450.絆と、その先にあるもの
ロコルの言い分の全てを否定したわけではなかった。意見ではないと言いつつもあれはやはり彼女の内心そのものだろう。内心の不安そのもの。それを言葉にしてぶつけてきたのが、あの質問なのだ。そう感じたが故に単刀直入の答えを返した。ロコルが欲しているものがなんなのか理解できたからアキラは、その答えに付け加えて「とあること」を示唆するセリフまで口にした。
偽りなく、『ビースト』を採用しなかったこと。口悪く言えば「捨てた」ことは──少なくとも対ロコルの戦略に限って言えばその表現も間違いではない、何せ採用が敗北を招きかねないと考えからこそアキラはデッキから外したのだから──しかし、後悔の欠片もない。選択の正誤こそ勝敗が付く瞬間まで不明であるが、是非についてはその限りではない。アキラはやるべきだったと確信を持っている。やるべきことをやったのだという確信を。『ビースト』に頼らないデッキ作りは確実に「己の為すべきこと」であった。そこに正しいだとか誤りだとかそういう杓子定規な考え方はしないし持ち込むべきでない……言わばそれは儀式のようなもので、必要だと感覚が直感したからには。そこに思考の理屈もついてきたのなら、アキラは迷わない。やる前もやった後も惑いなど生じない。それこそ無駄以外の何物でもないと彼にはわかっているからだ。
最高のデッキである。これも偽りのない本心だ。今の自分に作れる最高のデッキで以ってこの舞台にいる。九蓮華ロコルとの決勝戦に挑んでいる──たとえそこに彼が愛してやまぬ『ビースト』が含まれていなくたって、今まで彼を支え続けた『アニマルズ』たちやスペルカードが不在であったって、しかしその一枚一枚と共に戦ってきた経験が。それらを扱ってきたこれまでがあったからこその『今』。新デッキの構築に繋がっているのだから決して含まれていないわけではない、不在ではない。この瞬間にだって彼らはアキラを支えてくれている。心を燃やす熱、それを生み出す原料のひとつとしてアキラに力を与えてくれている。
なんの衒いもなく本気でそう信じられるからには、真っ直ぐである。心のままにファイトも真っ直ぐ進むのみである。進み続けるのみである。ロコルに挑む段階で……否、それよりも前から。彼女が決勝の相手になると決まるよりもずっと前からそれを予感してデッキを組んでいた彼は、その時点からしっかりと定まっている。ブレない芯をそこに宿している。そしてそれこそがカードとの絆に、替え難い結束の証になる。
必要を辿り、そして必然は生まれる。
「まさかッ! センパイがやろうとしているのは──!!」
今度こそ本当にすっからかん。《森王の空鳴き》にこれ以上の追加効果はなし、《森王の山踏み》の能力は既に仔細まで割れており、それはエリアカード《森羅の聖域》も同じだ。つまりアキラのフィールド上に「これ以上」の動きを、展開を可能とするカードは一枚もない、一要素もない。フィールドだけに限らず、墓地ゾーンにもコアゾーンにも、あるいは除外ゾーンだって、そこから何かが始まることはない。先ほど《森王の下支え》がそうしたように墓地から効果を発揮して新たな起点となる、そういった所業を叶えるカードだって彼にはもうない。どこにも残されていないのだ。
そういう意味での唯一の懸念は、最後の未知たる手札の一枚。サーチやドローを絶え間なく行ってきたアキラの手札は入れ替わりが激しく、彼の手の中にある一枚がいつから握られているものなのかはロコルにも判じられたものではないが。けれど如何に現状たった一個の未公開情報だとはいえ、その一枚は激動の攻防を繰り広げたこのターンにおいてアキラが使おうとしなかった一枚であり、そもそもカードのプレイに必要なコストコアだってゼロなのだ。何ができるわけでもない。仮にコアを使わずに使用できたとしても、そんな変わり種の一枚だったとしても、大したことはできまい。とてもではないがククルカンの処理に役立つようなものではあるまい……それが例えば《山間宿》のようなわかりやすく壊れたカードならばまだわからないが、けれどロコルのドミネイターとしての本能はアキラの手の中にある「それ」にそこまでの脅威を感じていない。
使用者ですら苦笑を禁じ得なかった《山間宿》のやり過ぎなまでのアド稼ぎ。その能力を除去方面へ振ったようなカードであるなら非公開情報であったとしても、ここまでアキラが使用をあえて控えていた。つまりは奥の手として大切に取っておいたという事実と相まってロコルにはその危険度が、イヤな予感というものがしかと感じ取れるはずなのだ──それがまったくない、ということは。何も本能の線に引っ掛かるものがないということは、即ち彼に残された一枚はそう気に留める必要もないものだということで。
それこそが最悪の予感を抱かせる最後のピースであった。
(場にも墓地にもコアにも除外にも、そして手札にも! 何ひとつとして逆転のための要素、ここからの更なる一手を可能にするカードが見えない、存在しない──のなら! それでもセンパイがああも強気にいるのなら、それはつまり! そのどこでもない場所から! まったくの『別次元』からその一手を呼び出すつもりいるということ……!!)
こことは違うどこかから。通常のユニットたちが暮らすドミネイションズワールドの上位世界にあたる別次元より、異次元より招来されるそれの名は。そしてその特殊に過ぎる召喚法の名は──。
「『ドミネユニット』を呼ぶと──『ドミネイト召喚』をやると! そのつもりでいるってことっすか!?」
示唆されたのは間違いなくドミネユニットの召喚。それ以外には考えられないのだからアキラが示した答えはそれ以外にない。ドミネイト召喚という奇跡の体現。もしもその奇跡を、『ビースト』に依ることなく行えたのならば。確かにそれは何よりの絆の証明だ。
新しいデッキとアキラとの間にある、確固たる繋がりの印となるだろう。
だが、そうであるからこそロコルには信じられない。
「『ビースト』ユニットを贄として要求するドミネユニットの『ビースト』──アルセリアにルナマリア! 半年前の決戦以来センパイの勝利を盤石のものとしてきた最大にして最高の一対、そんな二体を放棄してまで組んだそのデッキで! まったく新たな! まったく『ビースト』に関わらないドミネユニットを呼び出すなんて……そんなことが本当に!」
アキラが『ビースト』名称のドミネユニットを呼べたのは。生み出せたのは、それが『ビースト』名称であるからだ。従来の『ビースト』の更に先。あくまで延長戦にあるのが『エデンビースト』たるアルセリアとルナマリアという陽光と月光を思わせる一対のドミネユニットであるために、なかんずく重要なのはやはり絆。アキラがドミネイターとして復帰するよりも前から、コレクターに徹していた間も変わらず、初めてカードを手にした幼少の日より常に想い続けてきた──愛を注いできた『ビースト』との誰にも立ち入れない特別な関係性あってのもの。
いくらアキラがかのエミルにも並び得る天よりの才の持ち主であったとしても、『ビースト』ではないドミネユニットは呼べなかっただろう。今ほどの強さは得られていなかっただろう……それはロコルの推測であり、ロコル以外の全員の推測でもある。他ならぬアキラ自身もそう考えている。自分がここまでやってこられたのはこの絆あってのことであると。この絆がなければどうにもなっていなかったと、それを深く認める。
だから呼べるのだと。彼は深く深くそれを実感していた。




