015. 淡色の無責任 (2/6) - 氷の妖精
夕方には隊商はゴルジファという村に到着していた。街道沿いではなく少し逸れたところにある村で、のどかな風景が広がっている。目立つような建物はなく、周りの森に隠れて街道からでは決して見えないだろう。知っていなければ到底来ることができないようなその村を見ながら、シェイと共に荷物を降ろしていたイヒカはグレイに話しかけた。
「なんでこんなとこ知ってたんだ?」
隊商の幌馬車は先頭と最後尾を人間の騎乗したグイで挟むようにして進む。どちらも周囲の警戒のためだが、先頭の場合はそれに付け加えて道案内と進路の確保という役割があった。
今回その先頭を行っていたのはグレイだ。だからイヒカは彼ならば事情を知っているだろうと考えて尋ねたのだが、当の本人からは「ヒューからここに向かえと言われていたんですよ」と苦笑が返された。
「あれ? そうなの?」
イヒカが意外そうにしながら近くにいたヒューに目を向ける。その視線に気付いたヒューは呆れたような顔をすると、「言っとくけど俺隊長よ?」と片眉を上げた。
「でもグレイの方がしっかりしてんじゃん」
「それは否定できねェけど……今回は俺がちゃんと事前に同業者に聞いといたんだよ。そしたらみんなフィーリマーニに向かうなら途中でここで休んどけって教えてくれてな」
ヒューが答えれば、二人の会話を聞いていたグレイが納得したように頷いた。
「確かに地図を見る限り、素直に街道を行っていれば次の町はまだまだ先でしたからね」
「そういうこと。ここはうちみたいな隊商が休むにはうってつけなんだと」
「だからちっさい村なのに逗留所がこんなデカいのか」
イヒカの言うとおり、ゴルジファの逗留所は村の規模を考えるとかなり広大だった。広い土地が余っているからという理由もあるだろうが、グイの厩舎すらも大きなものが用意されているあたり、大所帯の隊商が来ることを想定しているのだろう。
「――隊商の皆さんに来ていただかないと、村が潤わないんですよ」
近くからかけられた声にイヒカ達が顔を向けると、そこには村人と思われる初老の男性が立っていた。彼を見てグレイは「ああ」と思い出したような顔をして、イヒカ達に紹介するようにその隣に並んだ。
「この逗留所の管理人さんです。あそこの小屋に常駐されているようで」
そう言ってグレイが示したのは少し離れたところにある小屋だった。逗留所全体を見渡せる位置にあり、煙突からは煙が出ている。
「ジュラフといいます。宿の手配は済んでいますので、準備ができたらお声がけください。村にご案内しますよ」
ジュラフの言葉に、イヒカが「もうそこまでできてんの?」とグレイを見上げた。
「私はジュラフさんにお願いしただけですよ。手際良く進めてくれたのは彼です」
「この村じゃ隊商の方々は大事なお客様ですから。滞在中は気持ち良く過ごしていただくために当然のことをしているだけですよ」
「へー。珍しいけど嬉しいな!」
イヒカが快活に笑うと、それまで作業に集中していたシェイが「珍しいことなの?」と顔を覗かせた。「あ、忘れてた!」相手の顔を見てイヒカが焦ったような表情を浮かべる。そのまま荷物の方へと目を向けた彼に「もう終わったよ」とシェイが言えば、「うわ、ごめん! ありがと!」とイヒカが顔の前で手を合わせた。
「お前、話に夢中になるのはいいが手ェ動かすのは忘れんなよ。しかもシェイに全部やらせるって……」
「だからシェイにはごめんって言ったじゃん!」
呆れたように苦言を零すヒューに返すと、イヒカは「えっと、宿の話だっけ?」とシェイに向き直った。
「ここまで親切にやってくれるのは珍しいよ。普通は逗留所の整理はしても宿の手配まではしてくれないし。シェイの街でもそうだろ?」
「うん。一瞬僕の街の人が不親切なのかと思っちゃった」
「ンなことないから安心しろって」
二人が話していると、ジュラフが「おや、」とシェイに目を向けた。
「そちらの坊っちゃんは少し顔色が悪いようですが、もしかして氷の女神症候群の患者さんでしょうか? ただの病人にしては元気そうに見えますし」
「えっ……」
シェイが表情を強張らせる。咄嗟に口元のマフラーを目の下まで上げた彼は不安そうにイヒカを見上げ、その視線を受けたイヒカは庇うようにシェイの前へと手を出した。
「ああ、すみません。村に入るなと言うわけではないので安心してください。氷の病なら寒さが強いでしょう? 必要なら暖房を強めたり、体を温められるものを多めに用意した方がいかと思いまして」
慌てたように言うジュラフの目に恐れはない。シェイがイヒカの後ろからそれを怪訝そうに見ていると、「そういやここは妖精信仰があるんだっけか」とヒューが声を上げた。
「ええ、そうです。先にお伝えすればよかったですね」
「妖精信仰?」
同意したジュラフを見てシェイが首を傾げる。「言わなかった俺も悪いな」とヒューは苦笑いすると、シェイに向かって口を開いた。
「イースヘルムの妖精って聞いたことがあるだろ? よくおとぎ話になってるやつ」
「はい。イースヘルムに住んでいる氷の妖精のことですよね?」
「そうそれ。たまーにその妖精と回復者を同一視する考え方があってな。妖精信仰っつーのはその上で、妖精である回復者を歓迎してくれる考え方だよ」
ヒューの補足にジュラフが満足そうに頷く。
「大雑把言うとそういうことですね。ですからこの村では氷の女神症候群の患者さんのことも、妖精に選ばれた者として大切におもてなししているんです。私が坊っちゃんを見て真っ先にその可能性を考えたのもそのせいですね。勿論病気であることは承知していますから病に関する知識もありますし、氷の呪いだなんて言われるように患者さんご本人が特別扱いを望まないかもしれないということも分かっています。変に祭り上げるわけではないのでご安心ください」
「えっと……よろしくお願いします……?」
シェイはどう受け止めたらいいのか分からないのか、困惑したように頭を下げた。だが最初の警戒はなくなっていることから、ジュラフの話を理解することはできているのだろう。そんな彼にジュラフは改めて笑いかけると、ヒューの方へと目をやった。
「見たところ、皆さんは銀狼の方でしょうか?」
「ああ、銀狼の爪牙だ。知ってるのか?」
ヒューが頷いたのを見て、シェイがこっそり「銀狼の爪牙って?」とイヒカに問いかける。「うちの隊商の名前だよ。言ってなかったっけ?」と返された答えにシェイはまんまるに目を見開くと、気まずそうに小さく頷きながらヒュー達の方へと視線を戻した。
「銀狼の名を持つ隊商は有名ですよ、特にここのような村ではね。ということは、回復者の方がいらっしゃるのでしょうか? もしいらっしゃいましたら、気兼ねなく過ごして欲しいとお伝え下さい。今は皆さん以外に外部の方はいらっしゃいませんし、村の人間は否定的な偏見を持っておりません。多少の物珍しさはあるでしょうけどね」
そう愛想良く笑ったジュラフに案内されて、支度を済ませたイヒカ達はゴルジファの村へと入っていった。
§ § §
宿に案内されたイヒカ達は大部屋でくつろいでいた。大人数で構成されることの多い隊商を受け入れることを想定しているからか、宿もまた村の規模に対してかなり大きい。今回イヒカ達に割り当てられたのは二人一部屋の個室だったが、こうして隊商のメンバーが集まれるような大部屋も専用のものが用意されていた。
「久々だなァ、妖精信仰のある土地なんて」
ソファに背を委ねたイヒカが感慨深そうに深い息を吐く。大きなソファには彼の他にシェイ、ヒューが座り、少し離れたところにある椅子にはジルが腰掛けていた。
「たまにあるの?」
隣に座るシェイからの質問に、イヒカが「かなり珍しいけどな」と機嫌良さそうに答える。それを向かい側から見ていたヒューは思い出したような顔をすると、「シェイは後でこの村をちゃんと見てきてもいいかもな」と話しかけた。
「どういうことですか?」
「こういう村は大体氷の女神症候群の患者も普通に扱ってくれるから、お前さんは過ごしやすいかもしれねェのよ」
「そんな場所があるんですね」
感心したように頷いたシェイだったが、すぐに表情を曇らせた。
「でも……迷惑じゃないんですか? 一時的に滞在するのと、最期を迎えるのはまた別の話だと思うんですけど……」
「多分患者のための建物もあるはずだぞ。そこで安全に看取る手順ができてるから過剰に嫌がられはしないはずだ」
ヒューが安心させるように言えば、二人の会話を聞いていたイヒカが「おい、ヒュー」と不機嫌そうな声を出した。
「そういう話ばっかすんなよ。コイツはまだ死ぬって決まったワケじゃねェの」
「イヒカ、僕は別に……」
自分を宥めようとしたシェイをイヒカがジロリと睨む。「分かったからシェイを脅かすな」ヒューが呆れたように言えば、イヒカは渋々と引き下がった。
そんな二人のやり取りを見ながら、シェイは気まずそうに近くのテーブルに置いてあったカップに手を伸ばした。宿の人間が用意してくれたもので、中にはホットミルクが入っている。それをふうふうと冷ましながら飲み込んで、シェイは話題を変えるように「そういえば、」と口を開いた。
「銀狼って名前の隊商ってたくさんあるんですか? ジュラフさんの口振りだとそんな印象だったんですけど……」
シェイが問うと、「あるぞ。いっぱいってほどでもないけどな」とヒューが答えを返す。それを引き継ぐようにイヒカが「えーっと、」と数えるように指を出した。
「銀狼の瞳、銀狼の尻尾……あとなんだっけ?」
「鬣と足跡」
ヒューが付け足すように言えば、イヒカは少し不満そうに眉を顰めた。
「前から思ってたんだけど足跡っておかしくね? つーか狼ってタテガミあんの?」
「あの首のトゲトゲした毛がそうなんじゃねェの? ま、細かいこたァいいだろ。そういう役割ってだけだ」
「それもそっか」
イヒカが納得したように言う。だが二人のやり取りを聞いていたシェイはわけが分からず、「役割?」と思わずヒューに聞き返していた。
「初代の隊長達が仲間同士だったらしいんだよな。ンでそれぞれに役割があって、そこから隊商として分かれる時に名前を付けたんだと」
「どんな役割なんですか?」
「知らん」
「『知らん』……」
シェイが呆気に取られたような顔をすれば、ヒューが苦笑いしながら「しょうがねェのよ」と言葉を続けた。
「爪牙って名前の通り、基本うちは戦いが専門でね。初代はそういう細かいことには無頓着だったらしい。脳筋だったってことは聞いてるんだが、それ以外は後世に伝わってないんだよ。ちなみに俺は四代目な」
「隊商ってみんな戦えるわけじゃないんですか?」
「自衛のためにどこも多少は動けるだろうが、うちくらい武闘派揃えてるのは珍しいだろ。武器にも金かけてるしな」
「武器職人だっているし」
横から入ってきたイヒカの声に、「そうなの?」とシェイが隣を見上げる。
「うん、オレ」
「ええ!?」
「凄いだろう感動しただろう。オレを尊敬していいんだぞ?」
イヒカが胸を張って言えば、それまで黙って聞いていたジルが「馬鹿か」と小さく吐き捨てた。
「尊敬しろって言われてできるものでもないだろ。相手が馬鹿なら尚更な」
「ああ?」
イヒカがジルを睨みつける。しかしジルはもう興味を失ったのか、どうでもよさそうに別の方を向いていた。
「喧嘩すんなよ」
ヒューが呆れたように言えば、イヒカは「アイツが悪い」と口を尖らせた。しかしそれ以上何も言う気配がないのは、今はジルと揉める気がないからだろう。
イヒカの様子にヒューは肩を竦めると、シェイの方へと向き直った。
「ま、何にせよ界隈じゃ銀狼って付く隊商はヘルグラータを採りに行くってことでも有名でな。だからうちはしょっちゅう襲われるし、ジュラフも回復者がいると思ったんだろう。馬車にも思いっきりマーク入ってるしな」
「そのマークって隠しちゃ駄目なんですか? こういう村ならともかく、襲ってくる人はそれで結構減るんじゃ……」
「駄目駄目、ンなことしたら賊が手当り次第襲い始めるだろ。狙われる原因を持ってるのは俺らなんだから、そこはちゃんと責任持たないとな」
ヒューが笑いながら言う。シェイが少し緊張したようにそれを聞いていると、ヒューが少しだけ真面目な表情を浮かべた。
「だからシェイには悪いけど、俺らと行動してるうちは血生臭ェのは我慢してくれ。お前に怪我はさせねェから」
焦茶色の瞳が真っ直ぐにシェイを見る。その視線にシェイは無意識のうちに姿勢を正すと、「……慣れるようがんばります」と自信なさそうに返した。