それぞれの信念
警備官に軽く礼を言われ、そのまま青年は連れていかれた。担架に乗せられた神父さまは、助かるかどうかもわからない。不思議なことに、特に何も聞かれずに帰ることが出来た。
「…帰ろうか、父さん。」
暗い帰り道、カンテラの灯りだけを頼りに歩いていく。
「父さん、何があったのか教えて貰ってもいいかな?」
「あぁ…実は……」
父さんの話によると、あの青年は悪魔を信仰していたようで、急に教会で叫んだかと思うと、
「天使は嘘を流している」
「お前たちは騙されている」
「本当に正しいのは悪魔だ」
と喚き始めたのだという。そして…
「黙って俺の話を聞け!」
そう叫んで神父様にナイフを突き立てて、
「全てはパンドラ様の御心のままに!」
その後、動くなと言われずっと教会にいたそうだ。
「…その間、パンドラの話を狂ったようにしていたんだ。」
「…なるほど。あ、もう着くね。」
パンドラの箱が、エルピスがカタカタと震えているのを感じて慌てて話題を逸らす。今日の夜は、エルピスと話し合わなくては。
その日は軽くパンだけを食べて寝ることにする。あんなことがあったから、父さんにエルピスのことは言えなかった。
「エルピス…。」
「…。」
エルピスは、縮こまって箱から出てこない。エルピスが不快に思うには十分すぎる出来事だっただろう。
「ボクのこと嫌い?」
そう聞くと、エルピスはくるりと振り向き、ボクの左手に噛み付いた。
「ゔぅ…ぐるる…」
鋭い痛みが、全身に鳥肌を立たせる。唇を噛み締めて耐える。エルピスの気が済むなら、何度だって噛めばいい。それが、パンドラの箱を開けてしまったボクの責任だと、勝手に思ってるから。
「ごめんね。」
天使のことも、悪魔のことも、パンドラのことも信じていないボクを、見抜かれていると思う。パンドラを信じないボクに、苛立っていると思う。
それでも、ボクにはボクの信念がある。それはエルピスが、何があってもパンドラを信じているのも、父さんがクラミテン教を信じているのも同じだと思うから。
「エルピスはエルピスのままでいいよ。だから、ボクもボクのままでいさせてくれないかな?」
そう言うと、エルピスはとりあえず口を離してくれた。静脈まで切ってしまったのだろうか。静かに血が流れ続けている。とにかくガーゼできつく縛っておいて、明日薬屋のおばあさんに見てもらうことにしよう。医者にかかると大事になりそうだし、あの人ならエルピスのことを言っても大丈夫そうだろう。