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果ての銀花と愚者の杭  作者: 丹㑚仁戻
第二章 命の選別
51/222

051. 壊れた天秤 (5/5) - 不安要素

 イヒカ達がギョルヴィズに着いた時には日は傾きかけていた。そこから進めるところまで進んだものの、元々抜けるのに最低でも一日はかかるこの森を、完全に日が落ちきるまでの短時間で抜けることなどできはしない。

 真っ白な景色は夜闇の中でも些か見えやすい方だが、コンパスすら使えないここでは肌に感じる気温と視覚だけが頼り。その片方の精度が下がれば迷う原因になる。普段ならば多少迷ったところであまり気にしない面々ではあったが、「無駄に時間を使いたくねェ」というヒューの一言で、イヒカ達は夜が来ると同時にこの日の進行を止めることになった。


「――そんな慎重になることある?」


 イヒカがヒューに問いかける。焚き火を取り囲む彼らは既に夕食を済ませ、今は寝る前のゆったりとした時間を過ごしていた。


「言ったろ、ここから先は目的地が決まってない。ざっくりフィーリマーニ方面に進みながらっていう方針はあるが、ヘルグラータを探さないといけねェから迷子になんてなってられねェんだよ」


 ヒューが言い聞かせるように答えれば、イヒカは怪訝そうな表情になって、「それなんだけどさ、」と橙色の光に照らされた相手の横顔に目を向けた。


「そもそもヘルグラータが生えてるところってどうやって探そうとしてんの? どういうところに生えやすいって情報もないワケじゃん。なんとなァく洞窟っぽいトコに多い気もするけど確実じゃないし……手当り次第に行くのか?」


 イヒカの問いに、グレイも「私もそれは気になっていました」と同意を示す。


「今まで見てきた場所に目立った法則のようなものはありません。ヒューが場所を知っているからそこについて行っていましたが……あなたはいつもどうやってあの場所を見つけてるんですか?」


 琥珀と灰の瞳を向けられて、ヒューがううんと顔を顰める。


「……勘?」


 ややあってから発せられたその答えに、イヒカは思い切り顔を歪めた。


「勘って……嘘(くせ)ェぞ」

「うるせェな、深く突っ込むな」

「本当にヒューって嘘が下手ですよね」

「ああん?」


 呆れたように言う二人に、ヒューが剣呑な眼差しを向ける。だがその目を向けられた二人は気の抜けた様子で肩を竦めただけだった。


「ま、ヒューが言わないなら深入りはしねェよ。そういうルールだしな」

「ええ、恐らく知られたくない事情があるんでしょう。だから今まで私も聞きませんでしたし、こうして正面から誤魔化されたとなってはこれ以上聞くわけにもいきません」

「……そりゃどーも」


 ヒューが頬を引き攣らせて礼を言うと、イヒカが「けどこれだけは教えて」と真剣な面持ちを浮かべた。


「今回、ちゃんと見つけられるんだよな?」


 イヒカの問いにグレイも纏う空気を硬くした。見つけられなければリタが死ぬのだと、二人の視線がヒューに訴えかける。


 焚き火の明かりがヒューの顔をゆらゆらと照らす。下からの明かりは彼の目元に影を作って、マフラーも何も隠すものがないのにその表情を押し隠そうとする。

 そんな中ヒューが唇を動かす素振りを見せれば、イヒカが小さく喉を鳴らした。


「知らん」

「は!?」


 放たれた言葉にイヒカが驚愕を顕にする。だがヒューは両手を広げると、「しょうがねェだろ」と反論するような声を上げた。


「あんな希少な植物がそうほいほい見つかるワケがねェんだ。だから俺は時間を無駄にせず動きたいっつってンだよ」

「そうだろうけどさァ……」


 明らかに納得していない声を出しながらイヒカが焚き火に視線を移す。もどかしそうに何度もヒューを窺い見るが、深入りしないと言ったばかりではそれ以上質問を重ねることはできないようだ。

 そんなイヒカの様子を見ていたヒューは溜息を吐くと、「それにこの先はちょっと厄介でな」と口を開いた。


「厄介?」

「ああ。デカい亀裂があるって言っただろ? そういうトコは大体〝ニムリスの民〟の縄張りなんだよ」


 ヒューの言葉に、イヒカとグレイが不思議そうな表情を浮かべる。


「なにそれ?」

「聞いたことないですね」

「ああ、言ってねェ」


 当たり前のようにヒューに返されて、イヒカ達は訝しむように眉を顰めた。


「イースヘルムにも寒さに適応した動物がいるだろ? いるんだよ、そういう人間も」

「……オレ達みたいなのじゃなくて?」

「違う」


 はっきりとした声でヒューが否定する。それを聞いたグレイは真剣な顔をして、「なんで今まで黙ってたんですか?」と問いかけた。


「俺も会ったことがねェから」

「はァ?」


 ヒューの答えに声を発したのはイヒカだ。彼は怪訝な表情を不機嫌そうなそれに変えて、「意味分かんねェ」とヒューを睨んだ。


「会ったことねェのになんでいるって分かるんだよ。しかも縄張りがどうとかまで」

「銀狼に伝わってるんだよ」


 再びイヒカが「は?」と声を漏らす。ヒューは一呼吸置くと、それに答えるように口を動かし始めた。


「俺が聞いた話じゃァ、ニムリスの民は俺らみたいな外の人間を嫌っててな。初代の銀狼がお互いの縄張りは荒らさないってルールを設けたんだとよ。だから通るだけなら攻撃されることはないだろうが、あんま向こうの目につく動きをしちまうと厄介事になりかねない」

「でも初代って一〇〇年くらい昔の話だろ? 信じられるのかよ、それ」

「先代のハルゼが一度だけ会ってる」


 ヒューが答えれば、それまで半信半疑といった様子だったイヒカ達が纏う空気を張り詰めさせた。


「会うと面倒臭いのは確実だから、今まで連中がいそうな場所は避けてきた。だからお前らにも言ってなかった」


 二人が自分の話を信じたのを察し、ヒューが補足するように付け足す。それを聞いたグレイは神妙な面持ちで「情報統制ですか」と呟いた。


「ジョウホウトーセー?」


 不思議そうにするイヒカを尻目に、ヒューがグレイに向かって小さく頷く。


「そういうこと。ニムリスの民のことを知る外の人間はほとんどいない。これでもし知られたらどうなる? 回復者(スタネイド)以外で寒さに適応した人間なんて、一部の奴らにとっちゃお宝みたいなモンだ。金に目のくらんだ連中が重装備で押しかけてくるだろうよ。まァ大半は途中で死ぬだろうが、辿り着いちまうモンも出るだろう。そうならないようにニムリスの民のことを知る人間は極力少なくしておかなきゃならねェ……たとえ隊商(キャラバン)の人間でもな。これを教えられるのは基本的に各銀狼の隊長だけだ」


 ヒューの言葉を聞いて、イヒカが納得したように「……ほう?」と頷いてみせた。だがその表情と声音は一致していない。

 イヒカの様子にヒューが内心で呆れていると、グレイが探るようにヒューを見つめた。


「いいんですか? そんな彼らの縄張りを通って」

「それしかねェからな。もしニムリスに会ったら頭下げまくるしかねェよ。幸い言葉は通じるらしい」


 諦めたようにヒューが息を吐く。そして思い出したような顔をすると、「とりあえずイヒカ、」と視線を向けた。


「このことは誰にも言うなよ? お前ちゃんと話を理解してなさそうだし」

「はァ!? 馬鹿にしてんのか!?」

「おう」

「はぁああああああ!?」


 突然馬鹿にされたことが気に障ったのか、イヒカが盛大に顔を歪める。「もういい、寝る!」そう言ってテントの中に入っていったイヒカを見送りながら、ヒューは大きな溜息を吐いた。



 § § §



 それからしばらくは静かな時間が続いていた。テントの方へと聞き耳を立てれば、イヒカの寝息が聞こえてくる。ヒューとグレイはお互いに言葉を交わすわけでもなく、ぼんやりと火を眺めたり武器の手入れをしたりしていた。

 だがそんな中、不意にグレイが「それにしても、」と沈黙を破った。


「今のヒューは相当無茶してるんですね」

「あ?」

「ニムリスの民のことを私達に教える時点で、銀狼の隊長としてのルールは破ってるんでしょう?」

「……うるせェな、しょうがねェだろ。出会う可能性があるなら事前に知らねェと揉め事になりかねねェ」


 言い訳するように答えて顔を背けたヒューに、グレイは暗い瞳を向けた。


「殺しておけばよかったと思いますよ」

「は?」

「あの男です」


 グレイの言葉にヒューが瞼を伏せる。表情もなく焚き火を見つめ、ゆっくりとコートの胸ポケットに手を伸ばした。

 そこから出てきたのはスキットルだった。酒の入っているであろうそれに「ずるいですね」とグレイが目を細める。


「やらねェぞ」

「持ってますので」

「……ああそう」


 ヒューが引き攣った笑みを浮かべる。そして気を紛らわすように、ぐい、とスキットルを傾けた。

 トクトクトク、と中の酒が流れる音が小さく響く。金属と唇の間に親指を挟み、口を広げたまま飲んでいるせいだ。

 イースヘルムに近いこの場所の気温では、たとえ胸元に入れておいた金属でも瞬時に冷え切る。回復者(スタネイド)の体温は常人よりも低いが、常に零度を下回るわけではない。特に焚き火に当たっているこの状況では外気よりもずっと高い熱を持っているだろう。だから長時間手袋を外し、表面がすっかり外気と同じくらいの温度になった指を挟まなければ唇が金属に貼り付いてしまうのだ。


 ヒューがスキットルを口元から離しながら、ごくりと喉を動かす。そうして彼が酒を飲み込んだのを見届けて、グレイは静かに話を再開した。


「リタがあの時あなたを止めたのは理解できます。もしあのまま彼を殴り殺していれば、あなたは今ここにいなかったかもしれない……そう思えるくらい、あの時のあなたは冷静じゃなかった。だからリタは自分にあんなことをした相手の命を救うことになるのだとしても、あなたを止めるべきだと判断したんでしょう」

「でもお前は納得してないって?」

「納得はしていますよ。ただ今後のことを考えれば、方法はともかくとして殺しておいた方が心配事がなかったという話です。あの男はまたいずれ同じことをしますよ。病が進行すればこの間よりも捨て身になるかもしれない。だったら殺しておくのが一番です。隊商(キャラバン)を守るにしろ、リタを守るにしろね」

「……軍人様は合理的ねー」

「あなたは非合理的ですね、ヒュー」

「俺が?」


 心外そうな顔をしたヒューを、グレイの鋭い目が見つめる。


隊商(キャラバン)の隊長であるあなたが自分の命を危険に晒してまで、たった一人の仲間を守ろうとする――普段のあなたなら考えられない行動です。あなたは確かに人情に厚いですが、自分のことも集団の一部と捉えている。だからこそ、隊商(キャラバン)を危険に晒すような無茶はしない。それなのにリタの命を救うため、銀狼としてのルールまでも破っている……たった四年の付き合いですが、私の知るヒューという人物は誰よりも銀狼のルールで己を律していたはずなのに」

「…………」


 グレイの視線から逃れるようにヒューは再び酒を口に含んだ。しかし今度は彼がそれを飲み下すのを待たず、グレイが言葉を続ける。


「あなたとリタの関係が特別であることは察していますが、流石に度を越しているんじゃありませんか?」

「……越してねェよ。俺は俺のやるべきことをやってるだけだ」


 目を逸らしたヒューにグレイは溜息を吐くと、「まだ好きなんです?」とそれまでよりもいくらか軽い調子で問いかけた。


「ンなワケねェだろ、嫌なこと思い出させンじゃねェ」

「ああ、でも惚れてはいたんですね」

「あ?」


 グレイの口角がゆるりと上がる。


「だってリタの口振りでは、てっきりあなたはシチュエーションに酔って美女と勘違いしていた相手に手を出しただけのようだったので……なるほど、元々惚れていたわけですか。それはさぞかしショックだったでしょうね。渾身の告白で玉砕した上に、相手が自分にとっての()()()だったんですから。あ、ついでに舌も噛み千切られかけたんでしたっけ」

「……うるせェぞお前、特に顔」


 心底嫌そうヒューが唸れば、グレイは「そうですか?」と笑みを深めた。


「イヒカは格好良いと言ってくれましたよ」

(すげ)ェニタニタしてんだよ、さっきから!」


 ヒューの大声に、「うるせェ!!」とテントの中から怒声が響いた。

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