第9話 鬼に襲われたアヤコを助けたのは小学教師の龍泉寺拓臣
眼を開けるとアヤコは真っ暗な空間にひとりぽつんと立っていた。全身が冷気で覆われたようで寒い。思わず身震いする。どこからか、聞いたことのある楽器が左右から一斉に鳴り響いた。
ドォン、ドドドドォーン、ヒューピュルルウルルウー、チィーン、クキュゥーキューン、チィーン……
太鼓? それに笛と鈴と……この音色、どこかで聞いた。鳥越神社の神楽の音?
ここは、どこだろう。広い通り、人がいない。通りの砂利道に牛車が引かれている。平安貴族の行列……あれは、あの時牛車に乗っていたのは、藤原家の幼い姫たち、紫翠雲姫と蒼翠雲姫、母上の祢々桐様は悪鬼に襲われたんだっけ……幼くして母上を失くした可愛そうな姫君。あの悪鬼は陰陽師の芦屋の手に掛かって退治されたと噂されてた。でも、あれは刹那御魂斬りを得意とした一族の手にかかったものを芦屋が……えぇっ? なに、これって、一体何んの話。私、こんな話知らないのに。なんで昨日のことのように覚えてるの。
ポタッ、ポタッ、ポトッ。
アヤコが音のする下を見ると、血が滴り落ちていた。アヤコは指の先を伝わって落ちている血の先を眼で追う。血は振袖の着物の左肩から斬り割かれ、左腕には斬られた傷口が開き、とめどもなく流れ落ちているのだった。
「いゃぁー」
咄嗟に右手で左腕を押さえると、傷口は泡立ちながら塞がり、着物の裂け目は何事もなかったように閉じた。これ、お正月に着た振袖じゃない。見たこともない、着物。
「あ、あぁ、なに、これっ……」
アヤコは声にならない声を発し、ぽかんと口を開けた。
と、またあの音が始まる。
ドォン、ドドドドォーン、ヒューピュルルウルルウー、チィーン、クキュゥーキューン、チィーン・・・
広い通りに戻っていた。アヤコの目の前に全身青色で血がべったりついた鬼が飛び出てきた。鬼は黒い口をパカッと開ける。黄色い牙には血と着物の切れ端が絡みついている。
「おまえは麒麟じゃな、はてさて、いったいどんな味がするのかのう、愉しみじゃぁなあ、たまらんなぁー」
鬼はひょろ長い鉤爪をアヤコに向けると、シャァーッと叫び、鉤爪を振り下ろそうとした、その時。
「砂砂ぁ塵ぃんーっ、雪ぁ崩ぁれぇ斬りぃぃーっ」
とぉうぉぉぉおおぉー、男の力んだ声に合わせ、鬼の身体が振り下ろされた刀でパックリと左右に割れた。
「うぐぅわぁぁぁあぁー、うぅぎっやぁぁぁあぁっー」
猛烈な絶叫を上げた鬼は地面に黒い塊となり消えていく。
そこにいたのは隣のクラスの担任、龍泉寺拓臣だ。黒い烏帽子に水色の羽織袴を身に着け、手には長い刀を握り、アヤコを愛おしそうに見つめていた。
「大事ないか、文咲子」
「えっ、先生ぇ? あやさきこ?」
スッ、と、再び真っ暗な空間に変わり、龍泉寺拓臣の姿はない。
ドォン、ドドドドォーン、ヒューピュルルウルルウー、チィーン、クキュゥーキューン、チィーン・・・
今度は、音と共に金色の着物を着た白塗りの能面を被った人がアヤコに近づいてきた。能面の人らしきものは、ふわふわ飛びながらアヤコの目前に迫ってくる。能面の面が異常に大きい、身体の半分が能面だ。アヤコは全身に鳥肌が立ち、身体が金縛りにあったようで動けない。
「大事ないか、文咲子」、「これからはずっと一緒にいる、文子姫よ」「亜矢子、僕の人生には君だけでいい」男の声が次々にアヤコの耳に響いてくる。なぜか切なく痛苦しく、涙がとめどもなく溢れてくる。
「お前が此度、神器に選ばれし人間か・・・」
能面の人が白い手をにゅっと伸ばし、アヤコの額に触れた。
みるみるうちにアヤコの額に金色で三つのハートが組合せた文様が光り、光は金色の帯となり、能面の人とアヤコは全身金色に輝き、人から何かの形へ大きく変わろうとしていた。
「神器よ……」
男性とも女性ともつかない声をぼんやり聞きながら、アヤコの意識は霞がかかるように白くなった。