82.雌伏の時。ミオを取り巻く思惑
「叶わなかった夢を自分の子に託す。それ自体は何も悪いことじゃないと思う、けど……ミオは傷付いていたし怯えていた。普段あれだけ気丈に振る舞っているミオが、です。息子にあんな顔をさせる父親が正しいとはとても思えない。あの人は夢を託したんじゃなく押し付けているんだ。それを使命なんて言い換えてミオから他の選択肢を奪っている。そうじゃありませんか、ムラクモ先生」
「……そうだな。おそらく泉モトハルにも父としての情が僅かなりともあるように、ミオにも息子として父の期待に応えたい思いはあるんだろうが……そこに逃げ道がないというのも事実だろう。父が用意したレールを進む以外の道が、あいつにはない」
「俺はそれが許せません」
声に表れる頑なさ。アキラが本気でミオを心配し、本気で泉に対して怒っていることがひしひしと感じられるその態度に、一拍の間を開けてからムラクモは訊ねた。
「新山とのファイトの際にも訊いたが……何故そこまで真剣に怒れる? 所詮は他人の、それもお前から見れば手強いライバルの一人。もしもこのままDAに戻ってこなくてもなんら支障はない。どころか得ですらあるはずだ。若葉、お前がそんなにも他者を慮る理由はどこにある」
それが学校側への人格者アピール。つまりは成績になることを見越してのおためごかしであるのなら大した演技力であるが。しかし少なくない生徒を、そしてドミネイターをその目に映してきたムラクモの観察力は、アキラのこれが演技などではないことを見抜いている。まったくの素。何を偽るでもなく彼は心からチハルを退学から庇い、ミオの未来を憂いている。
そもそもここドミネイションズ・アカデミアの評価はほぼほぼ勉学とファイトの強さ。この二本柱で構成されており、素行に関しては参考程度にしかならない。それがどれだけ良かろうと悪しかろうと、座学と実技で高い点さえ取っていればいい。そういう方針でDAは生徒を見ているし、そのことを生徒らに包み隠さずに伝えてもいる。当然アキラもそれを承知しているはずで、善良さをアピールする意味がほとんどないことだって理解できているだろう。
打算でないならなんなのか。アキラの行動原理を問いかけるムラクモに、彼は端的に答えた。
「ドミネイションズに真摯にありたいからです」
「ほう……ドミネイターとして非常に模範的で素晴らしい心構えだな。だが、俺の質問に対する答えとしては些かズレていないか?」
「だってムラクモ先生。ミオはあれだけ強くて、あれだけドミネイションズが大好きなのに──これまで一度だってファイトを楽しんでいなかったじゃないですか」
「…………」
「強気に隠して、生意気に誤魔化して。あいつなりの必死のポーズだったんだって今になって気付きました。人を倒すことを楽しんでいるように見せかけて、その実ミオは誰よりも負けることに恐怖していたんだ。それはそのまま父親への恐怖でもある。……誰だって敗北は怖い。でもミオのそれは事情が違う。恐怖に怯えてのファイトしかできないなんて、そんなの間違っている。少なくとも俺が好きになったドミネファイトっていうのはそんな辛くて寒いものじゃない」
だからあの父親が許せない、と。強い眼差しをムラクモに向けながらアキラは続けた。
「俺に何かできることはありませんか。なんだっていいんです。少しでもミオの力になれるならなんでも」
「……前にも言ったろう、若葉。一年担当の俺でもやれることは限られているくらいだ。ましてやただの同級生でしかないお前が他所の家に対してできることなんて何もない。──またあの二人がDAに顔を出すまでは、な」
「それ、って……」
「言ったろう、目的からして泉モトハルは息子をDAから放逐したりはしない。必ずまた登校させる……お前に何かできるとすればその時だ」
実際に顔を合わせての接触ができるようになれば──確かに伝えられる思いも、届けられる言葉もあるだろう。また必ず会える。それ自体は喜ばしいことなのだが、だがそれまでは手をこまねいて待つしかないのだと告げられてアキラは黙るしかなかった。ムラクモの論は正しいと彼からしてもよくわかる。それだけに反論も思い浮かばず、チハルと揃って神妙な顔付きとなったアキラへ、ムラクモは言葉が足りなかったかと目の前の少年がまだまだ子供であることを思い出しながら付け加えた。
「あー、つまりだ。不甲斐ない話ではあるが、教師がやれることにも限界がある。というより、泉モトハルも教員なだけにやり口が上手い。どうすればこちらが手出し・口出しをできないかがわかっているからな。泉ミオが登校を再開すれば尚のことだ。……とはいえそれは教師だからかかるしがらみ。ただの生徒であるお前たちにはなんら関係のないことだ。表面上にも書類上にも問題はなくとも、友人の様子が気になるのであればいくらでも手や口を出してみればいい。それもまた教師の俺が止めるところではないさ」
「黙認してくれる、ってことですか」
「さて、なんのことかわからんが。まあとにかく、何かしら必要なものがあればその都度俺を頼るのも悪くないだろう」
アキラとチハルの顔がぱぁっと明るくなる。ムラクモはわざとらしくとぼけてみせたが、その言葉は明らかにアキラたちへの手助けを惜しまないと言っている。形としてはムラクモの手が及ばない範囲をアキラたちが補助するものだが、本命はその逆。泉が教員からの干渉を警戒して動いているからこそ生徒であるアキラが活きるのだ。
無警戒の立場を利用して手を打つ。
その具体的な策を編み出すためにも今は待てとムラクモは言う。
「とにもかくにもまずはあの親子を学校へ引っ張り出してからだ。でないと接触すらままならんからな。それに、お前に付けられた黒星で泉教員は息子のプロデュース計画に大幅な変更を加えることを余儀なくされたはず……敗北の事実をどう取り返すつもりなのか。そこを暴いてから動く方がやりやすいだろう」
なるほど、と頷く。ムラクモは先のことを考えて「手をこまねいている」ふりをしているのだとアキラは察した。実際に手出しを封じられてはいるものの、しかし横紙破りの手法だって取れなくはないのだ。そういった強引な手段に打って出ようとしないのは、泉の油断を誘うため。ここぞというところで特大の一撃を与えるための下準備に他ならないと。
だとするなら。
「俺が今逸って何かしようものなら逆効果、なんですね。わかりました。ムラクモ先生の言う通りに今は待ちます。その代わり……その時が来たらどうかよろしくお願いします」
「……頭を下げる必要はない。生徒の要望になるべく応えるのだって教師の務めだからな……さ、そろそろ立ち話は終わりだ。授業が始まるぞ」
促され、ムラクモと共に一限目を受ける教室に入っていくアキラたち。そうして扉が閉まり、誰もいなくなった廊下……その先の曲がり角にて、壁にもたれかかりながら一連の会話を聞いている者がいた。
「ふん……」
クロノである。真っ黒なノースリーブジャケット──DAは制服も用意されているが私服登校も許されている──から露出した腕を組んでいる彼は、「そういうことかよ」とアキラたちが何をしようとしているか知って鼻を鳴らす。
「ちったぁドミネイターらしい飢えってもんを得ているかと思えば、やはり若葉アキラ……どこまでも甘い奴だぜ。だが──」
「『あいつに限ってはそういう甘さも悪くない』……だろ?」
「!」
クロノに声をかけたその人物の正体は──。




