496.理想の体現者
「勘違い?」
唐突に出されたそのワードに、腕の中の少女の顔を覗き込みながら首を傾げさせたアキラ。そんな彼の、ファイトが終わってしまえば少女にも見紛う可愛らしい顔立ちを見つめ返しながら、ロコルは「そうっす」と朗らかに言った。
「何もふてくされちゃいないんすよ、自分」
「…………」
「負けた悔しさは本物っす。全力で戦ったんだから悔いはない、なんて思いながらも、心のどこかではやっぱり地団駄を踏んでるっす。異論の余地も議論の余地もない決着がいいって。どっちが勝つにせよ負けるにせよ自分たちのファイトの終わり方はそういうものになればいいって……なってほしいって願って。そして実際にその通りになってくれたと思うっす。お互いに全力の、『それ以上』のない戦い。やれるだけを互いにやり切った勝負。その結末としての自分の負けなんすから論ずるまでもなく、どう評価したって自分の負けなんす。……そう、認めているのは本当なんすけどね」
だけど悔しいのだ。だけど悔しくて仕方がないのだ──充分に勝ちの目もあった戦い。多少なりとも熱に受かされた部分もあったとはいえ、落ち着きをなくしていたとはいえ、だからこそ演じられた攻防であった。交えられた剣であったと、そうも思うから。故に彼女は力の入らない腕で、それでも握りこぶしを作らずにはいられない。
「たらればやもしものない決着。そう認めているのに、それを気持ちいいとも感じているのに、けれどあの時ああしていればこうしていればって、そういうことばかりが思い浮かぶっす。岐路ばかりを思い返してしまうっす──無念よりも悔しさが先に立つっす。ふてくされる暇も余裕もないくらいに、っす」
「……なるほどな」
ロコルはなんでもできるからな、と苦笑と共にアキラはそんなことを言った。その唐突な評に、今度は少女の方が首を傾げる番だった。
「それは、どういう意味っすか?」
「そのまんまだよ。他にはミオとか、一応はエミルもそうなのかな。頭が良くて器用で、そつもなければ不足もない。何をやらせても一流以上の万能者……スぺシャリストじゃなくてジェネラリストって感じの、本当の天才。ドミネイファイトくらいしか好きなものも誇れるものもない俺とは全然違うタイプだ」
厳密に言えばアキラは生粋のコレクター気質でもあるために、ファイトだけでなくカードを集める行為自体が大好きだし、カード以外にスニーカーも愛好しており、真実ファイトすることだけが生き甲斐というわけでもないのだが……しかし彼が言ったように多少なりとも他人に「誇れる」もの。自身の特技や魅力のひとつとして自信を持って紹介できるのが今のアキラにとってドミネファイトの腕前と戦績だというのは確かだろう。とはいえもちろん、彼はそれを強く誇示するような人間ではなく、自信を持つとは言っても自らの内だけでひっそりと誇る程度である。
ただし大切なものであることに変わりはない。わざわざ人に自慢したりはしないが、これまでの経験と勝利は確かにアキラというドミネイターの土台の一部として大きくその成長に関与している。それを彼自身もわかっているからにはなおさらに大切に思う──何せ「それ」は彼が一人で獲得したものではないからだ。対戦相手もそうだし、戦うまでに自分を育ててくれた数多の人物。一戦ごとにそういう他者との関係が詰まっている。一勝ごとに数えきれないだけの想いが込められている。アキラにとって戦績とは単に勝ち数や負け数を表すだけのものではなく、皆との思い出そのものであり、そして繋がりを象徴するものでもある。そのひとつひとつが、その全てがアキラの大切。大事なカードたちにも負けないくらいの、決して手放せない宝物となっている。
学業も運動も中途半端。ドミネイションズしかできない自分が誇れるものはたったそれだけだと、自嘲的に零してからアキラは。
「勝敗が逆だったなら──ロコルの最後の攻勢に押し切られて負けていたら、それこそ『どうしようもなかった』って。『やれることはやり尽くして負けたんだから仕方ない』って、俺はお前ほど悔しがれなかったかもしれない……あるいは、すごくみっともなく悔しがったかもしれない。この場ですぐに再戦を申し込んだりしてさ」
「…………、」
「どっちにしろドミネファイトしか支えがない俺は、きっと色々とできるお前以上にショックを受けていたと思う。ろくに物も考えられないくらいにさ。だから尊敬するよ。ロコルはただ悔しいからたらればやもしもの回想をしているんじゃない。負けた今回の経験を活かして『次』では負けないために、『次』でこそ勝つためにもう頭を働かせているんだ。繋げていくこと。俺なんかよりもよっぽどロコルにはそれができているってことだ」
「あはっ、それはまた……めちゃくちゃ良いように捉えてくれるっすね、センパイは。ありがたいっていうか、くすぐったいっすけど。でもそんなのは勘違いっすよ。センパイは買い被り過ぎなんすよ、こんな自分なんかのことを」
ロコルには「そのつもり」などまるでない。アキラの言葉に感化されて、負けたそばから殊勝にも彼が言ったように、それを理想の形のひとつとしたように。『次』を見据えてファイトの要所を思い返している、わけではなくて。まさしくただ悔しいがためにそこに思考が縛られているのだと、それが彼女自身の認識であったのだが。
「いいやロコル、買い被りなんかじゃない。ましてや勘違いなんかでもない。お前は『次』に繋げようとしている。九蓮華ロコルっていうドミネイターは自然とそれができるドミネイターなんだ。……俺の理想を体現している、すごい奴なんだよ」
「……!」
自分のことのはずなのに、自分のことなら冷静に分析できているはずなのに、けれど他人であるアキラがあまりにもきっぱりとその分析を、自己診断を否定するものだから。真っ向から正反対の評価を下してくるものだから、ロコルは戸惑いながら衝撃を受ける──理想を体現している。アキラが求めてやまない、高き尊き理想。彼にしか見えない、追い求められないそれを、数多ある要素のひとつとはいえ、自らが成し遂げている。そう言われてすんなりと飲み込めるはずもない。それは味わうのにも喜ぶのにも時間のかかる、ロコルをしても脳の処理を追いつかせるのに苦労する……それほどまでに衝撃的な一言だった。
「センパイは……なんでそんなに、私のことを」
「感謝しているからだ。そして、負けたくないとも思っている。お前の強さを、凄さを、誰よりも正しく理解しているっていう自負もある。九蓮華ロコルは最高のライバルの一人で、その中でも特に負けたくない相手の一人だ。だからこれは当たり前の評価だよ。いや、むしろ足りないくらいか。俺だけの評価なんてちっともロコルの器を満たすには足りないもんな」
「……負けたくないも何も、全力のセンパイはいつでも誰にでも勝てるじゃないっすか。勝ってきたじゃないっすか。自分にだって、何回も……」
どんな強敵を前にも。相手が強敵であればあるほどに強くなって、勝ち続けてきた。そんな彼から向けられる想いとしてはやはり過分であると、そうとしか思えないロコルに。
アキラは再び緩やかに首を振って、再び否定の言葉を口にした。
「それは違う」
先以上に断定的な否の言葉。それにロコルの目が小さく見開かれた。




