480.運と実力と
酔ってはいけない。浮かれてはいけない──だって所詮は「一手の勝利」なのだ。三回勝負の内の一回を取っただけ。それもギリギリの、薄氷の勝利だ。アキラのオーラを押し込むことができたのは実力だけでなく運の要素も大きかった。揺蕩う目には見えない流れというものがたまたまこちらに寄っていた、だから勝てたのだと。そんな不安定な勝ち方を最低でもあと二回は手繰り寄せねばならないのだから悦に浸っている暇も余裕もありはしない。
無論のこと運の要素があったからといって何も悪くはない。オーラの操り手として当たり前のようにクイックカードを引くことが前提になっているが、クイックチェックなど本来は運否天賦の運試し。「運の良さ」こそが最も大切であることは確かで、ならばそれを味方につけたロコルはその点も含めて「実力で上回った」のだと。まさしく運も実力の内なのだと誇ってもいいくらいだろう──が、言ったようにここで勝ち誇るなどという隙を晒せるわけもない。そんな弛みを心に持ち込んでいいはずが、ない。
何せ偶然なのだ。己が手で引き寄せたのではなくたまたまこの抜群のタイミングで流れが自分に来ただけ。そういう実感があるからには、そしてそれを「二回目」にも繰り返せるかという問いに「できる」と断言ができないからには……それくらいにフィールドを流れているものは繊細で、不躾に触れることを許さない複雑さを持っているからには。自分が真に試されるのはここからだ、というロコルの認識は至極正しい。次の瞬間にも流れがアキラに傾き、今度は攻撃ではなく防御が勝る。クイックカードを掴まれ状況をひっくり返される、そうなってもなんら不思議ではないのだから──。
「センパイも感じているっすよね? 自分らの間に揺蕩うものがこんなにも入り乱れているのは、お互いのせいっす。自由気ままにオーラをぶつけ合い過ぎたっすね……おかげでいつもならオーラの波の高い部分と合わせてできる『流れを掴む』っていう行為が今はできそうにもない。今の攻防からしてセンパイもそうなんすよね?」
「まあ、な。こんな状態じゃあエミルだって流れは掴めないだろうぜ。あいつは特にそれを得意にしている『支配のファイト』をする奴だけど、そんなエミルにもできっこない。それだけ俺たちが作り上げてしまったここは乱れている。まるで地場の乱れみたいに従来通りの考え方や常識が通用しない場所になっている──面白いと思うぜ」
「あは。センパイらしい感想の締めっすね」
などと笑いつつも、同意する。努力や熱意だけでは及ばない領域が被さる勝負に、故に燃える。心から楽しめる。その感覚はドミネイターとしてより純度を高めつつある今のロコルには大いに共感できるものだった。ひり付く緊張が心地いい。今にも決定的な傾きを見せそうな天秤にゾクゾクする。エミルですら支配下に置けない極限状態のそれを、支配下に置けたなら。どんなに気持ちのいいことだろう。どんなに晴れやかなことだろうか。その瞬間を、そしてその先にある栄光を思えば心が震える。背筋が震える。オーラが震える──高まって仕方がない。
「いいのか、ロコル」
「!」
「武者震いは結構だが、そのオーラ量。後先考えない消費の仕方は……『あと二回』。次さえどうにかすれば勝ちってわけでもないのに、お前にしてはちょっとばかし迂闊なんじゃないか?」
「自分のガス欠を心配してくれてるんすか? それはどうもっす。やっぱセンパイはお優しいっすね」
「…………」
「でもだいじょーぶっす、見ての通りこれまでないくらいに昂りまくっているのが今の自分なんで、普段の比じゃないくらいに後から後から気力が湧いてきてくれてるっす。ま、さすがに補完の範疇に消費が収まっているとはとても言い難いんでそれでも限界は遠くないっすけど……次の一回でくたばるほどじゃあないっすよ」
「……!」
前述したように現在のロコルは今到達できる最高点にいる──過去最高潮に昂っている。それだけ飛び抜けた状態ならば、平時では一瞬でエンプティに陥りそうな消費でもある程度は耐えられる。湯水の如くに湧いて出るオーラを、ダムの放出の如くに費やしていく。もちろんいつかは減りに追いつかれ内側には何も残らなくなる。ほんの一滴、ほんの一欠けらのオーラすらも使えなくなる時が来る……それもそう遠くない内に、だ。いくら最高潮にあろうとも限界はある。決して「超えられない限界」だ。それが訪れてしまえば勝機はない、これもまた確かなこと。だが。
要はその前に勝ってしまえばいいのだ。「あと二回」。次の一回はまだどうにかなる。その次は……わからないが、しかしどうにかする。それで自分の勝ちなのだからロコルの辞書から自重や節制といったワードは消し去られている。
「それに、最高潮なのはセンパイも同じっすけど。そうであってもガス欠が怖いのだって同じっすよね。センパイの言う『条件』は対等っすよ」
アキラは今回、クイックカードを引けなかった。それによりロコルは、ブレイザーズは再び何に邪魔されることもなく自由に攻撃ができる。ダイレクトアタックを確実に通すことができる。その上での、もう一回だ。引けるか引けないかの押し合いが、オーラの攻防がもう一度勃発する。状況は先ほどと同じで、オーラの追加と消耗の関係も同じで、両者にかかる条件は完全にフラット。ロコルの言葉通りに対等である。
「結局のところは押し合い次第っす。そしてその一回目に勝ったのは自分っすよ。薄氷だったとしても、偶然だったとしても、勝利は勝利。センパイの上を行ったっていう事実に変わりはない……条件こそ対等でも『違う』って感じ、しないっすか? 勝つべく側にいるのは九蓮華ロコルの方だって、そんな予感はしていないっすか、センパイ!」
「はは──ちっともしてないなぁ、ロコル! どっちが勝つだの負けるだのそんな予感は受けちゃいないし、予想だってしちゃいない。『俺が勝つ』! そう決めて戦っている、このターンを生きている! それだけなんだからな!」
「勝つと決めた。なるほどなるほど、らしいセリフっす。ドミネイターとして燃えている時のセンパイらしい強気で傲慢で、でもそれがちっとも分不相応じゃない『私の理想のドミネイター』らしい姿……それに勝つ! そうでないとセンパイに勝ったとは言えないっすからねぇ!」
ブレイザーズ! とロコルが叫び声に等しい声量で名を呼べば、彼は存じているとばかりに再び剣を腰だめに構えた。ぐっと両脚を広げ上体を倒す──勇剣の持ち方こそ先とまったく一緒だが彼自身の姿勢はより「前向き」だ。先ほどのそれよりも一層に「前へ」。ただ前方へと押し進み、ひと息の間に斬る。その意志がより強く表れた体勢となっていた。それは間違いなくプレイヤーの、ロコルの意気に応じてのもの。一回目よりも二回目。注ぐ力を、体力と気力をもっとすり減らしてでももっと強力に、もっと強烈に。確実にアキラのオーラを圧倒できるような一撃にしたいと、そう願う彼女の気持ちに応えてのものだった。
しん、と静まり返る舞台。講堂全体においても物音のひとつもしない……これだけの人数がひとつ所に集っていながら呼吸音や衣擦れの微かなノイズすらも起こらない。あたかもそれらの全てをアキラとロコルが発生させているプレッシャーによって圧し潰されたような、不自然かつ硬度を帯びた静寂が今──解き放たれた。
騎士が再びフィールドを駆ける。




