097. 散在する悪意 (4/4) - 始まりの秘密
『〝自分達に寝返りそうな優秀な人材〟――ヒルデルなら欲しがりそうじゃない?』
その言葉を聞いた瞬間、ヒューは一気に視線を鋭くした。厳しい表情からは苛立ちや怒りといった感情が滲み出ていたが、ウリカが狼狽える様子はない。
そんな彼女にヒューは「あいつがヒルデルの回し者だって言いたいのか?」と問うと、相手の返事も待たず、それを否定するかのように言葉を続けた。
「グレイはローゼスタットじゃ重罪犯なんだろ。いくらヒルデルでもそんな奴を使ってるってあの国に知られたら面倒事になるだろうが」
これまで聞いた情報を必死に脳内で巡らせ、ヒューはその結論をウリカに突き付けた。ヒルデルグループとローゼスタットが敵対関係にあるならともかく、この両者は手を組んだのだと今しがた彼女が口にしたばかりだ。ヒルデルとしては相手との関係を良好に保つため、よりにもよって逆賊などという国の敵を味方に引き入れることなど有り得ない。
だがウリカはそれくらい分かっているとばかりに小さく息を吐き、「あくまで可能性の話よ」と口を開いた。
「ただヒューから見て、グレイルードはうっかり自分が殺した証拠を残しちゃうような人なの? 王女殺しなんて知られたら困るはずなのに」
「……追われてることすらわざとだって言いたいのか? いい加減にしろ!」
低い怒声が空気を揺らす。だが、ウリカが怯む気配はない。
「じゃあなんで彼はあんたのとこに来たの? 銀狼だと知って近付いたんじゃないの?」
「そりゃそうだろ、薬が欲しかったんだから。近くの製薬施設になくて探し回ってたって言ってたぞ」
「本当にそれだけ?」
ウリカが咎めるようにヒューを睨む。その視線を受けて、ヒューが苦しそうに眉間に力を入れた。
「……じゃァもし本当にヒルデルの関係者だったとして、あいつらは何のためにうちに来た? ヒルデルが今更銀狼を気にする理由があるか?」
「あたし達しか知らない情報を狙っているのかもしれない」
ウリカの言葉にヒューが何かを悟ったような表情を浮かべる。それを見てウリカは安堵したように少しだけ身体から力を抜くと、そのまま口を動かし続けた。
「銀狼は元々ヒルデルの組織だったけど、独立した時にそれまでに得た全ての情報を共有していたかは定かじゃない。今回これだけお金かけてこの街を再建してるってことは、何かイースヘルムに用事があるのかもしれないでしょ? そのための情報収集の一貫で、あたし達が自分達の知らないことを知ってるんじゃないかって探りたいんじゃないの?」
「……そりゃ筋は通るけどよ、探られたところで出てくるモンなんてねェぞ。そういうのはうちじゃなくてお前らのトコの仕事だろ?」
「ヒルデルが銀狼の役割分担を知ってるとも限らないでしょ」
ウリカに言われて、ヒューが「あー……」と困ったような唸り声を上げた。
「確かにあんたの言うとおり、爪牙なんて調べても何も出てこないかもしれない。あたしが今まで言ったことはただの想像で、事実とは全然異なっていることだってあるかもしれない」
「異なってる可能性の方が高いだろ。大体グレイがヒルデルの回し者ならジルはどうなるんだよ。いくら軍人だったとしても死にかけのガキを連れてくるか? ガキの体力なんてたかが知れてるんだ、足手纏いになるって考えるのが普通だろ。実際に二人とも氷の女神症候群末期だったせいで本当に死にかけだったぞ」
「……あたしが今こんな話をしているのは、あんたからそのジルって子の存在を聞いたからよ」
「あ?」
付け足すように言われたウリカの言葉に、ヒューが怪訝そうに眉を顰める。
「過去一〇年間のローゼスタット軍除隊者の中に、十代の少年はいない」
ウリカが言い切ると、ヒューは「……あ?」と声を漏らした。
「鈍いわね。少なくともあのジルって子の素性は嘘ってことよ。軍出身の方なのか、年齢なのかは知らないけど。ただあんたがガキって表現するなら、年齢は正しいのかもね」
そこまで言うと、ウリカは疲れたように息を吐き出した。「不自然なことが多いのよ」と呟いて、気怠げにヒューを見やる。
「王女殺しの手配犯がどうして子供と一緒に行動していたの? 勲章をもらうほど優秀な元軍人が、どうして氷の女神症候群に罹ったの? どうして末期患者が、運良く銀狼の元に辿り着けたの?」
「……考えすぎだろ」
「ヒューは考えなさすぎ。偶然で片付けるならちゃんと考えてからにして」
ヒューはうっと顔を顰めると、「分かったよ」と困ったように吐き出した。
「つーかよ、除隊者がどうのこうのってなんで知ってるんだ?」
「グレイルードのことを調べたからよ。彼の仲間となりうる者がいないかどうかもね。軍を抜けた人間なんてそういう人の宝庫じゃない。まあ、あの国じゃ一度軍に入ったら多少の怪我や病気じゃ事務職に移るなりなんなりして辞めないみたいだから、正直無駄骨だったんだけど」
「そりゃ残念だったな。しっかしまァ、嘘ねェ……」
ウリカの言葉を反芻しながら、ヒューはガリガリと乱暴に頭を掻いた。彼女の考えに抱いていた怒りはもうない。ウリカがそう考えるに至った理由は、ヒューにとっては十分納得できるものだったからだ。
「けどよ、その情報はどこまで正しいんだ? 良いトコの出なら家が揉み消すことだってあるかもしれないだろ。非公開なだけじゃねェの?」
「その非公開の情報含め調べてあるに決まってるでしょ」
「ンじゃあれ、ジルが騎士説は? それなら除隊者ってことにはならねェし、グレイと一緒に行動してたのも不自然じゃねェだろ」
「それはそうだけど、ローゼスタットの王宮騎士団には十八歳以上じゃないと入れないのよ。あんたが出会った当時に彼は十八歳以上に見えた?」
ウリカに問われ、ヒューは四年前の記憶を辿った。
突如自分達の前に現れた、衰弱しきった少年。自分よりもずっと大きな身体のグレイを背負って半ば気絶した状態でやって来た彼は、当時のイヒカと同じくらいの背丈しかなかった。
治療の際に見た体つきも、顔立ちのあどけなさも、変声期中の枯れた声ですらも、全て彼の年齢を物語っている。
「……見えねェなァ、あれは」
別に素性を隠されたところで構わない。隠したい人間にはそれなりの事情があるものだ。それに何より、相手を探ることで自分が相手に探られることを避けたかった。だから敢えて聞かないようにしてきた。
だが――
「いくら変な行動はしてねェっつっても、ちょっとは確認しねェと流石にまずいか」
ヒューがふうと重たい声で言えば、「格好付けたところで今更なのよ」と鋭い言葉が返ってきた。
§ § §
「――……きっつ」
誰もいない夜道を歩きながら、イヒカは深い溜息を吐いた。
ロネと別れた時はまだ明るかったのに、もうすっかり日が暮れている。逗留所を出てからずっと、これまで適当に慣れない街を歩き回っていたからだ。
誰かに心配されるのは、やはり怖い――ティリエリに言ったことを思い出して、イヒカは眉間に力を入れた。
相手が自分を心配してくれていると感じると、どうしても一歩下がりたくなる。自分にそんな価値はないのにと、逃げ出したくてたまらなくなる。
「やりすぎたかなァ……」
押し寄せた後悔に、イヒカはその場でしゃがみ込んだ。
ロネに言ったことは事実だ。実際にそう思っているから嘘ではない。特にカヴァロの人々に抱いている感情は、時間が経って弱まるどころか強くなっている。氷の病で周囲から虐げられる人々を見るたびに、彼らを蔑む人間の顔が故郷の人々と重なるのだ。
そうして大きく膨らんだ怒りが逃げ場を失って、全てを消してしまいたいと、壊してしまいたいという殺意へと姿を変えていく。
自分の中にあるその醜い感情を否定する気はない。だがそれをロネに言う必要がないことくらい分かっていた。
それなのに口にしたのは逃げるためだ。彼女から、あるいは彼女を見ているとどうしても思い出す、幸せだった頃の記憶から。
それでも、泣かせたいわけではなかったのに――後悔して、イヒカは顔を歪めた。
『――どの口が言ってるの?』
ロネの冷たい声が脳裏に蘇る。
『私から逃げてるくせに、イヒカに私のこととやかく言う資格なんてない』
全く以てそのとおりだ、とイヒカの口から乾いた笑い声が零れた。
「……話した意味ねェじゃん」
話す前と変わらない状況に呆れしか感じない。
イヒカは諦めたように大きく息を吐き出すと、大儀そうに立ち上がった。凝ってもいない肩を伸ばすように腕を動かして、「あー……」と意味もなく空に向かって気怠げに唸る。
宿に戻ろう――そう思い至って、イヒカは周囲に視線を向けた。ここはどこだろうか。何も考えずに歩いてきたせいで、自分が今フィーリマーニの街のどのあたりにいるのかすら分からない。
「あのでっかい建物って中心らへんのだっけ……?」
唯一見つかった目印だったが、自信が持てずに首が傾く。それでもとりあえず足を動かしてみれば、少し遠くから物音が聞こえてきた。常に排気管から響いている音ではなく、キィキィと何かの軋む音だ。
「……車輪か?」
幌馬車の車輪の音とよく似ている。これがもしそうなのであれば、それの向かう先は逗留所だろう。そこまで来れば流石に道も分かるはずだと考えて、イヒカは音の方へと向かった。
だが、近付いても音はさほど大きくはならなかった。車輪は車輪でも、小さな荷車の車輪だったからだ。
外れか――イヒカの眉が曇る。馬車ならほぼ確実に逗留所へ向かうだろうが、荷車はどうだか分からない。隊商のような者達のものであればいいが、それ以外だと向かう先は見当も付かないのだ。
傍にいる人間の格好を見て考えよう、とイヒカは荷車の方をよく見てみた。荷車を引いているのは二人、その傍らにもう一人。そして三人とも軍人のような格好をしている。
「……ヒルデル?」
彼らの背中にあるマークを見て、はて、と首を傾げる。よく事情も分からないまま荷車の方を注視すれば、荷物を隠すようにかけられた布にも同じマークがあるのが分かった。荷物の形の影響を受けた布のシルエットは、丸い。ちょうど車輪の上に布を被せたようなその形に、なんだろう、とイヒカの眉間の皺が深くなる。
風でも吹けば布が捲れるかもしれないが、生憎布の上からは縄が張られていた。これではよほどの強風が吹かない限り中は見えないだろう――イヒカが諦めて目を逸らそうとした時、ガタン、と荷車が揺れた。大きな段差があったのだ。そのせいで布の中の荷物がゴトリと倒れるような音と立て、荷車の傍にいた男が中身を確認しようと縄の隙間から布を捲った。
男はただ覗き込んだだけ。だから捲られたのはほんの少し。
それでもイヒカにとっては十分だった。そこから現れたのは鉄。鉄でできたものなど、物心つく頃から数えきれないほど見てきている。それこそ、誰も何に使うのか知らないような部品だって。
「デカい金属の筒と……歯車か?」
はっきりと見えた形が、頭の中で一気に組み立てられる。
「……あれ、機関銃じゃね?」
浮かんだ答えに「いやいやいや……」と呟いて、イヒカは見なかったことにしようとばかりにそこから離れて行った。
§ § §
イヒカが宿に着いたのは、それから三〇分ほど後のことだった。歩き回っているうちに知っている場所を見つけ、そこからどうにか宿への道を辿っていったのだ。
「あー……やっと着いた」
食堂にいたグレイ達を見て、イヒカがふうと息を吐く。そのまま「まだメシ食ってんの?」と問えば、「お前自分が何時間いなかったか分かってる?」と近くにいたトーズが呆れた目を向けた。
「あァ、そっか。もう結構経ってんのか……つーかヒューは?」
「お、仲直りするの? あいつならウリカに引き摺られてったよ」
「なんだそれ」
イヒカは仲間達の使っていたテーブルに近くの椅子を引っ張ってきて、そこによいしょと腰を下ろした。
「なんだよ、ジルまでいるとか珍しいじゃん」
「後から来たのはこいつらだ」
そう言って不機嫌そうにジルが睨んだのはトーズとリタだった。「だってお腹空いたし」とリタが答えれば、「だからって同じテーブルを使う必要ないだろ」とジルが嫌そうに返す。
「イヒカの用事は済んだんですか?」
「……うーん、まァ」
グレイの問いに気まずそうに返して、イヒカは話を逸らすように「あーそうそう」と声を上げた。
「そこらへん歩いてきたんだけどさ、街の真ん中の方に建物いっぱいあるところあるじゃん? あそこでなんか変なモン見たわ」
「変なもの?」
問い返したのはグレイだ。イヒカは相槌を打った彼にうんと頷いて、「はっきり見たワケじゃねェけど、」と言葉を続ける。
「なんかヒルデルのマーク入った服着た奴らがさ、ゴツい荷物運んでたんだよ。ンでなんだろうなーと思って見てたらデカい金属の筒と歯車っぽいのが見えてさ。多分分解した状態だと思うんだけど、もしそうなら機関銃っぽいなァって」
「機関銃? なんでここにそんなものがあるの?」
そう呆れたように言ったのはトーズだった。自分の言ったことをまるで信じていないようなその口振りにイヒカは不機嫌そうに口を尖らせると、「オレが知るかよ」とトーズを睨みつけた。
「ただそう見えたってだけ。もしかしたら別の何かかもな」
「ふうん?」
煮えきらない様子でトーズが首を傾ける。その近くでグレイは微かに瞳の色を落とし、ジルは鋭い目で窓の外を睨みつけていた。




