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果ての銀花と愚者の杭  作者: 丹㑚仁戻
第一章 黒塗りの渇望
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022. 溢れる叫び (3/4) - 埋もれた慟哭

 地下道に面したとある店の前で、荷物を下ろしたシェイはぼうっと立っていた。このあたりは飲食店が多いらしく、本格的に夜になったからか人通りが増えてきた。今シェイがいる店もそれは同じで、店内は混雑していたためヒューのみが中に入っている。この店は酒を扱っているのだが、中で飲むこともできるため人が集まりやすいのだろう。

 狭い地下道には暖房用の管が張り巡らされていて、手持ち無沙汰となったシェイはその管の行き先を目で追っていた。当然ながら大抵は彼の来た方から道の先へと続いている。けれどいくつか地上に向かって伸びるものもあった。適当に見繕った管が地下を行くか地上へと向かうか、そんなどうでもいいことを予想しながらシェイは管を見つめていた。


「――……てよ!」


 来た道の方から大きな声が聞こえてきた気がして、シェイはそちらへと目を向けた。彼がいる場所と同じように狭いそこからはちらほらと人が歩いて来る。彼らは時折後ろを心配そうに振り返っていて、その視線の先に何かあるらしいと悟ったシェイは軽く身を乗り出して目を凝らした。


「だからごめんなさいって言ってるだろ!」


 聞き覚えのある声にシェイの顔が強張る。緊迫感のある子供の声が、地下道に響いていた。


「ぶつかって来といてなんだよその態度!」


 シェイが目を凝らした先にいたのは、先程の兄弟と見たことのない男だった。弟は兄の背に隠れ不安そうにしている。どうやら兄弟のどちらかが怒鳴っている男にぶつかってしまったらしい。

「あれ酔ってるんじゃないか?」三人を遠巻きに見ている誰かが小声で言う。それを聞いてシェイも男を注意深く観察すれば、男の足元が時折ふらふらと覚束なくなっていることに気が付いた。


「あんたがよろけてきたんだろ!? うちの弟はちゃんと真っ直ぐ歩いてた!」

「はあ!? 嘘言うんじゃねぇよ! 大体お前らみたいなちっせぇ奴ら視界に入らないんだよ!」


 男はだいぶ腹を立てているのか、弟の方を捕まえようとしている雰囲気すらある。今はまだ兄が庇っているが、兄の方だって背丈から判断する限り十四歳のシェイよりも年下だ。相手がいくら酔っているとはいえ、本気を出されたら敵わないだろう。


「誰か……!」


 小さく声を発しながらシェイは周りを見たが、誰も関わりたくないのか、様子を見ているだけで動き出そうとする者はいなかった。「あんなのに暴れられたらマスクが……」「酔ってるんだろ? 尚更馬鹿なことするかもしれない」ちらほらと聞こえてくるのは兄弟を助けないための大人達の言い訳。シェイは苛立ったように顔を歪ませて、自分が兄弟の元へ向かおうと足を踏み出した。


「――ッ」


 だが、彼の足が一歩以上前へ出ることはなかった。兄弟を助けたいという気持ちとは裏腹に身体が言うことを聞かないのだ。

 けれどそれは、病のせいではない。


「僕が行っても……」


 自分の両手を見つめる。周りの大人達を見て、自分の体格と比べる。無意識のうちにマフラーへと伸びた手が、顔を隠すようにそれを目元近くまで引き上げる。


「――シェイ、どうした?」

「あ……ヒューさん!」


 ちょうど店から出てきたヒューがシェイを見て首を傾げる。シェイは顔に安堵を浮かべ、「あの子達が……!」と兄弟の方を指差した。


「何だ?」

「酔っ払いにぶつかっちゃったみたいで絡まれてるんです。誰も助けてくれなくて……助けてあげてください!」


 その説明に合点のいったような顔をしたヒューだったが、不意に視線を強めてシェイを見つめた。


「なんでお前は行かない?」

「え……ぁ……僕は……僕が行っても……」


 シェイが声をすぼめれば、ヒューは厳しい目のまま兄弟の方へと顔を向けた。


「あそこにいたのはお前かもしれないのに」

「ッ……」


 ヒューは独り言のようにそれだけ言うと、持っていた荷物をシェイに預けて兄弟の方へと歩き出した。


「……僕だったら、」


 取り残されたシェイはふと何かに気付いたように顔を青ざめさせて、愕然とした表情のまま、その場に立ち尽くすことしかできなかった。



 § § §



 真っ暗な地上の道を、買い物を済ませたシェイ達は歩いていた。逗留所まで地下道は繋がっているものの、何故かヒューが途中で外に出たからだ。

 二人の間に会話はない。道をぼんやりと照らす街灯の下を、ただただ無言で進んでいく。


「――……あの、ヒューさん」


 無言に耐えかねたようにシェイが声をかければ、前を歩いていたヒューは「ん?」と後ろを振り返った。


「さっきはごめんなさい。僕……」


 言葉を詰まらせたシェイにヒューが足を止める。それを見てシェイもまた立ち止まる。

 ヒューは後ろで俯くシェイの方へと身体を向けると、「俺も言葉が足りなかったな」と気まずそうに口を開いた。


「別にな、困ってる奴を見つけたら誰彼構わず助けろって話じゃねェのよ。むしろ深く考えずにそうしちまうのはただの無責任だ」

「……はい」

「でもあの時のシェイは、なんだか関わりたくないって思ってるように見えてな。自分は関わりたくないくせに俺に助けさせるってなんだよって思っちまったの」

「あ……ごめんなさい! そんなつもりじゃ……!」


 シェイが慌てて顔を上げる。困ったようなその表情に、ヒューが「うん?」と優しく続きを促した。


「……怖かったんです。周りの人は誰もあの子達を助けないから、僕が行ってやられちゃっても……きっと、誰も助けてくれないって」


 声を出すごとにシェイの視線が落ちていく。最初はヒューの顔を見ていたその視界には、今は相手の腹部しか映っていない。自分の本来の目線よりも少し下あたりでそれを彷徨わせるシェイに、「そうかもな」とヒューが静かに同意を示した。


「そしたら、無駄じゃないですか……しかもやられるだけじゃなくて氷の病だってバレたら、また人に怖がられるかも……あの兄弟にすら……」

「ああ、狙いがお前に移っていたかもしれない」

「ッ……」


 シェイの顔がくしゃりと歪む。瞳を小刻みに震わせて、耐えるように眉間に皺を寄せる。


「僕は、間違っていたんでしょうか……?」


 消え入りそうな声で発せられた問いに、ヒューは「さあな」と首を振った。


「その答えは俺に聞いても仕方がないだろ。お前が知ってるはずだ」


 ヒューが言った直後、シェイの目からは涙が一滴流れ落ちた。それを止めるようにきつく目を瞑れば、溜まっていた涙が全て頬を伝う。外気に冷やされた手袋で乱暴に目元を拭いて、シェイは「僕、駄目ですね……」と困ったような表情を浮かべた。


「助けない言い訳ばっか探して、自分でやりたくないくせにヒューさんを頼って……」


 シェイの言葉に、ヒューはガシガシと帽子ごと頭を掻いた。


「まァ、人には得手不得手もある。ああいう手合は子供相手に強気になって、俺みたいなデカい奴相手には縮こまる――それを考えれば完全に駄目ってワケでもねェよ。シェイじゃなくて俺が行ったから、さっきの奴はすぐ逃げ出したんだろうしな」

「……はい」


 気力を失ったように俯くシェイを見て、ヒューは小さく息を吐いた。「納得はできねェか」少し困ったように声を零す。


「後悔してんのか? さっきの自分の行動」

「……後悔、とはちょっと違くて。もしあれが僕達兄妹だったら……僕は迷わずあのお兄さんの方と同じことをしたと思います。だけど……」


 そこで言葉を切ったシェイに、ヒューが「だけど?」と首を傾げる。そんな彼の視線を感じながらシェイは何度か浅い呼吸を繰り返すと、堪えきれないとばかりに「だけど……!」と語気を強めた。


「もう僕にはできないって、気付いてしまって……! 僕はもう死ぬから、妹達が危ない目に遭っても守ってあげられない……!」


 絞り出すような叫びが静かな街の中を木霊する。「そうか」静かにヒューが告げれば、シェイは涙を流しながら彼を見上げた。


「本当はっ……本当はもっと一緒にいたかった! 死ぬまで時間がなくても、ギリギリまでみんなといたかった! だけど僕は氷の病だからっ……迷惑かけて嫌われたらって思うと……っ」


 シェイが両手を目に押し当てる。しかし手袋でいくら拭っても彼の目から涙は止まらず、その呼吸もまたしゃくりあげるようなものへと変わっていった。


「みんなに嫌われたくなかった……! 僕が守ったのに……それなのに嫌われたら、妹のせいで病気になったって思いそうで……っ……そんなこと思いたくないのに! 近くにいたら、どんどん自分が嫌になりそうで怖かった……! だから諦めるしかなかった……諦められるって思うしか……!!」


 押し込められていた感情がシェイの口から溢れ出す。彼が必死に建前で塗り潰していた本心が、堰を切ったように外へ外へと押し出されていく。


 そんなシェイを見て、ヒューは彼の頭に手を伸ばした。優しく自分の方に引き寄せ、胸というには少し下にその顔を押し当てる。「そうだな」静かに同意を示せば、シェイが大きく息を吸った。


「病気になんてなりたくなかった……! もっと生きていたかった……! なんで僕がっ……!」


 くぐもったそれを最後にシェイは言葉を発することすらできなくなって、ただただ声を上げて泣き続けた。

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