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第12話 ねえ、リューリュ


 「……そうか。そういうことか……ふふ」


 ジゼクは歪んだ笑みをリューリュにおろして、腕を掴む。ふたたび立ち上がらせ、眼下に見せつけるように押し出す。


 鬼鏡ききょう姫の目が見開かれ、帯びたひかりが強くなる。薄く開けたくちから、うう、という声が漏れる。指を、獲物にむけて牙をみせる獣の顎のようなかたちに曲げ、まえにかざす。


 「……だめだ!」


 後ろから、黒衣のおとこが走りより、鬼鏡姫の背にとりついた。フウザだった。書司、にえのものたちは、操られた家人らによりほとんどが斃れている。わずかに残った書司らが攻撃をふせぐなか、フウザは、鬼鏡姫をうしろから抱えるように縋った。


 鬼鏡姫は目をジゼクからはなさないまま、身を捩り、もがく。うめく。うめきは、獣性を帯びたものだった。


 「いけない、呑まれるな……っ」


 フウザは片手で相手の肩を掴みながら、空いた手でなんらかの手印のようなものをつくった。鬼鏡姫の背に押し付ける。雷に打たれたような表情で崩れ落ちる鬼の姫。フウザは息をはき、手をはなす。


 が、鬼鏡姫は、たちあがった。振り返り、フウザの頸をつかむ。腕が発光する。炎があがり、それはフウザを包む。


 「……キョウ! だめ……だめ!」


 リューリュがあげた声は、とどいたとは思えなかった。灼かれたフウザの身体がどうと地に落ちると、鬼鏡姫は露台をみあげた。


 「……リューリュ、いま、たす、ける、から」


 掠れた、ゆがんだ声が、姫のくちから押し出される。


 「だめ……キョウ、いけない」


 リューリュの叫びは、こんどは、ジゼクの拳によって絶たれた。振り向かせた彼女の腹に、容赦のない一撃が叩き込まれる。息を吐き、身体を折るリューリュ。


 大庭がひかった。


 鬼鏡姫は、跳んだ。わずかに屈み、地を蹴って、駆け上がった。なにもない空間を、きざはしのように、奔った。紅い満月を背に、長い髪をひからせ、露台に迫る。ジゼクは、それを予想していた。


 リューリュを抱えたまま、ジゼクの左腕が振られる。空気の壁が、迫っていた鬼鏡姫に叩きつけられる。のけぞり、落下しそうになるが、鬼鏡姫はジゼクから目をはなさない。


 見えない壁を蹴るようにして、鬼の姫はジゼクに殺到した。振り上げた、獣の顎のような手のひらを、顔面に叩きつけようとする。が、ジゼクは避けた。


 鬼鏡姫が放った衝撃波は、その奥の屋敷の構造体を直撃した。圧力は熱に変換され、大広間付近の屋根が激しく発光するとともに、破砕した。大量の瓦礫がとび、ジゼクとリューリュに降り注ぐ。


 ジゼクは避けたが、リューリュは動けない。しかし、その背に覆い被さったものがあった。シュンゴウだった。破片を受け止めた彼は、くちの端に血を滲ませている。


 「……シュンゴウ」


 すぐ横の顔に呼びかけると、シュンゴウは身体を起こし、ジゼクを警戒しながらもリューリュに手を貸して、苦い表情をつくった。


 「……君はふろたきだな。なぜこんなところにいる。早く逃げろ」


 「……えっ……」


 「俺の名を知っているのか。仔細は聞かん。食い止めるから、走れ」


 リューリュに向けているかおは、冗談を言っているものではなかった。


 「なんだ。もう忘れられてしまったのか。顔すらも」


 ジゼクは心の底から愉快そうに、嘲笑した。


 「やはり、君は、まがいもの……っと」


 ことばを切るように、ジゼクの横から、鬼鏡姫が迫った。炎をまとった拳を、幾度も叩きつける。が、そのすべてをジゼクは受け止めた。腕の背でうけ、そのまま打撃を送る。手を交差させて耐えたが、姫の身体は飛ばされた。


 ジゼクは一息でシュンゴウのところへ飛ぶ。シュンゴウは刃をふったが、当たらない。すでに手負いの彼は、ジゼクが振り下ろした手刀で首筋をつよく打たれ、昏倒した。


 鬼鏡姫は、崩壊を免れた屋根にたっている。ジゼクはみたび、リューリュを捕らえ、引き寄せた。


 「姫。お強うございますな。さすがの、忌のちから」


 どこか陶然とした表情で、うたうように声をだす。


 「愛しきものを傷つける……それが、欠けた月、の意味。満月とは、成就。ようよう、呑み込めました。あなたさまにとっては、リューリュは、特別なのですなあ。一介のふろたきにすぎんというのに」


 「……リューリュ、から、てを、はなせ……」


 鬼鏡姫の声は、リューリュが知らないものだった。昏い、憎悪の、塊。歯の間から低い音を絞り出す。


 「だが、まだ、まだ。わたしを打ち負かすことができぬようでは、世を煉獄に戻すことなど叶いませぬ。まあ、それでも鍵はみつかった……そろそろ、お目覚めいただくとしましょうか」


 ジゼクはそういい、左手でリューリュを抱えたまま、舞台で演技をするもののように右手を水平にかざし、そらを見上げた。


 「しっかり、ご覧くださいませよ……おん友の、ご最期を」


 ジゼクの指先が燐光を帯びる。肘を引き、リューリュの背を、ひといきに貫き通す。


 リューリュの胸から、鮮血に染まったジゼクの指先が、のぞく。腕が引かれると、あかい飛沫が、ほとばしった。


 表情をつくらないまま、リューリュは、ゆっくり膝を折る。だが、そのくちがちいさく、キョウ、と動いたことを、鬼鏡姫は捉えている。


 リューリュが仰向けに倒れるのと、鬼鏡姫の叫びが天を揺らしたのは、ほとんど同時だった。


 地が、震えた。


 月が消えている。夜空は、怨念に満ちた漆黒の霧で埋められている。


 昏い世界で、ただ、鬼鏡姫……忌の鬼、忌兇ききょうだけが、禍々しく、赫く、かがやいている。


 吠える。すでに、形をとどめていない。姿は歪み、かすれ、闇に溶け、また浮かぶ。実体化した呪いである忌の鬼は、叫びながら、手を振りぬく。屋敷を貫通した膨大な光の束が、山腹にあたり、それを蒸発させた。


 理を超越した存在となった忌の鬼は、みずからがむかう先を求め、悶え、絶叫した。


 ジゼクは歓喜に打ち震えている。


 「……すばらしい……すばらしい。そうだ。こわせ。すべて、こわせ。ぜんぶを終わらせるのだ。そうして、兇の鬼の時代を、もういちど……!」


 その身体を忌の鬼はとらえ、巨大なちからで焼灼しながら握りつぶしたから、ジゼクのことばは中途で終了した。


 鬼は、リューリュの遺骸のよこに立った。身体は、赫く禍々しい熾火で構成されている。膝をおり、腕を伸ばして、おのれの熱がリューリュを灼かないかとためらいながら、ゆっくり、胸にあいた穴に触れる。


 ほほに、手を伸ばす。血がとんでいたからだ。指のかたちをした影が、それをやわらかく拭う。


 キョウ、おいものかけら、ついてるよ。


 リューリュのこえが、きこえる。わずか数日前にきいたばかりの、なつかしい、だいじな、声。


 「ね、ぇ……り……ゅ」


 ゆすり、呼び起こそうとしたが、名が言えない。発声器官を失っている。愛おしい名前は、鬼の脳裏で、なんどか反響し、やがて、きえた。


 涙を流すことができない。流すべき涙は、すでに炎にかわっているからだ。慟哭ができない。声は、怨念で塗りつぶされているからだ。


 鬼はたちあがり、最後にすこしだけリューリュを見下ろし、離れた。


 闇に跳んだ。かたちをなさない指先が天をさす。くろい雷が地をうつ。熱を含んだ風が、山を灼く。そらが、漆黒に、燃えている。終焉がよばれている。世が、閉じようとしていた。


 焼失と崩壊の機序を、世界が、踏みはじめた。


 それから、どれだけ時間がたったころか。


 刹那かもしれないし、ながいあいだだったようにも思えた。その思念体にとって、時間の概念は意味がなかったから、判断がつかない。窮屈なからだのなかで、身を捩った。


 ……ん。ああ。


 ひらかぬ目。痛みはないが、動かない。手もあしも、冷たい。


 ……いささか、遅れたか。深くねむりすぎたようだ。


 うごけぬまま、ちからを身体の隅々におくった。脈動が再開し、機能が恢復してゆく。血がめぐるにつれて、肉にひきずられていた思考も、おだやかに、澄んでくる。


 わたしが目覚めたということは、べにも、か。


 薄くあけた目を、闇夜に向けた。鬼のすがたを探す。


 紅……どこだ。


 リューリュの黒かった瞳が、白銀に、輝いている。





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