081. 東の秘密 (6/6) - 立ち往生の先
あまり広いとは言えない食堂の一角で、イヒカが黙々と口を動かす。自分が頼んだ分だけではなく余っていた料理も着々と平らげ、狭かったテーブルにはかなり空きができていた。
一方で彼以外の五人は飲み物を飲みながら、引き続き今後の予定について話していた。昨日卸しきれなかったもの、この街で仕入れても良さそうなもの、グイの健康状態――それらの話が一通り終わるのを察すると、イヒカは「ところでさァ、」と口の中の物を飲み込んだ。
「道が直るまで何してりゃァいいの? 卸すのもすぐ終わるし、仕入れだってこの街じゃ大したものないんだろ? そりゃグイの世話は毎日必要だけど……ぶっちゃけそれ以外することなくね?」
イヒカの言葉にヒューが不思議そうな表情を浮かべる。「武器屋くらいはあるんじゃねェの?」考えるように言いながらイヒカに目を向けた。
「盗賊に襲われやすい隊商が多く来るんだ、最低限補充できるくらいは武器類も揃ってるだろ。お前はそれ見てくればいいじゃねェか。武器ならいくら見てても飽きないだろ?」
「……そうだけどさァ」
気まずそうに顔を顰めながらイヒカがコップを口に付ける。ごくりごくりと喉を動かすも、その間にヒューの視線が自分から外れなかったことに気が付くと、更に眉間に力を入れた。
「……あんま出かけたくない」
「はァ? どうしたよ、変なモンでも食ったか?」
不貞腐れたように言うイヒカに、ヒューが訳が分からないと言った様子で首を傾げる。そんな二人のやりとりを見ていたトーズは「イヒカ」とその名前を呼ぶと、じっと相手の顔を見つめた。
「ヒューに説明する必要はないけど、ちゃんと考えないと駄目だよ? 今話さなかったらきっともう何年もその機会はなくなっちゃうんだから」
「分かってるよ。すぐには嫌なだけ」
「なんだなんだ、何かあったのか?」
ヒューが興味深そうに問いかければ、イヒカは嫌そうに目を逸らした。直前に視界に入った好奇心に満ちた顔を思い出し、「ほっとけ」と無理矢理話を打ち切る。
「なんだよ、可愛くねェな」
イヒカの反応を見てヒューがつまらなそうに言ったが、それ以上追求する気はないらしい。「まァ、確かに一週間は長いよな」と思い出したように呟くと、「どうすっかなァ」と声を漏らした。
「俺は別にいいけど、あんま長居したくない奴もいるだろ?」
そう口にするヒューの目はリタに向けられていた。そしてその視線はグレイ、ジルと移動し、最後にまたリタへと戻る。
ヒューに答えを求められたリタは肩を竦めて、「ずっと隠れっぱなしは嫌だね」と苦笑を返した。
「そんなことをするくらいなら、私はイースヘルムに行ってみたいな。今後は薬草採取に同行することになると思うけど、先に軽く向こうでの過ごし方を把握していた方が後々良さそうだ」
「なるほど、それでもいいかもな。この街からならちょうど行きやすい。リタと……グレイ達も来るだろ? あっちの方が人間は少ないから楽なんじゃねェか?」
リタの言葉を受けてヒューが問いかければ、グレイはゆるゆると首を横に振った。
「いえ、私達は遠慮します」
「なんで?」
「あっちに行ってしまったら顔を隠す理由がなくなるでしょう? ヒルデルの雇った回復者の中に知り合いがいないとも限りません」
「あー……それもそうか」
気付かなかったと言わんばかりにヒューが頷く。「ンじゃ俺とリタだけで行くかな」と口にして、しかしすぐに「いや、駄目か」と表情を険しくした。
「そういうリスクがあるならリタもやっぱやめといた方がいいんじゃねェの? お前だって流石に知り合いの一人や二人いるだろ」
「私は知り合い自体が少ないからそんなに心配しなくていいよ。それにほら、前にも言っただろ?」
「……あァ、そうだったな。だったら向こう行ってた方がお前は楽か」
ヒューとリタの会話にイヒカが眉間に皺を寄せる。「またそうやって二人で話しやがって……」不機嫌そうに言えば、リタが「イヒカはそんなに私のこと気になる?」と妖艶に笑う。するとイヒカはうっと表情を強張らせて、「そういう笑い方すんなよ!」と逃げるように顔を背けた。
「お前まだリタのそれ怖いのか?」
呆れたようにヒューが言う。その言葉にイヒカは目を吊り上げると、「うっせェな!」と声を荒らげた。
「しょうがねェだろ! リタがああいう笑い方する時は大体ヤバい話しかしねェんだもん!」
「まァ、お前はな……」
完全に不機嫌になりそうなイヒカを見てヒューが苦笑いを浮かべる。そのまま小さく溜息を吐くと、気を取り直すように「じゃ、話戻すけど」と口を開いた。
「最初に言ったとおり、イースヘルムには俺とリタ二人で――」
「オレも行く」
「はァ?」
割り込んできたのはイヒカだった。それを聞いたヒューが素っ頓狂な声を上げる。「折角俺が気ィ遣ったのに……」疲れたように吐き出すと、横からトーズが「イヒカ、俺の話聞いてた?」と厳しい声を出した。
「今イースヘルムに行って、あの子のことどうするの?」
「分かってる。……ちょっとゆっくり考えたいんだよ」
「えー……じゃあ俺あの子に言ってこないと」
「嫌だなぁ……」めそめそと零すトーズをイヒカが睨みつける。「わざわざ言う必要ないだろ」と怒ったように言えば、トーズは「ありますぅ!」と声を張り上げた。
「言わないと信頼関係が築けないんですぅ!」
「ンなモン必要ないじゃねェか」
「あるよ。だってあの子も銀狼だもん」
「……は?」
「ウリカのとこで働いてるんだって。それで昨日宿に送った時にウリカ達と会ったんだよ」
「はァ!? うわ……何やってんだよ、アイツ……」
信じられないと言わんばかりにイヒカが顔を引き攣らせる。それを見ていたトーズとジル以外の面々は不思議そうな顔をしていたが、トーズは構う様子もなく言葉を続けた。
「ま、下手な連中と一緒にいるよりずっとマシなんじゃない? そいつら自身が大丈夫かもそう、いざと言う時に頼りになるのかもそう。その点ウリカならどっちも問題ないじゃん。男には厳しすぎるけど女の子には優しいし」
トーズの話を聞きながら納得したように表情を和らげたイヒカだったが、ふと思い出したように眉根を寄せた。
「……つーかさ、ウリカは知ってんの?」
「うん、俺から言ってある。そうじゃなくてもあの子が話すでしょ」
「だからお前こんなに言ってくるのか……。ああもう、ホント最悪だ。オレ絶対ウリカに会いたくねェ」
そう言って頭を抱えたイヒカに、「怒られるだけのことをした自覚はあるんだ」とトーズが笑う。「……うるさい」反論するイヒカの声は酷く弱々しい。
「なんだイヒカ、お前もう浮気してんの?」
ヒューがニヤニヤと笑いながら問いかければ、「そういう話じゃねェの!!」という悲痛な叫びが食堂に響いた。
§ § §
今後の予定が決まった後、食堂にいた面々は解散となった。ヒュー、リタ、イヒカはイースヘルムへと向かう準備をし、トーズは情報交換という名目でウリカ達の元へ行っている。
残されたグレイとジルは人目を避けたいという事情もあって、隊商の幌馬車で見張りを兼ねた荷物の整理をしていた。
「――一週間はちょっと長いですね」
あらかた荷物を片付け終えると、グレイは幌を捲くって中で剣を磨くジルに話しかけた。
「いつもと変わらないだろ。同じ場所に留まるだけだ」
グレイを一瞥もせずにジルが答える。剣を磨き続ける手も、全く動きを乱さない。
「だからですよ。どうせこの街で入れるところまで入る気でしょう? あなたの顔は目立つんです。ローゼスタットの人間に会わなくても噂にはなるかもしれません。いつもならその前に離れられますが、今回はそうもいかないでしょう」
「面倒だな。いっそ焼くか」
「……いつから冗談言えるようになったんですか?」
「本気だ」
「でしょうね」
相変わらず自分を見ないジルを見ながら、グレイが困ったように眉尻を下げる。
「流石にそれは勘弁してください。顔の判別ができないくらい焼こうとすれば命を落とす危険があります。あなたならよく知っているでしょう?」
「なら忘れられるのを待つだけか。一体いつになるんだか」
「確かに、目的を果たす方が早そうですね」
グレイが言うと、ジルが剣を磨く腕を止めた。その目がぼんやりと剣を眺めているのに気が付いて、「……ジル?」とグレイが訝しげに呼びかける。するとジルは一つ瞬きして、「惰性だな」と小さく呟いた。
「何がですか?」
「さあな」
そう短く返したジルには自分の質問に答える気はないらしい――グレイが小さく息を吐いた時、「ただ、」とジルが言葉を続けた。
「最近じゃこれに何の意味があるんだと思わなくもない」
「あなたが言い出したことですよ。意味があるからこそ始めたんでしょう?」
「……まあな。俺はそうしなければならなかった」
珍しく感情の乗った低い声に、グレイは無言で首肯を返した。そしてジルの持つ剣を見て、微かに表情を曇らせる。
よく磨かれた剣身は妖しく光を反射し、美しさすら漂わせていた。もう話は終わったと判断したらしいジルが手入れを再開すれば、彼の手の動きに合わせてまるで呼吸するかのように輝きを増す。
だがその剣はただの人殺しの道具で、頻繁に買い換えられていることをグレイは知っていた。品質は確かだが、ジル自身には何の思い入れもないただの刃物。傷めば捨て、新しいものと簡単に取り替えられる程度のもの。そんなものが独特の空気を放つなど有り得ない――グレイは剣から目を逸らすと、「もし、」と静かに口を開いた。
「もし今の目的が果たせてしまったら、また別のものを考えましょう。あなたには少なくとも私よりは長生きしてもらわないと」
言葉を紡ぎながらにっこりと笑ってみせれば、その顔を見たジルは嫌そうに顔を顰めた。




