375.決勝進出! そして……
『決ぃまったぁーッ! ファイト決着! この瞬間! 決勝戦へ進むのは──一年! 九蓮華ロコルに決定! 皆さん! 素晴らしきファイトを見せてくれた両者の健闘を! 大きな拍手で称えましょう!!』
やけに熱の入った、担任である男性教師のMCを耳にしながらロコルは「ふう」と汗を拭う。最初は落ち着いていた担任が今ではこうも熱狂の様子を見せていることからも明らかな通り、彼女が今し方戦い抜いたBブロックの準決勝、決勝を担う二連戦は相当な激戦であった。準決勝で当たった二年生男子にもそれなりに苦戦を強いられたし、決勝に至っては思わぬ奇策を仕掛けられて本気で負けを覚悟する場面もあった──だが、どうにか乗り越えた。おそらくは並みならぬ想いを以て戦いに挑んでいたであろう二年生の少女を、なんとか下すことができた。
「…………」
対戦相手が無言で頭を下げ、そして壇上を去っていく。ファイトが終わった途端に言葉も交わそうともせずにいなくなってしまうその態度は、如何にも敗北の悔しさに何も言うことができないのだと観客席や司会席からは見えるのだろうが。しかし真相はそうじゃないと彼女と戦ったロコルにはわかる。負けてドミネイターが悔しく思うのは当然だが、けれど頑なに閉ざされたあの口はただそれだけを表しているのではない。憎しみがある。小さく、こちらには見えないようにと努力された炎ではあるものの、確かに彼女の瞳にはそれがメラメラと燃えていた。ロコルはファイトの只中においてそのことを知った。
恨みの発露。それもおそらくはロコル個人に対してのものではなく、御三家という大きな枠組みに対するものだろう。彼女の苗字が今では落ちぶれてしまった高家の、更に傍流の家系と同一であることを思い出してロコルはそれを確信した──彼女がどんな経験をしたのか、どんな気持ちで自分を見ていたか、そこまでは察せられるものではないが。少なくとも彼女にとってこの試合がただの大会中の一ファイトではなかったことだけは確かだ。
負けたくない思いも、通常のファイトの比ではなかったはず。だから足早に舞台から消えたそれも決して演技などではないのだ。ロコルと口を利きたくないがために悔しさに見せかけて背中を見せたのではなく、迂闊に口を開けば心無い罵詈を浴びせてしまいそうで、だけどそんな「マナー違反」をしたくはなくて。故に彼女には何も言わずに去る以外の選択肢がなかったのだろう。微かに震えていた少女の肩が、ロコルにそれを教えてくれた。
(こういう人だって決して少なくない……それは高家の内だけでなく、外においても。ままならないものっすね)
ファイトをすれば必ずわかり合える、通じ合えるというものでもない。むしろ互いの内心が深く交錯したことで余計に拗れたり徹底的な断絶が起こったりもする──ミライとの試合でマコトがおおわらわになるくらいには相互理解が進んだロコルだが、それは二人の性根の相性に寄るところが大きく、たった一戦で敵対心が裏返ることなど普通ならまずあり得ない。なので、その経験を試金石と捉えるのは危険が過ぎる。例外的なケースをたまたまひとつ目に引いたからと次からもそれが続くと考えるのはあまりにも呑気である……そう気付けただけでも彼女と戦えてよかったと思うしかない。と、ロコルは自分を納得させた。
(彼女が心を閉ざしていたこともあって大まかにしか理解もできなかったっすけど……でも恨み自体は本物。それが御三家へ向けるに正当なものなのかは定かでなくとも、こういうことはこれからも起こる。御三家やら高家やらの枠組みそのものをなくしたい自分の行く道には、こういう対決が必至になる。慣れていかないと、っすよね。そしてもっと上手くやれるように精進しないといけない。おかげで気が引き締まったっすよ先輩)
いつかあなたとももう一度わかり合う機会を持てたらいいんすけど、と。失敗を糧にしつつ再戦にも密かに燃えるロコルの内心は、とても勝者らしいものではなかったが。そうやって目先の勝ち負けに頓着せずに自然と『次』を、更にその『先』をも見据えられる彼女だから兄であるエミルを始め多くの者から高く評価されているのだ。
(課題も残れど何はともあれこれで決勝進出。次の試合はいよいよセンパイとっすか──でも、今はその前に)
惜しみない拍手を講堂中から送られつつ舞台を降りたロコルには、十五分後に行われる決勝戦よりも気掛かりなことがあった。それは何かと言えば無論、エミルとマコトに関してだ。
二連戦が始まる直前に連れ立って何処かへ向かったあの二人。ロコルが試合に挑んでいる間に彼らのファイトも行われていたはずだ。その結果が、結末がどうなったか。イオリの身の安全やミライとの今後についてがどうなったのか、そちらの決着もまたロコルの気を揉んで仕方がなかった。試合中こそ目の前の勝負にだけ集中していた彼女だが、それが終わってしまえば頭の中を占めるのはやはりその一件のみ。片隅へ小さく押し込めていたものが一気に膨らんだようだった。思考を切り替えてはいてもどこかには確実に残っていた、ということだろう。そんな重たい懸念をこれ以上引き摺るのはご免だった。
決勝では、アキラとは疑う余地もない完全なる全力で戦いたい。そのためにもまずはエミルを探さねば、と講堂を出るために通路へ引っ込んだロコルはそこで弟の姿を見た。
「おつかれロコル。一応、決勝への進出にはイオリからもおめでとうを言っておくよ」
片手を上げて気安くそんなことを述べるイオリは、どうやらここを通ると踏んで自分のことを待っていたのだとロコルは気が付いた。何を根拠としたわけでもないがイオリの雰囲気、そして彼がそこにいたという事実からの推測は正しかったようで。
「そ、待ってたよ。兄さまからの伝言を試合終わり真っ先に聞かせてあげようと思ってね」
「伝言……」
ドミホをひらひらとさせているということは、それを通してエミルからの連絡があったのだろう。そしてファイトの最中に電話をかけるはずもないことからすれば、向こうの勝負もとっくに終わっている──そう知ったロコルはやにわにイオリの傍へと近づき。
「エミルは、なんて?」
「たった一言……いや二言だよ。『心配はいらない』、それと『信じているよ』。ロコルに伝えてほしいと兄さまが言い残したのはこれだけだ」
「…………そっか。うん、よくわかった」
ロコルは安堵の息を吐きながら頷いた。「心配いらない」とは付くべき決着が付いのだと見ていいだろう。そこに付け加えるものがないということは、おそらくマコトの強硬な姿勢をエミルがなんらかの方法でもって解きほぐした。そう考えて間違いない。その上で「信じている」とはつまり……この後のマコトやミライとの、ひいては観世家や宝妙家との関係性がどうなるか。それは九蓮華家の現当主候補である自分やイオリの頑張り次第だと、そう告げているのだ。
たった二言だけでも充分に理解を示している様子のロコルに、イオリはちょっと唇を尖らせて。
「相変わらずズルいな。ロコルはいつでも兄さまの特別でさ」
エミルを愛する気持ちでは、ロコルに限らず誰にも負けていない自信がある。だが、ロコルと同じだけ彼と通じ合えている。そう言い切れる自信まではイオリにはなかった。マコトを指してエミルに近しい才能の持ち主と評したイオリだが、そういう意味ではマコトよりも余程エミルに近しい存在がこのロコル。自身の片割れの少女であることを、彼はひと時たりとも忘れていない。
──だからイオリは、少しだけ頬を赤らめて続けた。
「ありがとね、ロコル」
奇しくも先ほどエミルがマコトから送られたのと同じ、心からの感謝の言葉を。




