看病
小南葡萄です。私はここ3年くらいずっと平熱です。平均的には異常です。
頭が雨のように濡れる感覚がして、一瞬腕の力が弱まったのがわかると、力一杯に腕を押して、洗濯機の方へと逃げた。ダンッ。痛い。頭を打った。ぐあんぐあんぐあんぐあん。上手く息が吸えない。はあ、はあ。
体が揺れる。目も振動してこいつが何重にも見える。何重もいるこいつが近づいてくる。逃げなきゃ。
足ってどうやって動かすんだっけ。やばい。
「おい!何をやっている!」
人がいる。でかい。誰。Bじゃない。急に目の前が真っ暗になり、気づいた頃には。
まだ、コインランドリーにいた。逃げなきゃ。急いで周りを見回す。あいつはいない。生きてる。
息が浅くなっているのがわかって、深く息を吸って吐く。
奴の代わりにメガネをかけたガタイのいい男がいた。薄茶色のシャツにスーツのズボンんを履いていて、少し白髪が生えていて、顎髭が角張るように生えていて、シワがある。
「誰だねあいつは」
「わからない。わからない。」
「そうか…」
残念そうに呟き、救世主は出て行ってしまった。背の低い黒い車に乗って。
あっ、洗濯物。
洗濯機を見ると、丸々なくなっていた。とうとう全部盗まれたかと焦り振り返ると、後ろの机の上に、小さい紙とともに、全て綺麗に畳んでおいてあった。紙を取る。
ケオ、ダグラス・メイデュー?
何やら難しい単語が並んでいて、それと一緒に大きく名前らしきものが書いてあった。
僕のいつも行く時間はあまり変わらないから、なぜ今日まで会わなかったのか不思議だが、外が黄色がかっているの見て、とりあえず服をカゴに詰めて外を出た。さっきまで白く輝いていた太陽が地面に向かって溶け始めている。こんな時間になるまで、あの人はずっと俺を見守ってくれていたのか。ありがとうと言いたいと思ったが、来週もいるとは限らない。もらった紙は、ポッケに入れて、帰ることにした。あの人は今浴びている夕日のような人だった。大きくて、あったかい。家が見えた。扉を開ける。開かない。鍵が閉まっている。なんで。
ドンドンドン。開かない。ドンドンドン。窓を見るが、窓はやっぱり機能を果たしていない。
ガチャ。
開いた。と思ったら、大きなタオルを持って顔を真っ赤にしたBが斜めになってこちらを見ていた。
「殺すから来い」
枯れた声で、バンと扉を閉めれる。また俺まずいことしたかな……。開けたら、Bの長い髪で隠れているが、Bが服を着ていないのがわかった。
反射で目を逸らしてしまい、魔が刺して振り返ると、ブランケットに隠れていた。
一旦ふぅ。とため息をつき、カゴを持って玄関を閉めて、Bの部屋の前まで行く。
「遅くなってごめん」
「違う。私の服、全部持って行ったろ」
「汚れているのを持ってったから」
「うざいわ本当に殺す」
ドン、ドン、ドンと床を叩く音は強く聞こえるが、くそっくそっと言う声はやはり声が枯れていて、咳の方が大きい。ビールで焼けたような声ではなく、迫力がない。少し、心配になってきた。
「ちょっと、そっぽ向いてろ」
俺はとりあえずテレビを見ることにした。リモコンでつけてぼすっと座ると、テレビではバトルアニメがやっていた。鮮やかな色のヒーローが体が黒い、いかにも悪そうなやつをドンドン殴っている。じゃあ今日は俺が悪だったのか。Bの服を全部持っていて、ナイフを持ったあいつに危うく殺そされそうになったし。しかし、あのメガネの人は確かに俺のヒーローだった。アニメが終わった頃に
「いいよ」
というBの声がして、Bを心配そうな目で見ながら、Bの部屋に入る。引き戸を引く気力もないほど弱っているのか。布団にこもっているBに近づくと何か言っているような気がして、よく聞こえないのでしゃがんで少し近づいた。咳をするたびに、心臓のように体を震わせている。
「どうしたの」
「なあ、手ェ貸して」
手を布団の中に入れると、弱々しく掴まれる。引っ張られ、急に俺の手に熱が伝わってきた。熱い。何これ。
「冷えてるー」
荒い息遣いが、振動となって手のひらからも伝わる。息がどんどん荒く、速くなっていく。
「くそっ、くそっくそっ!」
急にブランケットを蹴飛ばして姿をあらわしたBが、寝そべりながらドタドタと暴れ回った。びっくりした。俺は壁までのけぞって呼吸が荒くなってしまう。しかしそれは一瞬の出来事で、すぐに止まってさっきの荒い息遣いのまま動かなくなってしまった。
「熱い、熱い」
「ど、どうしたらいい」
「冷たいの、冷たいの」
とりあえず急いで周りにあるゴミを蹴散らしながら冷蔵庫の中からビールを取り出し戻り、動かなそうだったので開いている手のひらにそっと置いた。それをつかんで持ち上げたかと思うと、一瞬口元を通ったが、飲むことはなく、代わりに頭を冷やして気持ちよ良さそうにしている。
今思うと、よくこんな汚いところで、今まで具合が悪くならなかったなと不思議に思う。
「他に何したらいい?」
半目で俺のことを確認するなり、力のない手を震わせて俺の手首を掴んだ。
「ここ、ここにいて」
ふっと肩が上がり、目を開いて、思わず下唇を噛んでしまった。この前、僕の無味無臭のコーヒーに興味を示したときのようなあの感覚。これよりももっと強くあたたかい衝撃が体を刺激した。
「わ、わかった」
俺のせいでこうなっているのはわかっているが、まさかこんなダイレクトに心から頼ってもらえるなんて。契約書にも書いてない、口約束をしたわけでもないBの率直な願いを、聞きたいと思ってしまった。
「やっぱり見下されてるのうざいからどっかいって」
前からうざいだのきもいだのは言われ飽きてるので、この発言も、子犬が威嚇してくるように可愛く見えてきた。
「じゃあ、Bの屋掃除してていい?」
「うん」
立ちあがろうとしたが、ふとさっきの熱さを思い出し、額に手を添える。さっきの感触と同じ、まだ熱い。
額に当てた手のひらをBが剥がして、目元に移した。Bの苦しそうにしていた口元が少し緩む。離れようとすると弱々しい手で俺の手が離れないように抑えてきた。
「だめ」
と弱々しい声で言われてしまって、とりあえずここで少し、落ち着くしかないと思った。
Bの部屋の周りを確認する。そういえば、漫画と雑誌が山積みになっているところは手をつけていない。今はBがいるし片付けてもいいかなとBに確認しようとすると、Bは手に力が無くなり、口元が完全に緩んで、すーすーと寝息をかいていた。頼まれていないが、やっと手のひらを離し、ブランケットをそっとかける。
俺は漫画と雑誌のところに向かって整理を始めた。
よく見ると、Bのあまり興味のなさそうな、結婚だの、車、競馬、あとはとても汚れていて読める状態じゃないけど多分少女漫画がたくさん積まれている。ほとんどに砂が入っていたり、その辺で拾ってきたかと思うようなものばっかりだった。
まとめて縛ってを繰り返していると、奥からカビが生えて、さっきまでとは違う汚れ方をしている姿が見えた。雑誌を避けて取り出してみると、不気味な木箱が現れる。中を開けると、手のひらサイズの黒光りしていて角張ったものが見えた。
健康で何が悪いんじゃい。