80.父と息子、教師と生徒
「ご……ごめんなさ、い」
まだ十歳。縮こまって、震える声で謝罪する少年の小さな身体が、アキラにはいっそうに小さく見えた。だがそんな姿にミオの父である泉はかえって苛立ちを募らせたようだった。
「言葉が通じないのか? 誰が謝れと言った。何故負けたのか、と問うているんだ」
「……それは」
「それは? なんだ。早く言え」
「ボクが、弱かったからです」
「違うな。お前は強い」
「え……、」
顔を上げるミオ。その動作には、そして彼の表情には縋りつくような何かがあった。しかして父へ抱いた淡い希望はすぐに吐き捨てられた言葉で否定される。
「何せこの俺が心血を注いで作り上げた最高傑作がお前だ。お前のスペックなら。俺が施した教育なら。同年代程度には勝って当たり前、負けることなどあり得ない。いや、相手が誰であろうとも、仮に年齢の差があろうとも言い訳にならん。お前は勝てるはずだった、勝たねばならなかった。俺たちのためにもだ。──だというのに、ミオ。お前は無様に負けた。俺の期待を裏切ったんだ」
「パパ……」
「指導者として接している時にはそう呼ぶなと何度も教えたはずだな? 今俺がどの立場で話しているのか、そんなことすら理解できなくなったか。嘆かわしい……負けた上に故障までしたというのならいっそのこと──」
「おい!」
「……何かな?」
親子とはとても思えないやり取りに呆気に取られていたアキラだが、ここらで彼も流石に看過できなくなった。怒りを隠さずに「聞き捨てならないな」と泉とミオの間に割って入る。
「言ってることがめちゃくちゃだ。負けたばかりの息子にそうやって追い打ちをかけるのが父親のやることなのか」
「おやおや……急に態度がよろしくないですね、若葉君。敬語はどうしたのかね」
「あんたに敬語を使うべき理由が見つからないな」
「…………、」
取り繕うための笑顔すらなくして冷たく見下ろす泉の視線。それに怯まず真っ向からアキラは睨み返した。その態度に「ふん」と小さく鼻を鳴らし、泉は言う。
「他所の家庭の問題ですよ。関係のない者には首を突っ込まないでもらいたい」
「……確かに俺には関係のないことかもしれない。聞くにミオをここまで強くしたのはあんたらしいからな、父親兼師匠として。こういう場で初敗北を喫した息子に厳しくなる気持ちも理解できなくはないさ──だけど度を超えている。今あんたが口にしたのは叱責でもなければ教育でもない。単なる言葉の暴力だ!」
ミオが傷付いているのがわからないのか!? と。抱いた怒りを全面に凄むアキラへ、けれど泉は何も感じていないようだった。彼は薄っすらと口元に笑みを浮かべている。
「君こそわからないだろうがね……これは家庭の問題だけではない。もっと大いなる使命の話でもある」
「使命だって?」
「そうだ。その家庭ごと、環境ごとに事情があり、そして人には個々人が背負って立つべき使命があるのだよ。私にも、君にもね。しかし私たち凡夫と比べてミオの使命は特段に重く、崇高なものだ。類い稀なる才能を持って私の子として生まれたからには……この子には俺たちの夢を再生し、叶えるという使命が! 課された義務があるのだと! 君なんぞには言って聞かせたところで理解などできんだろうがね!」
「夢の再生……? さっきからその『俺たち』ってのがどこの誰を指しているのか知らないが。ミオはミオはだろ! あんたの息子であって道具じゃあない! いいように利用するのはやめろ!」
「利用だと! はっ、父として息子に進むべき道を示してやっているだけだよ。ドミネイションズに触れたのはミオ自身だ! 俺はその意思を尊重し! 万事をミオがドミネイターとして強くなることだけに捧げてきたんだ……! それをこいつは、こんなところで! どこの馬の骨とも知れない君なんぞに負けた! 輝かしい無敗の経歴を作るつもりが台無しになってしまったよ!」
「ウっ……ぁ、」
胸ぐらを掴まれ、そのとてつもない握力でアキラの首が詰まる。その瞬間に観客席の一箇所から怒声が飛んできたが、それを発した主が現場に駆けつけるよりも先に。
「そこまでにしてもらおう」
いつの間にかそこにいたムラクモが、ぐっと泉の腕を掴む。己以上の握力で握り締められたことで自然とその腕から力が抜けた。解放されたことで咳込みながらも呼吸ができるようになったアキラをミオが心配して寄り添う。そんな二人をちらりと横目で確かめてからムラクモは静かに、しかし迫力の滲む声で訊ねた。
「どういうつもりです? 教師が生徒に手を上げるなどあってはならないことだ」
「……嫌ですね、ムラクモ先生。何も殴りつけたわけでもなし。今のは目上の者への対応を誤った生徒への教育的措置ではありませんか」
「教育的措置……息子さんにも日頃からそうやって接しているんですか」
「ええ。効果の程は保証しますよ。息子の出来を見ればそれは一目瞭然でしょう? ま、今回は性能に見合った結果を出せなかったので保証としては少し弱いかもしれませんがね」
「…………」
泉の教師とも親とも思えぬ信じ難い物言いに、ムラクモは眉をひそめる。やはり悪い予感が当たってしまった。この男は普通ではない。親としての愛情をまったく持たないわけではないのだろうが、しかしそれ以上に、もっと別の感情に全てが支配され飲み込まれてしまっている──『俺たち』。親しくはなくとも現在の同僚として、そしてドミネイターの先達としての泉の過去やその言葉の意味を知るだけに、ムラクモの心にはまるで隙間風が吹くようだった。
「──あなたの息子は負けたんです。最年少でDAに入学し、手始めに下級生の頂点に。そして遠からずDA生全体の頂点へと据えて華々しい成績で卒業、そのままトッププロの仲間入りを果たさせる……というプロデュースが破綻した。それであなたはどうするんですか」
「どうするかって? 決まっているじゃありませんか」
そこで泉はアキラの背中を擦っているミオへと視線をやった。それに気付いてまるで蛇に睨まれた蛙のように委縮する息子へ、彼はまさしく蛇のような笑みを向けた。
「故障したなら直す。再教育ですよ。今度こそ培った実力を最大限に発揮できるようメンタルを矯正し、負けるはずのない勝負を落としてしまうような甘さをなくさせる」
「なるほど……前々から彼のファイトに望む姿勢には、どことなく違和感があった。その原因があなたの教育にあるとすればそれは今後ますます酷くなっていくでしょうね。──本当に壊れますよ」
「加減はしますとも。修復不可能になるまで壊しはしません。しかしその手前にまで持ち込むのも悪くないと、今日の体たらくを見て思い直したところですが──」
「ふざけるな……!」
「!」
息が整い、ようやく喋れるようになったアキラが泉の視線からミオを隠すようにする。「ふざける、とは?」と本気でわかっていない様子でメガネをくいと上げる泉に、彼は感情を爆発させた。
「『負けるはずのない勝負』……? ドミネファイトにそんなものあるはずない。そんなこともわからずにたった一度の勝敗でそこまで取り乱すようなら、あんたに指導者としての格はない。父親としての資格もない!」
「ははは、これはこれは。随分と偉そうなことを言う! それらは君なんぞに断じられるものですか? たかだか中学一年生のガキの分際で」
「俺は父さんのことを息子として尊敬している。ムラクモ先生のことも生徒として信頼している。子供だからって何もわからないわけじゃない……少なくとも! あんたよりは物が見えていて! ミオのことだって正しく見ているっていう自信が俺にはある!」
「……!」
堂々たるアキラの啖呵。それにミオは目を見開き、ムラクモは僅かに口角を上げる。そして肝心の泉はと言えば──。
「お前のその根拠のない肥大した自信。それが物を知らないということなんだよ……!」
自らのメガネを乱暴にむしり取ったかと思えば、怒りに任せてそれを握り潰してしまった。




