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376.兄と弟の仇、若葉アキラ!

「あ、ありがとう? 何それ?」


 目をぱちくりとさせて戸惑うロコルは、本気でわかっていない。どうして急に感謝の言葉がイオリの口から出てきたのか──それも直前の恨み節めいたセリフとの落差も相まって──まったく理解できずにいる。その様子に、イオリは余計に恥ずかしくなったようでますます顔を赤くさせた。


「な、なんでそこで鈍くなるんだよ! いつも嫌味なくらい察しがいいくせに!」


「そんなこと言われても……もしかして熱でもある?」


 イオリの情緒が読めない。熱を持つ頬を怒りのせいだと誤魔化そうとしているらしい、それくらいのことならいくらでも察せられるのだが。そんな肉体反射めいた心理作用はともかくとして肝心の彼の思考や内情といったものがまるで見えてこない。故にロコルからすれば意味不明もいいところの感謝を受け取れきれず、果てには体調不良でうわ言を言っているのではないかとまで疑い出した彼女へ、イオリは今度こそ本心から憤慨したようだった。


「イオリは至って平熱の健康体だよ! どうしてパッとわかんないかな──イオリのために怒ってくれたんだろ、ロコルは! あんなに楽しみにしてた若葉アキラとの決勝を捨ててまで助けようとしてくれたんだろ……それに対するお礼だって普通はわかるでしょ!」


「ああ……そのこと?」


「そのこと、って」


 リアクションの薄さにイオリはやれやれと呆れたようにする。そう、結局はそうならなかったとはいえ、ロコルは一時は合同トーナメントを諦めてでも。不戦敗となって決勝への道を諦めてでも、マコトの言う通りに彼女とファイトをするつもりでいた。エミルが彼女と戦う役目を引き受けてくれたおかげで予定通りに試合を行なえたが、もしも彼の助けがなければロコルは確実にイオリを救うために行動していたことだろう。それをエミルはしかと見抜いており、そしてそのことをイオリ当人に伝えてもいた。だからこうしてイオリは、普段めったなことでは口にしない──というよりちゃんと言葉にするのはこれが初めてかもしれない、ロコルに対する感謝をはっきりと述べたのだ。


 敬愛する兄が自分のために戦ってくれた。そちらの方がイオリにとっては激しい感動となって全身を駆け巡り、今でもその余韻に浸っているところではあるが。しかしだからといってそれと同じことをしようとしてくれた双子の妹(繰り返すがあくまでイオリの認識では自分こそが兄である)の家族愛を蔑ろにするイオリではなかった。半年前までならともかく、今の彼にはその大切さがよくわかるものだから尚のことに。


 だというのに、感謝を送られた側のこのぽかんとした顔。なんの礼かの説明までしたのに未だに戸惑いがあるのはいったいどうしたことか。多少以上にあった気恥ずかしい気持ちを押してでも「ありがとう」を言葉にしたイオリとしてはこのロコルの暖簾へ腕押しめいた反応は不満というか、彼の方こそ意味がわからなかった。


 普通はこういう時、笑って「どういたしまして」を返すものではないのか? 家族間でそういったやり取りをしたことのない彼としてもそれが絶対だと自信をもって断言できはしないが、一般常識としてこの想像は間違っていないだろうとも思う。おかしいのは確実に自分ではなくロコルであると、そう半ば確信してジト目を作る彼に、その目線を受けてようやくロコルは「たはは」と自身の過失を悟ったようで。


「えっと、ごめんねイオリ。イオリからお礼を言われるってこと自体がすっごく珍しいことなのに、私からすると感謝されるようなことをした覚えがちっともなかったからさ。全然結びつかなかったんだよ」


 冗談でもなんでもなく、マコトの一件とイオリからのありがとうがイコールで繋がらなかった。それは、ロコルが本当はイオリのことなどどうでもよくて、マコトとのファイトに応じようとしたのは将来的な観世家との確執を解決するための手段でしかなかったから……などではもちろんなくて。それがあまりに彼女の中で自然なことだったからだ。


 つまりは、イオリが危険に晒されると知って、その元凶たるマコトに対して彼女はごく自然に激しい怒りと焦燥を覚え、自分の何を犠牲にしてでも彼を助けなくてはと『思考を介することなく』決心していた。打算も計算もなく、一も二もなくそれだけをしなければと決意したあの瞬間は、紛れもなく素のロコル。演技こそが自然体となって以降も残っている彼女の芯と呼べる部分であり、飾り気のない素顔が現われていた。それくらいに、彼女にとってイオリを助けるというのは当たり前の行為なのだ。感謝されるようなことをしていない、という意識は実際にイオリを助けたのがエミルであるという点以上に、真実言葉そのままの意味でもある。


「怒るに決まってるじゃん。たった一人の双子を人質に取られて、怒らないわけがない。助けようとしないはずがない……そのことにお礼なんて期待するはずもない。逆なら、イオリだってそうしたでしょ?」


「でも逆なら、ロコルだってイオリに感謝くらいするでしょ」


「あはは、それはそーだ。だって嬉しいもんね、いくら当然のことだからって」


「うん、イオリは嬉しかったよ。本当に嬉しかった。……だからお礼をちゃんと言おうって決めたのにさー、なんか変な風にしちゃってさー」


 これじゃあ台無しじゃんか、と。拗ねたようにするイオリのそれが、やっぱりただの照れ隠しに過ぎないことがロコルには伝わってきて。なんだか自分と同じ顔をした彼のことが無性に愛おしくなった彼女は、そっとその身体を抱きしめた。


「わっ……何さ、いきなり?」


 まったく予想外のことをされてイオリは驚くが、咄嗟に離れようとはせずされるがままにする。そんな彼にロコルは笑いかけて言った。


「こんな風にできるのって、少し前までは特別なことだったよね。それが今では特別じゃない。改めて感慨深いなぁ、って。……家族全員で、こうやって仲良くできたらいいね」


「……できるよ。兄さまの変化を切っ掛けに大兄様たちだって変わってきている。お父様やお母様だってそうだ。だからきっと、そう遠くない内に叶うと思うよ。家族での団欒ってやつがさ」


 イオリの語った希望ある未来にロコルは「うん」と肯定を返し、ゆっくりと彼の体を放した。瓜二つの顔が瓜二つの瞳を交わらせる──そこにお互い同じ気持ちがあることを、双方が感じたようだった。


「それじゃ、イオリは兄さまのところに行くよ」


「うん。応援よろしくね」


「もちろんするよ。だってロコルにはイオリと兄さまのを取ってもらわなくちゃならないんだから」


「仇って……ふふ、なるほどね。そういう発想はなかったや」


 言われてみれば確かに、アキラに勝つことは兄と弟(これはロコル側の認識である)の仇を討つということでもある。何せエミルもイオリも半年前のあの日、続け様に彼に打ち負かされているのだから。


 負けっぱなしは九蓮華の名が廃る。ここはなんとしてもロコルが自分たちの代わりに彼への勝利を果たしてくれねば……と半分くらい冗談で、しかし半分以上は本気でイオリはそうなることを願って口にしている。無論それは純粋にロコルの優勝を願ってする応援のついででしかないが、ついででリベンジが叶うなら悪くない。是非ともロコルには頑張ってほしいとイオリはそう思う。その思いを受けてロコルも、これはますます負けられない理由が増えたと笑いつつ意気込みを新たにする。


「わかった、イオリ。私に任せておいて。兄弟の憎き仇敵を必ずや下してみせるから」


「任せた。ロコルなら勝てるよ、絶対に」


 エミルに関すること以外では強い言葉を使いたがらないイオリが、大した根拠や確証もなしに「絶対」と太鼓判を押す。その意味を、彼なりのエールを受け取ったロコルは、その闘志を一段と募らせた──。



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