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果ての銀花と愚者の杭  作者: 丹㑚仁戻
第三章 針先の身命
99/223

099. 半ばの約束 (2/6) - 真夜中の混乱

 隊商(キャラバン)の幌馬車から離れて三時間が経過した頃、この数日間見張っていたヒルデルの施設近くの物陰で、グレイとジルは周囲の様子を探っていた。

 相変わらず警備兵以外に人間の出入りはない。そしてその警備兵も、夜が更けてきたことで早い時間よりも僅かだが人数を減らしていた。「できれば荷に紛れたいですね」とグレイが言えば、「お前の図体じゃ無理だろ」とジルが馬鹿にするように言った。


「ですがまだ警備に手を出したくないんですよ。いつもどおりならこれ以上手薄にはなりませんから、一人二人に留めたとしてもすぐに気付かれます」

「なら騒ぎを起こせばいい」

「それもそうですが、下手にやると――」


 プチンッ、グレイの言葉を遮るように小さな音が鳴る。不自然な音にグレイがその正体を探るよりも早く、二人から離れた場所で何かがガラガラと崩れ落ちる大きな音が響いた。


 続いたのは悲鳴と怒号。それらの音を中心としてすぐに男達の慌てる声が集まり、二人の目の前にいた警備兵達もまたそこへ向かって走っていく。


「……いつ仕掛けたんです?」

「さあ? だがこれで簡単に入れるだろ」


 そう言って目を細めたジルの手にはナイフが握られていた。彼の足元には細いワイヤーが落ちていたが、端は片方しか見当たらない。

 グレイがもう一方の端を探してワイヤーの先を目で追っていけば、近くの建物の柱に括り付けられているのが分かった。雪に隠れて見えづらいが、状況から考えてジルがナイフでこのワイヤーを切ったのは明らかだ。


「何を落としたんですか?」

「足場に積んであった木材」

「……端材ですよね?」

「まさか」


 ジルがおかしそうな声で否定する。「忍び込むだけなのに……」とグレイは大きな溜息を吐いたが、それ以上何かを言う気はないらしい。会話中も見続けていた建物の入口から完全に人が遠ざかるのを確認すると、「行きましょう」とジルと共に中へと入っていった。



 § § §



 外観と違い、建物内部はまだできてはいなかった。床はしっかりと石の床材が敷き詰められていたが、壁には分厚い布が張られているだけの部分が多い。試しにグレイがそこを捲れば、下地と思われる木材が現れた。明かりは辛うじて蝋燭ではなくガス灯が使われているようだが、正式なものではないのか、光が弱いせいで廊下は薄暗かった。

 誰が見ても工事中と分かる内部は、最低限人や荷が通れるようにしただけのようだ。床の上には大きな荷物がいくつも置かれていて、通路を塞がないように隅に寄せられている。

 グレイとジルはその〝最低限〟の道が続く先を目指して警戒しながら歩いていたが、中に侵入してから五分以上経つのにまだ一度もろくに隠れていなかった。


「――ヒューは我々がヒルデル側だと疑っていましたよ」


 グレイがジルに話しかけたのはそうした周囲の状況のせいだろう。声を落としさえすれば滅多なことでは見つからない――真夜中の、それも作りかけの施設。この特殊な環境は彼にも、そしてジルにもあまり気を張る必要のないものだった。


「だからあいつは違うって? そう振る舞っているだけかもしれない」


 何かを探すように周囲に視線を配りながらジルが答える。その前を歩くグレイも同じようにしていたが、返ってきた答えにふっと小さく笑みを浮かべた。


「ならあなたが彼に言ったことも無駄ですね。ここに忍び込むことをわざわざヒューに言ったのは、ヒルデルの動きを見て繋がりを探るためでしょう? ですが彼にそういう振る舞いができるなら、仮に未だヒルデル側であったとしても、自分への疑いを晴らすことを優先して侵入を密告しないかもしれない」

「……分かってる。まだ情報が足りない」

「あなたも言っていたように堂々巡りですよ。我々がヒューに対して後手に回っているうちは」


 グレイがちらりと後ろを窺えば、ジルが不機嫌そうに眉をぴくりと震わせた。


「あいつが先回りできるのは銀狼の持つ一〇〇年分の情報があるからだろ」

「同等のものがここで手に入ればいいんですけどね」

「見つけるさ。少なくともこんな僻地に武器を持ち込む理由が分かれば、多少はヒルデルの考えに近付ける」


 ジルが言い終わった時、グレイが立ち止まって左腕を軽く上げた。握られた彼の拳を見て、ジルもまた足を止める。

 グレイは上げていた腕を下ろすと、「そろそろ人が増えそうです」と小声で後ろに告げた。その視線は少し進んだ先にある曲がり角を示しており、ジルは小さく頷いて警戒を強めた。


 二人は足音を消してそのまま進むと、先程見た曲がり角の手前で再び足を止めた。

 グレイがそっと角を覗き込む。そこから続く長い通路には相変わらず荷物が置かれていたが、その先には広い空間と人の気配がある。その空間が何なのかまでは今いる位置からでは分からなかったが、グレイは身を屈めるように腰を落として、ジルと共に忍ぶように角へと入っていった。


 グレイが次に止まったのは、広い空間の手前で隠れられる最後の場所。そこからはジルにもその先の様子を知ることができた。

 円形の広い空間は恐らくホールのようなものだろう。上と、それから下にも続いている。ここが一階であることを考えれば下は地下だ。二人のいる通路は左右に分かれており、全貌は見えないものの、恐らくはホールをぐるりと一周する形になっているだろうことが予想できた。


「別の道があります」


 ホールを囲む通路の先を探っていたグレイが、マフラーをずらして口の動きだけでジルに伝える。ジルが軽く頷けば、グレイはすうと息を吸った。周囲に感じる人の気配はホールの下層からのものだ。それから、二人のいるこの通路の先にも。

 幸いにも、この通路にも荷物が多く置かれていた。自分達を見つけられるであろう全ての気配が遠のくのを感じると、グレイはジルに合図してホールの方へと進み出た。右に曲がり、荷物に隠れながら静かに、しかし素早く進む。そうして数メートル行ったところで右手に現れた別の通路に入ると、足早にその奥へと向かった。


「――……こっちにも人はいませんね」


 しばらく進み、ホールからだいぶ遠ざかったところでグレイが呟く。同じようにホールと通じているからか、この通路もまた最初に通ってきたものと似たような状態だった。違うのはここに来るまでにいくつか部屋があったことだが、そのどれもが未完成だったため違いがないも同然だ。


「ここは外れかもな」

「そうですね……ああ、あそこに階段があります」

「下がいい」

「はいはい」


 二人は再び息を潜ませ、階段を下っていった。一階分下がったところで通路に出て、周囲を探る。

 どうやら先程のホールは各階にそこを囲むような通路があるらしく、この階からもホールを見ることができた。一番下はあと二階ほど下りたところにある。そこには荷物もあったが、同時に何人もの警備兵がいて、これまでの通路とは違って厳重に警戒されていることが覗えた。


「昇降機があるな」


 グレイの背後からジルが言う。彼の目は昇降機の下りていった先を追いかけ、その目はやがて一番下の階にある大きな扉の前で止まった。


「あそこに行くぞ」

「あそこって……あれですか?」


 ジルの見ているものを確認して、グレイが嫌そうに顔を顰めた。それは通常の家の扉三枚分はありそうな大きな扉。しかも扉としての機能を果たしていそうに見える。つまりその先は工事がかなり進んでいると察することができるものだったが、そのせいか、扉の前には銃を持った警備兵が二人付いていた。


「流石にあそこは相当骨が折れますよ。扉の前だけじゃなくて周辺にも警備が多すぎます」

「どうにかしろ。あの先に行くまではまだ侵入に気付かれたくない」

「……相変わらず無茶を言いますねぇ」


 そう言いながらもグレイは既に手を動かし始めていた。壁にかかる布を少しだけナイフで切り取り、昇降機の方へと目を向ける。


「次の荷物が危険物じゃないといいんですが」


 一番下の階で止まっている荷台を見ながらグレイが苦笑を浮かべると、ジルが彼の意図を察したように目元にゆるい弧を描いた。


「どうせ安全装置が付いてるだろ。それでも巻き込まれたらお前を盾にしてやる」

「そんな手間はかけさせませんよ」


 それだけ言うと、グレイは昇降機の方へと近付いていった。大きな身体で縮こまり、周囲から見えないよう昇降機のロープへと手を伸ばす。

 一方でジルは周囲への警戒を強くしていた。自分の周りだけではなく、グレイの方も確認する。いつでも撃てるよう銃を構え、グレイが戻ってくるのを待った。


 キュ、とグレイがロープに先程切り取った布を括り付ける。結び目は二つ、間の布はなるべくたるまないように。

 そして軽くロープを引いて現在の力のかかり具合を確認すると、二つの結び目の間にある部分をナイフで半分ほど切り裂いた。


 昇降機に変化はない。

 グレイはそれを見届けるとジルの元へと戻り、先程下りてきた階段の方へと向かった。



 § § §



 目的の扉がある一番下の階でグレイ達が隠れ始めて、一〇分近く。やっとその場に動きがあった。進もうとしていた扉が開いたのだ。

 そこから現れたのは荷車と、それを引く男。荷車には何も乗せられていない。

 グレイ達から見て内開きの扉は左右二枚の扉板が開くものだった。そして扉の先には誰もいない。ガタン、と重たい音を立てて閉じられたそこに、鍵をかける者もいない。


 グレイがそれを観察している間にも、扉から出てきた男は昇降機に向かって荷車を引いて行った。グレイはジルと目を見合わせて、荷物に隠れながら扉の方へと徐々に近付いていく。そうして彼らが扉までもう少しという距離まで来た時、男が荷車と共に昇降機の荷台に乗った。

 荷台に付いていた鐘をカランカランと鳴らせば、昇降機の隣で別の男が動力装置のハンドルを回す。すると荷台は上昇を始め、すぐに一階分の高さまで上がっていった。


「加減を間違えたんじゃないか?」


 問題なく動き続ける昇降機を見ながらジルが眉を顰める。


「まさか。何回似たようなことやったことあると思ってるんです?」


 心外だと言わんばかりにグレイが返した時、カタンッ、と小さく荷台が揺れた。「ほら、もうすぐですよ」そう言いながらグレイが見つめる先にあった荷台は、既に三階分ほど上がっている。少し前にグレイが傷つけたロープが切れ、今はどうにか一緒に結んであったロープで重さを支えているようだ。

 だが、いくら分厚くてもただの布切れなど長くは持たない。荷台が次の階の通路と同じ高さに至ろうとした直前で布はちぎれ――


 ガタンッ! 大きな音を立てて荷台が急降下した。


「うわぁあああああ!」


 乗っていた男の悲鳴が響く。荷台は一メートル近く降下したところで止まったが、そのはずみで一緒に乗っていた荷車が荷台の外へと飛び出した。


 床への衝突音、悲鳴。少し上からは滑車が勢い良く回る音が響く。途中で昇降機から外れたロープはヒュンヒュンと鞭を振るうような音を立て、大きく暴れながら階下にある動力装置に巻き取られていった。


「何が……――ッぐ!?」


 通路にいた警備の男にロープが当たった。油断していたのか、それともそれだけ強い力だったのか、グレイ達よりも一つ上の階にいた男が下へと落ちる。ドンッと胴体で着地する音が空気を揺らせば、その場の悲鳴が更に大きくなった。


 今まで静かだったホール内は混乱に満ちていた。落ちた荷台が下にあった荷物や人を巻き込み、怪我人の数すらも把握できていないようだ。

 そんな中で冷静さを保っているのは、物陰に隠れるジルとグレイだけ。例の扉を守っている警備兵達も、そのまま自分の仕事を続けていいのか分からないとでも言うように、そわそわとしながら()()が起きた方を窺っている。


「手を貸してくれ!」


 昇降機の方からの声に、扉の警備兵二人が顔を見合わせる。しかし迷ったのはほんの一瞬で、すぐにそちらの方へと走っていった。


「事故時の対応手順に難がありそうですね」

「どうやらただの寄せ集めみたいだな。粗末すぎる」


 会話が終わった瞬間、二人は一気に走り出した。そして観音開きの扉を片方だけ開けると、その中へと身を滑り込ませる。


 パタン……――扉が閉まる小さな音は、ホールの喧騒で掻き消された。

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