第3話 35歳独身女性小学校教師は美少女に嫉妬しつつも玉の輿を夢見る
東京、浅草にある柳北小学校、6年1組。
教室の教壇には6年1組の担任教師、真島艶乃と、ひとりの女子生徒が立っていた。少女はポニーテールの髪を白いレースのリボンで結び、白く透き通った肌に薄茶色の大きな瞳、ほんのりと紅くぷっくりとした唇。長い手肢が水玉のワンピースに映え、少女雑誌に登場する中原淳一の描いた少女が飛び出たようで教室内はどよめいた。
担任の自称20代と言う教師、真島は黒く長い髪をさっとかき上げた。20代は願望で実際は今年で35歳になろうとしていた。真島は小柄で標準よりふっくらとした体型に胸まである黒髪という容姿。端正でバランスが取れているとは言えないが、本人は十分に端正でグラマラスな容姿だと信じていた。
真島は左手の人差し指を顎の下に添え、腰をくねり、わざわざ思わせぶりに1オクターブも高い口調で話し始めた。
「皆さぁん、おはようございまぁーすぅ」
「おはようございます」
教室の生徒全員の声が響く。
「それではぁ、あのねぇ、今日からぁ、この学級に転入きた清島奏絵さんを紹介しまぁーすぅ。さあ、皆さん、拍手、拍手ぅ~」
1組の生徒は真島のこんな態度に慣れたもので、いつもはヤル気のない拍手をするところだが、今回は清島奏絵の歓迎をこめて盛大な拍手を送った。これには真島も拍子抜けした。しかし相手はガキ。私の言うことを聞かないよりは、マシだわと開き直った。
それにしても清島奏絵の容姿が可愛らしいのは憎ったらしい。本当このガキ、気に入らない。気に入らなすぎる。けれどもそれをグッと我慢の子で、お愛想笑いの一つでも浮かべていられるのは、清島奏絵の父親の会社で社長秘書と名乗る男から「先生へのご挨拶です。お嬢様をお願いいたします」と受け取った封筒の中に十万円もの大金が入っていたからだ。
高卒の初任給が六千円にもならない昭和30年代、教師1年分以上の年収を、たかだか小学生の小娘一人の謝礼金に渡せるなんて、どれだけ金持ちの家なんだか。それに担任期間は学級を受け持つ1年こっきり。一人だけ謝礼金を貰って、事がバレたら大変、賄賂もらって懲戒解雇なんて始終冷や汗をかくところだろう。しかし今回は白昼堂々と、しかも校長室で校長先生と学年主任の教頭先生と真島の3人が顔を揃えて、清島建設の社長秘書と対面していた。
彼らの謝礼金封筒は私の封筒より厚みが倍だったから三十万位は入っていただろう。二人とも「いやぁ、こんなことをしてもらったら困りますよぉ」と口では言っていたが、喉から手が出そうなほど清島の謝礼金を物欲しそうに眺めていたのを真島は知っている。
校長も教頭も脂ぎった顔に汗を浮かべ、今宵もまた吉原で泡にまみれてハッスルってところでしょうが、私は堅実に貯金だわと、ほくそ笑んだ。
出来ることなら、そのお金は隣りの教室の新担任、龍泉寺拓臣先生と行く新婚旅行の代金にしてもよくってよ。あら、それ素敵だわ、とーっても素敵。あの龍泉寺先生、185cmって、なによ。日本人の身長で有りえるわけ? そんな高身長。石原裕次郎だって180cmに届かないのよ。うーん、彼の太くて濃い眉、色白で切れ長の瞳、つんと通った鼻筋。惚れ惚れしちゃう。俳優の岡田真澄のようにハーフなのかしら。あんな美形の男性が夫だったら、きっと1年365日ずうーっと間違いなく永遠に幸せシンデレラに違いないわ。今まで私のことをオールドミスって呼んでいた連中をギャフンと言わせられるんじゃぁなくって。ようやく私にも春が来たんだわ。35歳まで待った甲斐があるってものよ。覚えてらっしゃい、嘲笑ったおまえたち。みんな見返してやるわ。
龍泉寺先生のご実家は龍泉寺製薬、政界にも財界にも幅を利かせているみたいじゃない。御曹司との結婚だなんて私の美貌にふさわしさすぎるわ。こんなところで、いつまでもクソガキ連中を相手にしている場合じゃないわ、目指せ、玉の輿よ。龍泉寺先生のハートは私が必ず射止めて見せる。そうそう、実家の母も言っていたわよね、男の心を射止めるんなら胃袋を掴むのが早いって。よぉーし、こうなったら明日のお昼から手作りお弁当作戦だわ。それで私の魅力にイチコロになって、まさかの、いきなり学校でプロポーズとか・・・もう嫌ゃあん。
「うふふ」の声が、妄想の余韻でつい洩れた。
真島は生徒たちが一斉にこちらを見ているのに気づき、クソガキとももうすぐおさらばよ、と気持ちを切り替え、軽く咳払いした。
「はい、はい、拍手もおしゃべりも止めぇ~。では、清島さん。いいかしらぁ? 皆さんにご挨拶なさぁい」
「はい。初めまして、清島奏絵です。どうぞよろしくお願いします」
清島奏絵はお辞儀をすると落ち着きと品のある口ぶりで話した。手短な挨拶にもかかわらず、浅草界隈の下町とは違い、良家のお嬢様の雰囲気を醸し出している。
「そうね、席は・・・空いている席が他にはないから、清島さん、あの窓の右側で、女子生徒の福宮アヤコさんのお隣りの席におかけなさい」
「はい」
教室から小さな声が上がる。
「ええっ?」
「おい、大丈夫かよ」
清島奏絵が鞄を持って移動し始めると、男子生徒たちは彼女の華やかな姿形に「おおっ」と唸り、女子生徒たちは「お人形さんみたい」と別の声も上がった。
「本当、お人形さんみたい」
アヤコも心の中で呟いていた。
真島も一瞬、アヤコの隣りの席に清島奏絵を座らせることに躊躇はした。けれどアヤコは学校では相当大人しいガキだ。あの、いかがわしい連中、金貸し屋の子分たちも教室にまで押しかけてくることはないだろうと踏んだ。
清島奏絵はアヤコの隣りの席に座った。
「よろしくお願いします」
にこやかに笑う可憐な清島奏絵にアヤコはたじろいだ。誰も面と向かって自分へ挨拶してくれる人はいない。そのうえ見たこともないほど可愛らしい少女が、こちらを見ていることに戸惑った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
どきどきしているアヤコの脳裏に声が響いた。
「可愛いわ、おばさま・・・」
「えっ? なんて?」
アヤコが思わず振り向くとも、清島奏絵はニッコリ、口元に笑みを浮かべていた。
あれ? いま、おばさまって聞こえた気がしたけど。同じ年齢なのに変だよね、ほんと気のせいかもねとアヤコはぎこちなく笑みを返した。