377.若葉アキラと甘井アンミツ
「いよいよ決勝戦ですね。準備はよろしいですかアキラ様」
「はい、アンミツさん。アンミツさんが手伝ってくれたのもあって調整はバッチリです。デッキも、体調の方も」
言葉通りに、一日がかりの連戦の疲労を感じさせない所作でアキラは対決勝用に組み上げたデッキを専用ポーチへ仕舞った。試合開始五分前。アナウンスに合わせて入場するために通路で控える彼の横にアンミツまで一緒なのは、彼女がアキラの専属使用人であるためだ。
「何から何まで協力してもらっちゃってすみません。一回なんか開始時刻を勘違いして遅刻しそうになって……アンミツさんが連れ戻してくれなかったらきっと不戦敗でしたね、俺」
「いえ、公私においてアキラ様をサポートする。それが今の私の役目ですので、そんなことで謝っていただく必要はありません。むしろ多少のポカがあるのは支え甲斐があって私にとって良いことです」
なんと言っても専属なのだ。これはアンミツが生活保全官を辞職したということではなく、エミルに勝利したことで彼と同じく『準覚醒者』と認められたこと──そしてそれを学園中に、ひいては世間にも広く知られる立場になったアキラの待遇をどうすべきか考慮して、他生徒と同じにはできないとDAが結論付けた結果の特別措置である。即ち、広く生徒らの生活をサポートすることが任務である保全官のアンミツ。アキラの担当者であった彼女をそのままアキラ一人のためだけの専任保全官へとポジションを移させたのだ。ドミネファイトに多種多様な『奇跡』を持ち込める存在として良くも悪くも注目を集める存在となった若葉アキラ。その心身の安全を保障するためにこれは当然の判断だと言えるだろう。
つまりはサポート要員としてだけでなく、ボディーガードの役割も兼ねているということだ。エミルには九蓮華の執事がいるが、公としてはただの一般家庭の出身であるアキラが自前でそういった人員を用意できるはずもなく、よって学園側がそれを宛がうのは自然の流れであった。
しかし当然の判断とは言ったものの、この決定は何もすんなりと下されたのではない。当初は「若葉アキラの保護」の観点において職員室と情報部の間に見解の相違があり、特に情報部部長などは若手のホープである甘井アンミツを実質的に情報部の外に置くことに難色を示していたが、アンミツの教育者とでも言うべき黒井を始めとする現役のエース三名からの強い打診と、最終的に放たれた学園長の鶴の一声で『アキラが卒業するまでの約五年の期間のみ』という前提でアンミツは肩書きこそ元のままではあるが一時情報部から離れることになった。
なのだが、既にアキラに対し一生徒に向けるには大きすぎる恩情を抱いているアンミツとしては、五年が過ぎれば学園を出ていく彼に合わせて自分も保全官を辞めてついていってもいいと考えている。もしも情報部の反対に押し切られてアキラの専属になれていなければ現時点でも辞表を叩きつけていただろう。それくらいに、アンミツは彼という一人の男子を守ることに本気なのである。
──去年の夏休み、アンミツはその役目を担っていた。アキラにも黙って彼を監視していたのは上が万が一の事態を警戒していたからであり、要はアキラを通してエミルの行動をキャッチしようとしていたに過ぎないが。けれどアンミツとしては何よりアキラの無事を保証するために張り込みをしていたのだ──だというのに、本当にエミルからの接触があったことと直属の上司からの厳しい制止によってアンミツは迷い、結局は彼らのファイトを許してしまった。最後の最後には命令無視をしてでもアキラを助けるべく飛び出していったものの、あまりに遅きに過ぎた。彼を守ると決めておきながらそれを徹底できなかったあの時の自分の行動を、アンミツは今でも悔やんでいる。
結果としてはそれでよかったのだろう。あの戦いがあったからこそアキラは成長し、エミルに打ち勝つという偉業を成し遂げることができた。それは両者にとって望ましい展開であったし、エミルの支配を未然に防げたことで日本ドミネ界までもが救われたのだから議論の余地もなく、アキラが一度は危険に晒されたのには大きな意味があった……それはアンミツとて客観的に理解できているが。
だがそれはそれとして、だ。結果オーライだったからといってあの日の自分の過失が消えてなくなるわけではない。もし同じことがこの先にも起こった時、同じようにまた見過ごすのか。その結果が今度は望むべきものではなかった時、どのように責任を取るのか。──アキラに何かあれば責任の取り様などない。それがわかっているだけに彼女としては過去の己を許すわけにはいかなかった。
アキラは、感謝してくれているが。エミルのトドメの一撃の前に割って入ったこと。そして夏休み明けの決戦まで献身的に彼を支えたアンミツの行いに、今でも折に触れて礼の言葉を口にするが……それを聞くたび彼女はかつての失態をより強く恥じて、次こそは間違えぬようにと意気込みを改めていることをアキラは知らない。
ちなみにアンミツは素手でコンクリートを粉砕できる膂力を持つ上に、全速力(時速四十km)を維持したまま二時間以上を休みなく走れる超人である。それ故に──無論アキラとの間に信頼関係が構築されていることもその理由ではあるが──護衛役も兼ねての専任となったわけだが、それだけの身体能力を有していてもドミネイターが起こす『奇跡』の前にはまったくの無力であることを思えば、まだ学生の身空でありながらそれを十全に武器として扱えるエミルがどれだけ規格外の存在かが窺えるだろう。
覚醒者としての力をゆっくりと、しかし着実に物にしつつあるのはアキラも同じだが、今回はちょっとした事情がある。なのでアンミツは盲目的に彼の優勝を信じられてはいなかった。
「お相手は、ロコル様ですね。勝算の程は?」
ミスをする主人の方が仕えていて楽しい、という旨の発言を気遣いからのジョークの一種だと捉えたようで苦笑を見せているアキラへ、その表情の柔らかさから大一番の直前であってもしっかりとリラックスはできているようだと分析しながらアンミツはそう訊ねてみた。すると彼は笑みを引っ込め、柔らかみを残しつつも真剣な顔付きで答えた。
「勝算あり、とはとても言えないですね。四勝四十五敗っていうこれまでの戦績からすれば負けしか見えない感じですらありますけど……でも、今日は勝ちますよ。そのために俺は決勝まで来たんですから」
圧倒的な負け数と、少なすぎる勝ち数。これはDA受験前(まだまだアキラが未熟だった頃)の特訓で度々行ったハンデなしのファイトや、入学後にもドミホのアプリを通して行った遊びのファイトも含めての通算であるが、それにしたって偏り過ぎである。いくらかつてのアキラがムラっ気に悩まされており、ここぞという場面以外ではあっさりと負けがちだったからと言って白星と黒星に十倍以上の差がついているのは……それだけロコルという少女が優れたドミネイターであるという証だと言えた。
少なくとも彼女にムラっ気なんてものはなく、いつでも自身の実力を完璧に発揮できる確かな下地がある。そうでなければこんな戦績にはならない。それをしかと認めつつも、アキラは決して勝利を遠いものとは思っていなかった。
「この大舞台で勝つこと。それが俺をドミネイターに戻してくれたロコルへの最大の恩返しだと思うから。だから俺は、必ず勝ちます。勝ってあいつに──ありがとうって言うために」




