045. 再会の棘 (5/6) - 試行する悪意
翌朝、隊商は馬車の逗留所で出発の準備をしていた。距離の離れた次の町までの道のりに備えて昨日から準備をしており、今日はあまり日持ちしない食べ物くらいしか新たに積み込むものはない。だから他に準備と言っても厩舎からグイを連れてくる程度だったが、いつもよりもその場には緊張感のある空気が漂っていた。
「なんでグレイまだ起きてんの?」
マントを羽織り、ピンと伸びた背筋で幌馬車の周囲を歩くグレイを捕まえて、イヒカが怪訝そうに問いかける。そんなイヒカの姿を見てある者は驚いたような顔をし、またある者は安堵したように息を吐いた。
ある者の一人、リタが「便利な性格だよね」と近くにいたジルに話しかける。「どうせお前は知ってるんだろ?」睨むように答えたジルにリタは肩を竦ませて、「怖い怖い」と戯けるように言いながらジルから離れていった。
「――夜見張りしてたんだからさっさと寝ろよ」
イヒカの声が響く。彼はグレイの隣に並ぶと、同じように逗留所の奥へと向かって歩きながら、不満そうな目を長身の相手に向けた。
「移動し始めたら寝ますよ」
「だったら今から寝ればいいじゃん。今日荷物少ないし、みんないるから見張りなんて必要ないだろ?」
「おや、ただ歩いているだけですよ?」
「嘘吐け。そのマントの下、銃構えてるだろ。しかも周りにも気ィ配ってんじゃん」
「へえ、分かるようになりましたね」
「当たり前だろ。グレイが来てから色々教えてもらってるんだから」
ふんと得意げに鼻を鳴らし、マフラーから出た目をニヤリと細める。そんなイヒカを見たグレイは優しく笑うと、「ならそろそろ剣術も覚えてくれたっていいんですよ?」とからかうような声を出した。
「それを言うなよ……」
ぐっとイヒカが顔を顰める。そのままゆるゆると首を振って、遠くを見るように顔を前へと向けた。
「オレだって好きであんなにセンスないワケじゃねェの。でもオレが使ったら多分数回で折れるじゃん? ンなモン剣が可哀想だろ」
「的に叩きつけるのをやめればいいだけなんですけどねぇ……」
「分かってるって! でもいざ振りかぶるとなんか勝手に身体が動くんだよ」
胸の前で両手をわきわきと動かしながら、イヒカが苦々しく眉間に力を入れる。
「まあ、イヒカはその腕力がありますからね。今の戦い方でもどうにかなっているなら、そこまで無理して覚える必要もないでしょう。銃も人並みに使えますし」
「おうよ! ま、また鍛冶やるようになったら流石に試し斬りくらいはできるようになりたいけどな。自分が打った剣の出来ぐらい自分で体感してェしさ」
「なら今素振りでもしてみたらどうですか? まだ出発まで時間がありそうですし、やることもないでしょう?」
「あ、そうだな。ちょっとやってくる!」
「はい、行ってらっしゃい」
思いついたようにこれまで来た方へと走り去るイヒカを、足を止めたグレイがにこやかに見送る。そうしてふうと息を吐いたところで、「うまく誤魔化したと思うなよ」と今度は後ろから声がかかった。
「おや、何か?」
グレイが振り向いた先にいたのはジルだった。彼は不機嫌そうにグレイを睨み、「とぼけるな」と低い声を出した。
「俺はあの馬鹿みたいに簡単に追い払えないぞ。説明しろ」
「何をですか?」
「俺に言えない話か?」
ジルの視線が強くなる。相手を威圧するようなその目にグレイは苦笑すると、「そんなものはありませんよ」と止めていた足を元々向かっていた方へと動かし始めた。
「とはいえ説明するほどのことでもないんですよね。ただ備えているだけなので」
「ヒューの個人的なことか」
自分の隣を歩くジルに、グレイが僅かに驚いたような目を向けた。
「よくそこまで分かりますね」
「見てれば分かる。……あいつの私情でどうしてお前がそこまでしなきゃならない」
「心配してくれてるんですか?」
「まさか」
ハッと馬鹿にしたように笑うと、ジルは逗留所の入り口の方に顔を向けながら、「杞憂じゃないのか?」と問いかけた。彼の見ている先にはイヒカと話すヒューがいる。ヒューもまたグレイと同じように、普通にしているように見えて周囲に気を配っているのが窺えた。
「だといいんですけどね……ああ、駄目そうだ」
そう言ってグレイは足を止めた。低くなったその声にジルが怪訝そうな表情を浮かべる。そして灰色の瞳が見つめる方へと視線を移したが、そこには一人の男がいるだけだった。
逗留所の入り口からこちらへと歩いてくる男は、町中で見かける一般人とそう変わらない。目元以外を覆い隠した格好も、気の抜けた歩き方も、特に不自然な点は見当たらない。
「あれが駄目なのか?」
男を観察し終わったジルが問いかけると、「ええ、おそらく」とグレイがマントの下で銃を持ち直す音が鳴った。
「――よお、ヒュー」
男は真っ直ぐに隊商の方へと歩いてきて、ヒューが自分の方を向いたと同時に朗らかに声を掛けた。「ガロワ、お前……」ヒューが唸るように言いながら身体を相手の方へと向ければ、「そう怖い顔すんなよ」と男――ガロワは肩を竦めた。
「付けてきたワケじゃないぜ? ちょっとこの街の製薬施設に用があってな、たまたまだよ」
マフラーを緩めながらガロワが言う。その場にいた隊商の者達は驚いたような空気を発したが、ガロワは「いらないってなると邪魔でしかねェな」とおかしそうに笑っていた。
「製薬施設だと? ……金もねェのに?」
「んなモンどうとでもなるだろ」
ガロワの言葉にヒューが警戒を強める。これ以上近付くなと言わんばかりに敵意を顕にすれば、三メートルほど離れたところで止まったガロワは呆れたように息を吐いた。
「なんだ、ヒューの知り合い?」
ヒューの影からイヒカが顔を出すと、即座にヒューが「行くなイヒカ」と彼の前に腕を出した。「なんで?」イヒカが不思議そうな顔でヒューを見上げる。だがその表情を見た瞬間、「……分かった」と引き下がった。
「そこまで警戒するこたぁねぇだろ。お前の仲間なんだ、いきなり襲いかかる気はねぇさ」
ガロワは相変わらず友好的な雰囲気を放ちながら顔に笑みを浮かべている。対照的にヒューの目はどんどん鋭くなっていった。
「ならなんでここに来た? 用があるのはこっちじゃねェんだろ」
「銀狼が来てるって聞いてな、一目拝んでやろうと思ったのよ」
言いながらガロワはヒュー達の近くにある幌馬車に顔を向けて、「それ、お前らのか」と目を細めた。
「ああ」
「そのマーク、銀狼だよな。……お前がそうだったのか」
「……そうだ」
「言ってくれりゃぁいいのに」
苦笑いしながらガロワは再び歩き出した。ヒューにそれ以上近付くわけではなく、逗留所を奥に進んでいく。その先には隊商の三台の幌馬車が、手前から奥に向かって横並びに停められていた。一番入り口に近い幌馬車の傍にいたヒューを横目に、その先へ。
ガロワが二台目の幌馬車の近くまで来た時、その更に奥にいたグレイは一歩前へと踏み出した。両腕はマントに隠れたままだが、微かに敵意を纏っている。
まるでこれ以上勝手に動き回るなと言わんばかりのグレイの姿。ガロワはそれに気が付くと、「おいおい」と呆れたように笑った。
「銃から手ぇ離してくれよ。こっちは丸腰だぜ?」
両手を上げながら言うガロワにグレイが目を鋭くする。確かにガロワの手には何も持たれておらず、一見して分かるところにも武器は見当たらない。
「それを信じろと?」
グレイが静かに尋ねると、ガロワは「コートも脱ごうか?」と相変わらず笑顔のまま答えた。
「なんだったら身体検査してくれてもいいぜ? ヒューからどう聞いてるかは知らねぇが、銀狼相手に武器出したらその時点で攻撃される理由を作るようなモンだろ。そんな馬鹿なことはしねぇよ」
「ならお引き取りください。あなた方が先日揉めたのは聞いていますから、いくら武器を持っていないと言われても信じられません。それ以前に長居を受け入れる気もありませんしね」
「だろうな」
グレイの言葉にガロワが眉尻を下げる。「分かったよ」小さく言った彼はくるりと身体を反転させ、ヒューへと向き直った。
「見たとこもう出るんだろ? 俺はこないだ喧嘩別れしちまったお前と仲直りしたいだけだよ、ヒュー」
「……どうだか」
ヒューの目元の力は緩まない。しかしガロワは全く意に介していないのか、「俺は運が良い」と幌馬車を見ながら口端を上げた。
「銀狼が来てるってことは、今この街には薬があるってことだろ? お前らが持ってる……ようには見えないな。なら薬があるのは製薬施設の方か」
「……ああ。金さえあれば買えるはずだ」
「そりゃあいい。貧乏人はどうにか金を用意しても、在庫がなくて間に合わないってことも多いからな。数日中に金を用意できれば助かる見込みは高いワケだ」
そう言って感慨深そうに幌馬車を見ていたガロワだったが、ふと何かに気付いたような顔をした。ニヤリと口角を上げて、直前まで見ていた方へと向かって歩き出す。「おい」ヒューが低い声で牽制したが、ガロワはひらひらと手を振って、「ここに獲物はねぇんだろ?」と笑みを返した。
ガロワが歩いて行った先は二台目の幌馬車の傍だった。そこにいたリタを真っ直ぐに見て、「へえ?」と感嘆の声を上げる。
「お前さん、随分綺麗な顔してんだな。マフラーで隠れててもよく分かる」
「それはありがとう。よく言われるよ」
「ハハッ、自覚有りか! そんなに綺麗な顔してたらヒューにちょっかい出されるんじゃねぇか?」
「もう噛み付いてやったさ」
「そうかい、そりゃあいい!」
リタの傍でガロワが盛大な笑い声を上げる。よほどおかしいのか、目には涙が浮かんでいた。
「アイツ何もしないんじゃねェの?」イヒカがヒューに問いかける。だがヒューは「……狙いが分からねェ」と未だガロワを睨みつけたまま、それを見たグレイもマントの下に持つ銃から手を離さない。リタもまた、ほんの少しだが相手を警戒しているのが伝わってくるようだった。
「でもよぉ、あいつねちっこいだろ? ちょっと噛まれたくらいじゃめげてねぇんじゃねぇの?」
ヒューとグレイから敵意を向けられているガロワに、それを気にした様子はない。楽しそうに笑いながら片手で腹を抱え、もう片方の手では涙を拭っている。
「そんなことないさ。今では良好な関係を築けていると思っているよ」
「へえ? ……そうだろうなぁ」
それは極自然な手付きだった。ただ目元に当てていた手を下ろしただけ――誰もがそう思う動きだったのに、その軌道がやや大振りにリタの方へとずれる。
「――――?」
リタ自身も何が起こったのか理解していなかった。突然解放された口元、そこに当たる冷たい風。その意味を理解する前に、「リタ、息を!」とグレイの張り詰めた声が響く。
「ッ!」
リタが咄嗟に息を止める。同時にグレイがマントから小銃を取り出す。下を向いていた銃口が上がり、ガロワを狙う。
一秒にも満たない僅かな間の出来事。だがその銃口が上がりきるよりも早く、ガロワの姿がグレイの視界から消えた。
「――ぐッ!?」
呻き声を上げたのはリタだった。その背後からガロワが顔を出し、自分に狙いを定めたグレイへと笑いかける。
「やめとけよ。これ緩めた瞬間、こいつ勢い良く噎せちまうぞ?」
ギリリと音を立ててガロワが締め上げたのはリタのマフラーだった。一度口から離されたそれは彼の喉を覆い、持ち主の首を締め付けている。
「ッ、リタ!!」
やや遅れてヒューがリタの名を呼ぶ。彼の声でグレイ以外の者達も状況を理解し、その場が一気に緊張に包まれた。
「来るな! 来たらこいつの喉を潰す。そしたら息なんて止めてられないだろうな」
ガロワの声に周りの者達が動きを止める。リタの口元は今何にも守られていない。首を締められていることで呼吸が妨げられているが、それがかえって彼の身を守っているのだと誰の目から見ても明らかだった。
「安心しろ、殺しゃしねぇよ。ま、あんまのんびりしてると窒息しちまうだろうけど」
「何が目的だ、ガロワ!」
ヒューが怒鳴り声を上げる。その声を聞いて、ガロワがニヤリと笑みを深めた。
「確認だよ――お前が本当に薬を調達できないかどうかのな」