076. 東の秘密 (1/6) - 異質な街
ガタガタと小刻みに振動する幌馬車の中、狭い床に座るグレイは隣に置いていた剣を引き抜いた。手入れの行き届いた刀身は鏡のように明かりを反射し、刃こぼれ一つ見当たらない。
普段であれば、動く幌馬車の中で剣を抜くことは滅多にない。狭い空間で複数人が共に過ごすためだ。たとえグレイの手元が狂う心配がなくとも、揺れでバランスを崩した人間がそこに飛び込んできてしまうかもしれない。
だが今は、そこにグレイ一人しかいなかった。ここは通常人間が乗ることのない幌馬車、薬草の保管箱があるため幌内部の温度も低い。
この場所を人間が使うのは仮眠のためのことが多かった。長時間外で見張りをしていた者が、一人で休める唯一の空間。とはいえ脚を伸ばして寝られるほどのスペースはない。
しかし座ったまま仮眠を取るグレイにとっては、狭さはあまり問題にはならなかった。今も軽く眠り、既に目は冴えている。それどころか鋭利な刃を見つめる目は同じくらいに鋭く、剣を持つ手は微動だにしない。
「……ここまで東に来るのは四年ぶりですかね」
確認するように呟いて、剣を鞘に戻す。続いて身に付けている銃を一つ一つ手に取って、弾が全弾装填されているかを確認していく。
そうして隠し持っているナイフまで問題ないことを確認し終えると、グレイはふうと大きな息を吐いた。
「あなたとの約束は必ず守ります」
言いながら、ゆっくりと目を閉じる。瞼の裏に浮かんだ光景を愛おしむように、深い呼吸を繰り返す。
グレイが次に目を開いたのは、街に入った幌馬車が速度を落とし始めた頃だった。
§ § §
リシエを発ってから五日あまり。途中で小さな町での休憩を挟んで、隊商は目的地であるフィーリマーニに到着した。
フィーリーマーニの街並みは、近隣のそれとは全く異なっていた。建物の造り自体はさほど変わらないのに、街中を大きな管がいくつも走っている。地下道や家の中にあるような暖房管と造りこそ似ているが、大人ですら通れそうなくらいの太さのものは珍しい。それが一本二本ではなく、そこら中に張り巡らされている様はもはや異常と言ってもいいだろう。更には街の至る所に広い資材置き場があり、そこには大量の鉄や木材が置かれていた。
空気は少し、濁っている。視界が鮮明でないのは排気ガスのせいだろうか。先頭をグイに乗って進んでいたイヒカがマフラーの下を摘んで少し外気を吸い込んでみると、「ケホッ……」と小さな咳が出た。
幼い頃に工房でよく吸っていた空気だ、とイヒカは目を細めた。燃料を燃やした時に発生するガスと、資材を加工した際に出る埃のような削りカスの混ざった、体にあまり良くない懐かしい空気――自然とイヒカの顔が歪む。
カヴァロの町並み、工房、家、それから墓。フラッシュバックのように脳裏を過っていった映像を頭を振って追い出し、イヒカは道の標識を探した。
馬車の逗留所は街外れにあるものだが、大抵の場合は街中を通り抜けられるような大きな道の先にある。今隊商が通っているのもその道で、少し先に逗留所の場所を案内する看板があった。濁った空気のせいで少し霞んでいるが、この距離からでも十分に読むことができる。
イヒカはそれまでの思考を全て頭の隅に追いやると、その看板に沿ってグイを動かすことに集中した。
§ § §
「――ひっろ……」
一仕事終えた後、フィーリーマーニの逗留所を見渡したイヒカは感嘆の声を上げた。
滅多に見られないほどの広大な敷地。たくさんの馬車が停まっていて、隊商の幌馬車も既に先頭を進んでいたイヒカ自身の案内で十分な空きスペースに停められている。つまりイヒカはもう一通り逗留所を見てはいたのだが、自分達の幌馬車を安全に停車させるという目的を達成した後で見ると全く違った景色に見えてくるのだから不思議だ。
先頭の仕事は、安全と進路の確認。だからその仕事中は逗留所に十分な空きがあるかどうか、近くに危険がないかどうかという観点で周囲を見ている。そのため広くてもそこまで何も思わない。
しかしひとたび仕事から離れてしまえば、頭に浮かんでくるのはイヒカ個人の感想だ。街外れということで空気の悪さもなく、こんな不便な土地によくこれだけのものを作ったものだと素直に驚いていた。
「ほらイヒカ、ボサッとしてんな」
「あ、ごめん」
ヒューの叱責にイヒカが慌てて意識を戻す。幌馬車の周りでは仲間達が忙しなく動いて荷物の整理をしていた。
グイ一頭で引ける組み立て式の荷車にどんどん荷物を載せていっているのは、街中へと運び込むためだ。今回隊商が西から運んできたのはほとんどがこの街から発注された品、荷車は二台しかないため卸先の数に関係なく何往復もしなければならないだろう。
「そうだ、ヒュー。街の中グイ連れてくならマスクさせてやって。結構空気悪かった」
「臭いだけじゃなくて?」
「吸いすぎると体壊すやつだよ、昔吸ってた空気によく似てる。夏でも近くを通る時はマスクしろって言われるんだ。お前もまだ結構な怪我人なんだから気を付けろよ」
イヒカの言葉を聞いたヒューが僅かに目を見開く。「……そういやお前、工房が遊び場だったんだっけな」思い出すように小さく呟くと、イヒカの頭をわしわしと撫で回した。
「おい、やめろよ!」
マントのフードごと撫でられながらイヒカが声を荒らげる。ヒューの腕を掴んで頭から引き剥がそうとしていたものの、「俺怪我人だぞ」とヒューが言ったため渋い顔でその手から力を抜いた。
不満そうな表情のイヒカを見て、ヒューが安心したように笑みを零す。そうして「ンじゃグイのことはお前とデンゼルに任せるわ」と言うと、やっとイヒカの頭から手を離した。
「ついでに厩舎も確認しておいてくれ。まァ大丈夫だとは思うが、万が一っつーのもあるからな」
「駄目だったらどうすんの?」
「この規模の街ならいくつかあるだろ。無事なトコ探してくれ」
「りょーかい」
ヒューに返事をしながら、イヒカはフードを脱いで髪を掻き上げた。布越しに撫でられたせいで違和感が残るのか、何度も解すように指を動かしている。
「そんなに気になるなら短くしちまえばいいのに」
「これ以上切りたくねェの。つーかヒューが触らなきゃいい話なんだよ」
そう苛立ったように言ったイヒカだったが、頭から手を離すと気を取り直すように先程まで乗っていたグイの手綱を持ち直した。そしてそのまま歩き出そうとしたが、ふと「あれ?」と首を捻りながら動きを止めた。
「そういやグレイ達はあんまり街ン中行きたくないんじゃなかったっけ? オレそっち行かなくて平気?」
イヒカの問いにヒューが「あ」と零す。「……そういやそうだったな」と困ったような顔でマスクの上から頬を搔き、幌馬車の方へと向かって「グレイ! ジル!」と声を張り上げた。
その声で、作業をしていた二人が手を止める。何故呼ばれたのか承知していると言わんばかりの様子で自分の方へとやって来たグレイ達を見て、ヒューは「邪魔して悪いな」と口を開いた。
「お前らどこまでだったら街の中入って平気なんだ? 故郷の奴らに会いたくないんだろ?」
ヒューが問えば、グレイは「ある程度なら大丈夫ですよ」と笑みを返した。
「屋外で荷物運びするくらいなら問題ありません。不特定多数がいるところで顔や声を出したくないだけなので」
「知り合いがいねェって分かってる場所なら建物の中でも問題ないってことか」
「そうですね。……でもジルの容姿は目立ちますから」
苦笑しながらグレイが視線を向ければ、ジルは嫌そうに顔を顰めた。
「別に普通だろ」
「ほう、全方位に喧嘩売ったな今」
ヒューがぎこちない笑みを浮かべる。「ヒューってば僻んでんの?」とイヒカがからかうように言うと、ヒューは「うっせェな!」と声を荒げた。
「……まァいいや。じゃ、グレイは俺と一緒に宿探してくれるか? 目立たない場所がいいだろ。程度が分からんから自分の目で見繕ってくれや」
「すみません、気を遣わせて」
「本当だよ、ったく。ジルはトーズと品物卸しに行ってくれ。あいつが全部喋るから力仕事だけ手伝えばいい」
ヒューの指示にジルはコクリと頷くと、グレイと共にそれまでしていた作業へと戻っていった。
「――ここって結構長居すんの?」
一連のやり取りを見ていたイヒカが街に顔を向けながらヒューに問う。ズヴェルヴァスキやコールも大きな街だったが、このフィーリマーニはそれらよりも明らかに大きい。逗留所に来るまでにイヒカが見た限りでは、人々は大抵開発関係者で、ただの住民と呼べるような人間は見当たらなかった。だが、それも開発が進んでいけば変わるのだろう。
ただ荷を卸すだけなら一晩休んで明日にも出発できるだろうが、イヒカは少しだけこの変わった街を見ていきたい気持ちがあった。
「二、三日ってトコかな。俺もちょっと色々見て回りてェし」
どうやらヒューも自分と同じ考えだったらしい、とイヒカは少し上機嫌になりながら隣を見上げた。だがそこにあったヒューの顔は、予想に反して微かに厳しいものになっている。「ヒュー?」イヒカが声をかければ、ヒューは「ん?」といつもの表情でそれに答えた。
「いや、やっぱいいや。気の所為」
「なんだよ、さては昔を思い出して甘えたいのか? いいぞ、いくらでも来い!」
「は!? ンなワケねェじゃん! つーかオレお前に甘えたことなんてねーし! あとその顔ムカつく!!」
両腕を広げたヒューから逃げるようにイヒカがグイと共に距離を取る。「厩舎見てくる!」と大声で言いながらグイに乗ったイヒカの背にヒューは目を細め、「……何もないといいけどな」と小さく呟いた。




