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果ての銀花と愚者の杭  作者: 丹㑚仁戻
第二章 命の選別
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041. 再会の棘 (1/6) - 歪な邂逅

 真っ白な雪原の中に、無数の死体が転がっていた。ある者は頭を壊され、ある者は首を折られ、無残な姿を灰色の空から降り注ぐ大粒の雪がゆっくりと覆い隠していく。

 静寂。命の気配のない、不気味な静けさがその場を漂う。

 そんな中、一際大きな死体がもぞりと動いた。うつ伏せで雪に埋まったその背中には、コートの上から大きな釘がいくつも突き刺さり、根本からは真っ赤な血がじわじわと染み出している。


 死体は、まだ生きていた。


 起き上がろうとしているのか、それとも身体の向きを変えたいだけか。死体こと大男は、まるで脚を奪われた虫のようにもぞもぞとその場で身体を動かしていた。だがその動きは酷く遅く、重たい。少し動くのに一秒近くかかり、大男の下敷きになった生き物がどうにか這い出そうとしているようにすら見える。

 そうしてやっとのことで仰向けとなった大男は、虚ろな目で空を見上げた。赤黒く汚れた右手の手袋を口で噛み、手を引き抜く。勢いでボスンッと雪に沈んだ腕を大儀そうに持ち上げて、自分の左肩の上に落とした。


 グチャ、グチャ、と音を立てて背中側の傷口を漁り、指先に目的のものが触れると同時に掴んで躊躇いなく引き抜く。それを顔の上に掲げて視界に入れると、大男は笑みを浮かべた。


「……やっぱりな」


 掠れた声で呟いて、手に持っていたそれを雪の中へと放り投げた。空いた右手をコートのポケットに突っ込み、取り出したのは小さな箱。トントン、と上部を叩けば、そこから煙草が顔を出す。空いている指で口元のマフラーを剥ぎ取り、煙草を咥え、新たに取り出したライターで火を付けた。

 大きく吸えば、煙草の先端がジリジリと赤い光を放った。かじかんで震える指で煙草を口から離し、ふうと肺の中身を全部吐き出す。


「自業自得か」


 大男の口角は上がっていたが、その声はどこか悲しげに静寂の中へと吸い込まれていった。



 § § §



 雪に覆われたセルツェの街。既に日付は変わり、明かりの付いた建物はほとんど見当たらない。

 そんな静かな一角に、未だ看板に明かりの付けられた店があった。


 この季節の主な店舗は地上階ではなく地下。地上にある二重扉をくぐり階段を下りれば、その先から喧騒が漏れてきているのが分かる。

 音を零す扉を開ければ、途端に大きくなる人々の声。食べ物の香りに、煙草と酒の匂い――酒場だ。薄暗い照明の中にいる人々が、十分に暖められたそこで談笑を楽しんでいた。


「――本当だって。東のローゼスタットって国じゃァ、若い女達はみんな腰をコルセットでギッチギチに締め上げてるんだよ。なんでも向こうの男共は細い腰を好むからだそうだが、そのせいで無理して酸欠で倒れちまう女が後を絶たないって話だ」


 ソファ席にどっかりと腰掛けたヒューもこの空間を楽しむ者の一人だった。周りには隊商(キャラバン)の者達はおらず、しかしその大きな膝の上に若い女性を乗せている。

 女はワンピースだけを纏っていた。勿論、マスクやマフラーで顔を隠してもいない。その頬は店内が暖かい上に酒も入っているからか、薄明かりの中でも上気しているのが分かる。彼女はヒューの膝の上で機嫌良さそう微笑み、自分の腰に回された大きな手を撫でながら、「やだぁ」とおどけるような声を上げた。


「そこまでしないと駄目なの? 私だって腰回りは結構自身あるのに」


 妖艶に言った女が、ヒューの腕をより強く自分の腰に押し付ける。そのまま空いている方の手で誘うように無精髭の生えた頬を撫でれば、それをされたヒューはニヤリと口端を上げた。


「ローゼスタットの男がおかしいんだよ。それに女もな。ほら、あの国は宝石の採掘で有名だろ? だから庶民でも安物なら大ぶりの石を割とみんな持ってるんだと。ンでそれを身体の細さを強調するように付けて男の気を引くらしい」

「へえ、そんな使い方するんだ?」

「ああ。それにどれだけデカくて良い宝石をジャラジャラ贈れるかどうかで男の価値を測るとも聞いたな。だから女は石ころ欲しさにどんどん腰を締め付ける」

「でも宝石がもらえるなら私も頑張っちゃうかも。ちょっと息苦しいの我慢するだけでもらえるってことでしょ?」


 女がねだるような声を出しながらヒューを見つめる。うんと顔を近付けて、自分の腰に触れるヒューの腕を指先でなぞった。


「まァな。けど俺は細っこいのよりアンタみてェにムチッとした腰の方が好きだぜ?」

「ねぇ、それ私が太ってるってこと?」


 ピタリと女の手の動きが止まる。ひんやりとした声、鋭い眼差し。それまでの態度から一変した女の様子に、ヒューは慌てて「いや、」と口を開いた。


「そうは言って――」

「言ってるでしょ! 人の腰撫で回しながらこんな話始めたんだから! 信じらんない、折角遊んであげようと思ったのに!」


 女がヒューの膝から降りる。それを阻もうとした彼の腕をパシンッとはたき落とし、「触らないで!」と目を吊り上げた。


「ちょ、待った待った! 誤解だって!」

「お金はあってもデリカシーのない男は嫌いなの」


 最後に「お酒はもらってくから」と言い放ち、女はテーブルの上に出ていたボトルを手に取った。「あ、俺の!」ヒューの意識が酒に逸れる。そして彼が再び女に目を向けた時には、彼女はもう歩き去った後だった。


「……なんだよ、もう」


 明かりが少ないとはいえ、人混みと言うほど立って飲んでいる人間はいない。だからヒューにはまだ女の居場所が分かっていたが、諦めたように溜息を吐いた彼は、「あーあ……」と言って立ち上がった。

 向かう先はカウンターだ。これまで飲んでいた酒は女の持ち去ったボトルの中のもの。テーブルの上のグラスは空で、新たな酒を手に入れるためにヒューはのしのしとカウンターへと歩いて行った。


「なんか強いのくれ」


 カウンターに項垂れながらヒューが言えば、店員が無言で酒の入ったグラスを差し出す。ヒューは大きな氷の入ったそれを手に取って、気怠げに先程のテーブルへと戻ろうとした。


 その時だ。


「――ヒュー?」


 怪訝な声がヒューの背中にかけられる。「あ?」不機嫌そうな様子で声の方を振り返ったヒューだったが、相手の姿を見た瞬間、その動きを止めた。


「お前……」


 ぽつりとそれだけ零し、細められていたヒューの目がみるみる開いていく。その先にいたのはヒューと同じくらいの年頃の男だった。彼よりも身体は小さいものの、一般的に見れば十分体格に恵まれている。身に纏う衣服は古く汚れていたが、このあたりでは大して珍しいものでもない。

 つまり相手はどこにでもいそうな男だった。だが、その首から上の容姿がヒューの意識を奪う。イヒカを連想させるような赤茶けた髪、それから鋭い眼光を放つ黒い瞳。その二つが強い力を持って、ヒューの遠い記憶を呼び起こした。


「ガロワか!?」


 ヒューの大声が店内に響く。周囲の注目を集めたが、彼はそれに気付く様子もなく相手の男を見ていた。それはガロワと呼ばれた男も同じで、「やっぱりそうか!」と彼はヒューの方へと歩み寄った。


「生きてたのか、ヒュー!」

「お前こそ!」


 二人はお互いに近寄ると、どちらともなく力強く抱き合った。バシバシと背中を叩く大きな音が鳴る。何かを噛み締めるように二人ともその腕に力を込め、そして同じタイミングで身体を離した。


「まさかこんなとこで会うなんてな。しかも五体満足じゃねぇか」


 ガロワが笑う。その目が先程自分が頼んだグラスを映したのに気付き、ヒューは「こっちの台詞だよ」と頷きながら相手のいた席を顎で示した。


「俺もそうだけど、お前だってあんな生き方じゃいつ()()んでもおかしくねェのに」


 二人でガロワのいた席に移りながらヒューが言う。席とは言っても椅子はない。二人はカウンターに横並びになると、それぞれそこに片肘を置きながら向かい合うようにして話し始めた。


「そこはしぶとくこの世にしがみついてるよ。つーかヒュー、お前あの怪我で生きてたのか?」

「俺も死んだと思ったんだけどな。気付けば助けられてたんだよ」

「ほーう、運が良かったな。その助けてくれた奴ってのはこの辺にいるのか? 兄弟同然のお前の命を救ってくれたんだ、俺からも礼を言いたい」

「残念だがいねェよ、俺もここに住んでるワケでもないしな。その人にはもう何年も会ってないが……もし会えたら伝えとく」


 僅かにヒューの目が翳る。それを見たガロワは「ふうん?」と目を細め、話を変えるように「それよりも、」と口を開いた。


「お前今何やってんだ? 金がなさそうには見えねぇが」


 言いながらガロワは横に一歩ずれて、カウンターの前に立つヒューの全身に目を這わした。ヒューの格好はいつもと変わらないが、身に付けているものはどれもまだ十分使えるものだ。新品とは言えないものの、過度な汚れやほつれは見当たらない。


隊商(キャラバン)だよ。俺を助けてくれた人がやってたのを引き継いでな」

「へえ、隊商(キャラバン)か。じゃあお仲間がいるんじゃねぇの? 引き止めちまってて平気か?」

「いいんだよ、あいつらメシだけ食って俺置いて帰りやがった。女遊びには興味ねェんだと」

「ハッ、お前女好きは変わってねぇのか。相変わらず勝率は低いままか?」

「うるせェな、ほっとけ」


 ヒューが居心地悪そうに顔を歪めると、ガロワはおかしそうに肩を震わせた。「なんかすげぇ安心したわ」ガロワが涙目で笑い続けるのを見て、「……お前はどうなんだよ」とヒューが口を尖らせる。

「俺ぇ?」と聞き返したガロワは笑いを鎮めるように何度か深呼吸をすると、「聞いてもおもしろくねぇぞ?」とヒューを見上げた。


「俺はこの通り昔と変わらねぇよ。時々賞金稼ぎみたいなこともするようにはなったがな」


 そう言って肩を竦ませたガロワに、ヒューは「十分だ」と笑みを浮かべた。


「それでも生きてんなら立派だよ。……ずっと気がかりでな」


 ヒューがグラスに視線を落とす。指で氷をつつけば、解けてきていたそれがカランと音を立てた。


「お前が戻れなかったことは分かってる。そんな気にすんな」


 困ったような顔でガロワが言う。「でもよ……」ヒューが受け入れきれないとばかりに零せば、ガロワはふうと息を吐いた。


「遅れた奴は死んだと見做せ――あれは俺達二人で決めたルールだ。お前は誰よりもそれを遵守してきた。たとえ生きていたって戻れるわけがねぇのはみんな承知だ」


 真剣な目で自分を見てくるガロワから逃れるように、ヒューは氷を見つめ続けた。「……他の奴らも生きてんのか?」ぼそりと呟けば、「……分かるだろ」とガロワもまた小さく答える。


「なんで……」

「理由なんて色々だよ。お前もさっき自分で言ってただろ、『あんな生き方じゃいつ死んでもおかしくねぇ』って。けどまぁ、最近まで何人か生きてたんだけどな。……一気に死んだ」

「なッ……」


 ヒューが顔を上げる。驚愕の面持ちを浮かべる彼に、「なあ、ヒューよ」とガロワが話を続けた。


「お前、隊商(キャラバン)っつったら氷の病の治療薬には詳しいのか?」

「……なんで今その話をする」

「少し前に大きなヤマがあってな。だけどヘマして軍に追われて……罠にハメられた。そん時アジトにしてた建物に大穴開けられたんだよ、全員いる時にな」

「なら、みんな死んだのは……」

「氷の病だ。製薬施設を襲おうにも手が足りねぇし、隊商(キャラバン)だって銀狼って連中しか薬を扱ってねぇだとかで見つけることすらできなかった。勿論金もねぇ。一人分ならまだしも同時に罹ったのは一〇人近く……どうしようもなかった」


 ガロワの顔が悔しげに歪む。それを見たヒューもまた眉間に深い皺を刻んだ。ガロワに何か言おうと開いた口は、何の声も発さないまま所在なげに小さく動く。

 やがてそれを飲み下すかのようにヒューが残りの酒を一気に煽れば、ガロワが「情けねぇよな」と話を再開した。


「仲間を守るために足手纏いは全員切り捨ててきたのに、最後は全員その〝足手纏い〟だ。俺だけ生き残ったところで、一体何のために生きてるんだって話だよ」

「……全員アジトにいたんだろ? お前はどうして――」

「無事だったかって? んなモンただの運だ。たまたま俺だけ外にいたんだよ。……お陰で死に損なった」


 ガロワが自嘲するように笑う。「……そうか」ヒューがどうにかそれだけ口にすると、二人の間には沈黙が訪れた。

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