87.運命の四対四!
「う……、」
こちらを敵として認識した東雲兄弟が放った、その闘志。濃厚なそれにあてられてコウヤはむしろ挑戦的な笑みを深めたが、しかし彼女の隣でチハルは尻込みしてしまう。何せ相手はそれぞれ三年生のトップと四年生のトップという恐るべき強者たち。学年の差だけでなく成績で比べても自分とは一段も二段も……どころか十段クラスで格の違う相手である。事前にムラクモからそう知らされているからには元より臆病な気質の彼のこと、どうしたって怯えずにはいられない。
実力差を承知の上で戦う覚悟があった。それは確かにあったけれども。こうして実際に倒すべき相手と相対し、直に殺気をぶつけられ、その強敵ぶりをより鮮明に実感させられたことで。やにわにチハルの肩はガタガタと傍目にもわかるほど震え出した──そこに勢いよく置かれる手。
「そんなに先輩が怖ぇかよ。だったらてめえは下がってな」
「え──わっ!?」
掴まれた肩をぐいっと乱暴に引かれて、チハルはたたらを踏んで後方へ尻もちをついた。強制的に後ろへ下がらされた彼に代わって前へ出たのは。
「お前は……クロノ!?」
「よぉ、若葉アキラ。随分と楽しそうな祭りをやってんじゃねーか」
「楽しそうって……」
これから激闘が始まろうというこの場面。誰も彼もがドミネイターとしての戦意を滾らせている物騒な場を『祭り』と称するクロノに呆れつつも、しかし真剣勝負を何より好む如何にも彼らしい物言いだとも思うアキラだった。そしてその言動以上に気にすべきなのは、クロノがこのタイミングで姿を現わした理由の方だろう。
「どうしてお前がここに?」
「どうしてだぁ? 下らねえ質問だぜ。絶好の獲物を食い逃すような真似を俺様がするはずもねえだろう……無論ファイトをしにきたんだ! そこにいる四年生のトップ様とよぉ!」
いくら生徒同士ならファイトの申し込みが原則自由であるとはいえ、申し込むためにはまずその相手を捕まえる必要がある。同じ下級生の括りにある二年生ならともかくそれより上の学年の生徒と一年生が関りを持てる機会はそうそうない……授業外で張り込むという手段も、DAが決まったカリキュラムを組まない特殊な授業体系を取るために実行が非常に難しい。そういった手間を全てスキップして中級生と、それもその頂点と戦える。となればクロノとしては参戦しない理由がなかった。
それはあたかも、獣の群れと群れが行う縄張り争いに紛れ込んだ単に腹を空かせているだけの狂暴な野獣の如き行為。──だがそれでもてめえにとってはありがたいだろう、とクロノはアキラへ言った。
「お前の怒りも泉ミオの処遇も俺様にとっちゃどうでもいいことだ。間違っても『助けよう』なんてつもりでここにいるわけじゃあねえ……だとしても戦力が増すならそれで万々歳ってもんだろう? なあ、ムラクモ先生よ」
チハルとの選手交代を望むクロノ。彼より自分の方が強いと確信している口振りだった。確かに、合同トーナメントでもクロノは準決勝にまで駒を進めた俊英。戦績で言えばチハルはおろか、コウヤやオウラよりも上である。それを踏まえてムラクモは淡々と言った。
「選抜したと言ってもあくまで自主性に任せ、各々やるかやらないかを選ばせた。つまり交代するかどうかは新山次第だ」
「! ぼ、僕は……」
視線をさまよわせる。クロノに後を任せるか、それを突っぱねて自身で戦うか。急に出現した選択肢に彼は戸惑わずにいられない。
……常識的に考えるなら、任せるべきだろう。クロノの方が戦うには適任、それは確実だ。しかしチハルが抱いた覚悟も決して偽物などではない。それを放り出して人任せにするのは正しいことなのか。何よりその行為は、一緒に戦うと誓ったアキラたちに対する裏切りになるのではないか。頭の中でぐるぐると悩み、開けたままの口から何も言えなくなってしまったチハルに──声がかけられる。
「チハルくん」
「アキラくん……」
「難しく考えなくたっていい。自分の気持ちだけに向き合って答えを出せばいいんだよ。どっちを選んでも俺は、俺たちは君の選択を信じるから」
「!」
優しくそう言われて、アキラの穏やかな琥珀色の瞳に見つめられて。チハルはようやく冷静になることができた。ファイトルームに充満する各々の殺気や闘志も今だけは気にならず、彼は落ち着いて考えることができた──そのおかげで悩みに悩んでいたのが嘘のように、すっと答えを見つけられた。
「僕はクロノくんに託すよ。『勝利の可能性』を少しでも上げるにはそうすべきだと思うから」
「……そっか」
少し心配そうにしつつも、しかし見つめ返すチハルの瞳には確かな芯が宿っていることが見て取れ、アキラは静かに頷いた。彼がそう決めたのなら何も言うまい。ミオが自分たちの手の届かない学年へ繰り上がってしまうのを絶対に阻止する。そのためにはこれから行われる四戦のファイト、その全てにおいて勝利するのが望ましい。作戦立案の段階でムラクモからそのように説明されただけにチハルも身を引くことを選んだのだろう──それは自分が戦うことを選ぶのと同じくらいに勇気がいる選択。
友を救う覚悟の示し方は、何も自らが矢面に立つことだけに限られない。そう理解しているのはアキラだけでなく。
「後悔はさせねえから安心して観戦しときな。あくまで俺様は俺様のために戦うだけだがな」
「……! うん、クロノくん。アキラくんをあれだけ追い詰めた君なら、僕もなんの憂いもなく任せられるよ」
「チッ、それが基準かよ……まあなんだっていいが。ともかく始めようぜ、東雲サイジ!」
「敵は君ってことでいいのかい? 俺としては君らの内の誰であっても構わないけれどね」
「その大した余裕! 俺様相手にいつまでぶっこいていられるかなぁ──ドミネファイトだ!」
真っ先にファイトスペースに入りさっさとファイトを始めてしまったクロノ。その性急さにコウヤは呆れながら己の髪をわしわしと乱暴に掻いた。
「いきなり出てきたかと思えばいきなりおっぱじめやがったよ……東雲サイジとはアタシがやる予定だったってのに。ったく人の獲物を取りやがって」
「兄貴を獲物扱いか。新入生が礼儀を知らないのは道理だとしても、お前たちは些か傍若無人が過ぎるな」
「おっと。気に障っちまったかなタイガ先輩よ。だがそこはお互い様と流しておこうぜ──アタシもあんたとのファイトで我慢すっからさ!」
「笑止。二度と俺たち兄弟にそんな舐めた口が利けないようにしてやろう……ドミネファイト!」
クロノ対サイジの隣のファイトスペースで始まった次なるマッチング、コウヤ対タイガ。その様子を尻目にオウラは少し離れた位置にあるファイトスペースへとミオを誘った。
「わたくしたちはあちらで戦いましょうか。暑苦しい方々の傍だと暑苦しいだけですものね」
「…………」
優雅に歩を進めるオウラの後ろ姿を何か言いたげに眺めつつ、ミオもそれについていく。そうして向かい合った二人は手早くファイトの準備を終えて。
「うふふ。わたくし、こう見えても性格的には激しい方ですから。こうも早く雪辱の機会に恵まれたことを心から喜んでいますのよ──泉ミオ。一応のアドバイスとしてあの日のわたくしと同じとは思わないことですわね。呆気なく勝ってしまってはリベンジの達成感がなくなってしまいますもの」
「……別に。おねーさんがどう変わっていようと、何も変わっていなかろうと。ボクが勝つことに変わりはないよ。早く終わらせよう」
「ええよくってよ──ドミネファイトとまいりましょう!」
そうして始まった三つのファイト。その熱気に当たりながらアキラもまた自らのデッキを取り出し、そしてそれを目の前の舞台に立つ泉へと向けた。
「若葉アキラ君……私に向けたそれは、なんのつもりかな」
「決まってるだろ、あんたへの挑戦状だ。──俺と戦ってもらうぞ泉モトハル!」
ピキリ、と泉のこめかみで血管が跳ねた。




