500.正々悶々問答
道を違えることはないか。純粋であればあるほどに堕ちやすい外道へと、堕ちることはないのか。学園長が学園長としてではなく、一人のドミネイターとして。先達として投げかけた質問にアキラはしかと考えてから答えを出した。
「できません」
「ほう? ファイトの最中にはあれだけいいことを言っておきながら、そこは否定しないのかね」
「堕ちるつもりはない、と口にすることは簡単です。約束だってできる。でも学園長が仰る通り、この先に何が待ち構えているかなんてわからないし、その時に俺がどうなっているかもわからない。エミルだって堕ちたくて堕ちたわけじゃない……人には誰しも『どうしようもないこと』があるって、俺はそう思っています」
「約束はできても確約はできんと。軽く断言してしまわない辺りはむしろ誠実とも言えるが、しかし。それで良いのか? 聞こえた君の『理想』は随分と高い。それを目指すというのであればどうしようもないはずのことだろうと乗り越えて行けるだけの強さが──そこで断言できてしまえる心の強さが必須なのではないかね?」
人生なんて何が起こるかわからないもの。戦いの日々に身を置くドミネイターであればなおのことにそうだ。であるならば強さはあるだけあった方がいい。躊躇もなければ恥ずかしげもなく「外道なんぞには絶対に堕ちない」と言い切ってしまえるだけの心の強さが──あまりにも高い理想を目指すアキラなのだから、そうでないといつかどこかの試練に屈してしまうのではないか。心を砕かれてしまうのではないかと、学園長の重ねての問いかけ。それにもアキラは否定を返さなかった。
「そうかもしれませんね。本当なら自分の未来に絶対の確信を持っているくらいが目指すものの大きさからすればちょうどいいのかもしれない……ファイトでも言ったように、俺の理想に完成はありませんから。果てのない先へ行こうっていうんだから心は強ければ強いほどいい、そうも思います。でも」
「でも、何かね」
穏やかに、けれど見定める姿勢で先を促す学園長。その目は優しくもやはり重い。だがアキラは彼から感じていたプレッシャーもいつの間にか忘れて、ごくごく自然体で頷いてから言った。
「ええと、なんて言うんでしょう……そういう強さは頑迷さの元で、自信満々で言い切ってしまえる自分だったら余計に、正道から外れやすい気がするんです。いつかのエミルもきっと自分が曲がることなんて想像もしていなかったんじゃないかな、って。だったらそんな迷いの無さはいらない。アクセルばかりじゃそれこそいつ道を踏み外したって不思議じゃないですし……それにそんなに急ぐ必要もない。どうせゴールがないのなら自分なりのペースを大切に、一歩一歩を大事に刻んでいってもいい。だから俺は、想像も断言もしません。この道の先に何があるのか、どんなことが起こるのかは、ひとつずつ実際に確かめていきます」
「ファイトの後にも心意気やよし。トーナメント二連覇の栄光を成し遂げた者として実に不足ない在り方じゃな──じゃが、ワシが問うたのはその先も含めてのことであるのは気付いておろう。堕ちんと断言できんのであれば君は答えねばならない。もしも君が道を違えたとき。人に仇なす不倶にして不穏の怪物と成り果てたとき。必ず起こる被害にいったいどうやって責を果たすのかについて」
「────、」
二年生時点でドミネイションズ・アカデミアの『最強』に収まろうとしているアキラだ。プロの世界で公に認められてからでないと『覚醒者』とは名乗れないとはいえ、目覚めたてのクロノやロコルとは違い彼はその力を既に充分に操れている──『準覚醒者』の枠組みで言えば上澄みもいいところ。同じく上澄みであるエミルと比べればまだまだ技量や安定感において劣るとはいえ、しかし学生レベルにいないことは確かで。それだけ一分野において頭抜けていて飛び抜けている彼があと四年以上もアカデミアで爪を研ぐというのだから学園側としてはその成長が楽しみやら恐ろしいやら複雑な気分にもなろう。
育ってほしくないのではない。だがエミルという巨大な才能の持ち主に続き、僅か数年でそれをも超えかねない才能が──彼らの言うところの天凛の才者が現れたという、それ自体が奇跡のようなもの。DAの歴史を紐解いても前例のないこの事態に対応が後手に回るのは道理と言って差し支えなく。そして諸事情あって卒業も近づいてからしか本性を見せなかったエミルの場合とは異なり、アキラは入学から二年目にして遺憾なく覚醒者としての力を発揮させている……彼が卒業する時期には果たしてどうなっているのか、長く生徒の巣立ちを見てきた学園長にすらもまったく予測がつかない。だからこそこうして直に相対し、直に彼の気質に触れて確かめているのだ。
彼の思慮を? はたまた人間性を? それともドミネイションズに愛されし者としての心構えを──いや、そうではない。それらは間違ってこそいないが正解でもない。学園長が見ているもの、見通さんとしているもの、それは学園長自身が既に言葉にしている。
見定めるべきは若葉アキラに内包されるありとあらゆる「可能性」である。
「エミル君はなんとも幸運じゃった。償いは容易いことではなく、また彼が己を許せるかどうかも時が経たねばなんとも言えんが。しかしなんであれ『戻ってこられた』のだから道を外れた者の結末としては最良以外の何物でもない。まだ堕ち切ってはいなかったこと、何よりも君という己と共に並び立てる同士が学友にいたこと。今や同志ともなった彼と君の『繋がり』は素晴らしいものだとワシも認めよう」
それを認めているからの危惧でもあるのだ。アキラは人と繋がり、強く影響を与えるタイプのドミネイターだ。彼が作り上げてきた関係性は、同志とはエミルだけではない。アキラと戦った数多くが友でありライバルとして深く通じ合い、アキラの在り方に多かれ少なかれ「変えられている」。その並外れた影響力がいい結果となっているのはアキラが善良であり、正道であるから。もしもひとたび彼がファイトの暗闇に染まってしまえばたちまち状況は反転し、エミルのしたことですら及びもつかない甚大な被害が出ることは間違いない……ともすればそれは日本ドミネ界に留まらず世界中に波及する暗黒となり得るかもしれないと、それほどのスケールの懸念を学園長は本気で抱いている。抱かされたのだ、彼のファイトを二度観戦したことで。
外道の行き着くところまで行ってしまえばもう戻ってこられない。仮にそこで正気に戻れたとしても、もはや正道を歩み直すことなどできない──人生にリセットボタンはない。償えばそれでいい、とはならないのだ。あまりに罪が大きすぎれば、その呵責に自身が耐えられないようであれば、ドミネイターとしてやり直せはしない。
そうなった時をアキラは想定しているのか。そういう最悪の可能性をどう回避するつもりでいるのか。酷であり残酷な質問だと理解していても、彼の身を預かる責任者として。いずれ世界へ羽ばたかせる者としてどうしても確かめておかねばならないのだ。
そしてアキラは、再び頷きをもって。やはり物怖じを感じさせない態度でそれに答えた。
「そのときは……俺はどうもしません」
「ぬ?」
あっけらかんと放たれた、清々しさすら伴ったその言葉に、思わず学園長は白く染まった豊かな眉の奥で瞳をぱちくりとさせた。




