適応するまでは。
「さて、ここからはボス部屋だね」
異世界語で『禁書の間』と題された大部屋の、両開きの扉を蹴破る。
部屋の中央には一台の大きな本棚。加賀美さんに匹敵する量の【魔力】が溢れ、本棚から夥しい数の本が飛び出す。
「「「ブクククク!」」」
「はは、大盤振る舞いだね」
飛び出した本達はブックミミックだったり、折り紙アニマルだったり、生ける魔導書だったりする。
この無数の通常モンスターの中にコアモンスターが混ざっている……って訳じゃなさそうだ。
眼の性能も人並みに抑えてるから断言はできないけど、僕の【魔力】感知に狂いがなければコアモンスターはあの本棚。
配下が多いタイプのボスキャラらしかった。
「スキルのテストにはうってつけだね。<魔弾・爆>」
【魔力】の弾丸が先頭のブックミミックに当たると同時、周囲を巻き込む爆発を起こす。
一気に数体片付けられた。
「どんどん行こう。<魔刃>、<縮地>、<拡斬>」
対象との距離を縮めるスキルで一気に踏み込み、【魔力】の刃を振り回す。
<拡斬>は斬撃を拡張するスキル。太刀筋の延長線上にいたモンスターがまとめて切り裂かれた。
「<煙幕>、<隠密>、<空歩>」
すかさず煙幕を張り、袋叩きにされるのを回避。
空中を踏む<空歩>で宙へ逃げつつ、群れの右端へ移動し狩りを再開した。
「<広域視野>、<測量>、<魔弾・貫>、<曲射>、<魔盾>、<余衝>、<伸突>、<縮地>、<縛鎖>、<空歩>、──」
そこからは大立ち回りだ。
迫り来るモンスターの群れを次々捌きながら、開発中のスキル達を片っ端から試していく。
【魔力】が脈動する度に敵の気配が消え、魔石が地に転がる。
やがて群れが最初の半数を割った頃合い。不動を保っていたコアモンスターが、遂に動いた。
「…………!」
「へぇ、そういう魔術か」
声にならない声を上げ本棚が放ったのは、車一台くらいなら覆い隠せそうな量の紙吹雪。
ひらひらと不規則な軌道を描きながら紙吹雪は僕へと殺到する。その一辺数センチの紙片一つ一つがペーパーナイフくらいの切れ味を秘めているはず。
「<魔盾>、<魔盾>」
二つの盾で身を守るけど全身を覆うには心許ない。
盾を迂回した紙吹雪達に、通常モンスター諸共飲み込まれる。
「…………?」
紙吹雪が消失した後、そこに僕の姿はなかった。
異世界でも人間の死体は人間のまま残る。ドロップアイテムに変わるのはモンスターだけ。
死体が無いと言うのは不可思議なことだ。
「<迷彩>、<隠密>、それから<重打>!」
「…………っ!?」
なので次の手を打たれる前にサクッと奇襲をかましてやる。
<重打>の乗った蹴りに本棚が軋む。
紙吹雪を受けながら近づいた方法は簡単。周囲の景色に溶け込む<迷彩>で床に擬態し、カサカサと床を這って接近したのだ。
<迷彩>は透明になれる訳じゃないけど、<隠密>と併用すれば割と気付かれ辛い。
まあそれだけだと普通に紙吹雪に切り裂かれちゃうんだけど。
「…………!」
「不思議かな? 僕が無傷なことが。これは<護身結界>ってスキルだよッ、と」
<魔刃>を振るいながら声を出す。
<護身結界>はバリアのスキルだ。発動時に【魔力】を結構使うし強度も<魔盾>以下だけど、全身を覆うので全方位からの攻撃を防げる。
紙吹雪が威力控えめだったおかげで何とか無傷でやり過ごせたってのが事の真相だ。
「じゃあそういうことだから、<拡斬>!」
最後に巨大な<魔刃>で本棚を逆袈裟に斬り、トドメを刺した。
コアモンスターが魔石に変わりダンジョンが崩壊を始める。
「〔電脳〕プラス〔原始式〕──ワールドデジタライズ」
このまま消すんじゃもったいないので、いつものようにダンジョンそのものをデータ化して格納した。
書物は僕にはあんまり意味ないけど、利用価値はいくらでもあるからね。
「さあ夜は長い、次のダンジョンで続きと行こう」
スキルのテストはまだまだ続くのだった。




