372.最大呪文アポカリプス!
エミルのドローに重さはなかった。マコトが彼からの妨害に抗ってそうしたように、懸命で全力で必死なドローでは到底なかった──が、もちろん。それは妨害の有無の差ではない。マコトはただ彼がデッキからカードを引く様をぼうっと眺めていたわけではないのだ。彼女とてやった、やったのだ。ドローだけでなく妨害においても懸命に全力に必死に、とにかくエミルに望み通りのカードを引かせまいとできる限りのオーラをぶつけた。抑え込もうとした。運命力の阻害によって、彼の逆転をより遠いものにしようとした。
真っ向からのドミネファイトを、考えるともなく策謀を企むことで避ける癖がついていたマコトであるが。そうだとしてもまったくファイトをしないなんてことはドミネイターである以上あり得ない。御三家の子としては低水準ながらに一般的なドミネイターと比較すれば少女のファイト歴は──その量においても質においても──頭抜けていると言える。そしてその戦いの遍歴において彼女は、オーラ操作の技術を持つ者として。無論のこと今回のように相手に『可能性を掴ませない』ことをしてきた。何度となく、幾度となく運命力を阻害してきた。それらの膨大な経験が下敷きになり、更にはドミネファイトへの情熱も取り戻した今。マコトの妨害は、それを成さんとするオーラの昂りは。まるでロコルとの戦いでミライが見せたあの大津波を彷彿とさせるような勢いで以てエミルに襲いかかっていた。
過去最高にして最強。発した瞬間に本人をしてそう断言できるほどの、迷いなくそう確信できるだけの爆発的にして狙い澄ました一撃。それだけのオーラを余すことなく全身にぶつけられ、頭の上から抑えつけられて。なのに彼のドローは、まるでそんな負荷の一切など知らぬように軽やかで流麗で、極まっていた。
それはドローの境地のひとつである。
と、マコトには思えた。
到達点とはこんなにも──そう得も言われぬ感情で胸を締め付けられると同時に、彼女は悟ってもいた。この後の展開。そしてファイトの終着が、自ずとその目に飛び込んできた。それはあたかもエミルが得意とする先見の如くに現実感を伴った光景だった。
「スタートフェイズの終わり際。私はディスチャージ権の使用を宣言する」
「!」
失念していたわけではない。だが重要度は低かろうと思考の片隅に追いやっていた事実。エミルは後行プレイヤーの権利である「二度のディスチャージ権」をまだ使い切っていない……ファイトが進むにつれて懸念の必要なしと思考のリソースから捨て置かれたそれが、今になって突然牙を剥いた。マコトにはそう感じられた。命核残り一、その代償として新たに生まれた魔核一個の輝きに、彼女はそうとしか思えなかった。
「これで私のコストコアは合計十個。丁度だよ」
「ちょうど──」
「その全てをレストさせ、超動。赤の秘奥──《アポカリプス》」
10コストスペル。コストを同じくする《死に物狂いのワイバーン》と比べても「使い切りである」という点において遥かに重みの増すそれを、デッキに採用し。あまつさえ勝敗の境目という重要な場面で、ここぞという局面で引き当て、事も無げに詠唱する彼の姿。そのプレイング。そこにはもはや常識なんてものは欠片もなかった。非常識だけが物語ることのできる理不尽な現実だけがそこにはあった──ああ、これが。これこそが怪物。
かつて自分の全てをひっくり返した男の、本当の力。
「効果処理といこう。このファイト最後のね」
「──激動にして黙示の呪文《アポカリプス》。青の《イノセント》、白の《ジャッジメント》、黒の《カタストロフ》、緑の《ライフ》。それら陣営を象徴するような巨大呪文のひとつ……その効果は赤陣営にとっての啓示そのもの。『場の全ユニットの破壊耐性を無視して破壊し、その後に互いのプレイヤーは手札から可能な限りの赤のユニットを召喚できる』。合っていますか?」
「合っているよ。訂正の必要はひとつもない」
「まったく……やってくれますね。なんともこれ見よがしじゃないですか。わたしを守る《海王激神ネプチューン》。その排除のためには全体破壊だけでも事足りるというのに、よりにもよって最大呪文とは。何が『たった一枚』ですか。そんなものを引っ張り出せるなら他にもやりようなんていくらでもあったでしょうに……」
最大呪文──その名の通りにマコトが名を連ねたスペルはいずれもが10コスト、各陣営における最高コストの五枚である。少なくとも現時点ではこれらを超える「重さ」のスペルカードはドミネイションズに存在していない、からには。そんな大仰な代物を最後の一手として繰り出してきたエミルに対しマコトが呆れすら感じさせる表情で首を振るのも当然だった。
ただしエミルからすれば彼女の感想は的外れとは言わずとも正鵠を射たものとは言い切れず。
「いくらでもあったという意見には否を返させてもらうよ。対象耐性を持つネプチューンを処理した上で『トドメの一撃まで通す』。そんな状況を作り出せるカードはそう多くない……特に赤単色で構成されているデッキに入れられるものとなれば、その種類は更に限られる。《アポカリプス》は確かに大仰だろうがしかし、私を勝利へ導く最善は間違いなくこのスペルなのだ」
そう、《アポカリプス》の効果にはまだ続きがある。全体破壊後に手札の赤ユニットを場に出すだけで終わりではなく、そのユニット全てがターン中におけるアタックを可能とする。しかもそれは相手プレイヤーが出したユニットも同様に、だ。
故に、もしもここでマコトの手札にも赤陣営ユニットが一体でもいれば。彼女はそれの召喚が許され、しかも攻撃命令まで下すことができた。そこでエミルへのダイレクトアタックを命じれば、もちろん彼にこれを止める手段はなく、なんとファイトは双方の同時ライフアウトによる『引き分け』となっていた──そういう通常ならあり得ない決着までもたらしてしまえるのが最大呪文の最大呪文たる所以であると言えよう。
「両プレイヤーが同時にアタックを命じるわけだからね。共にスタンド状態からの火蓋であるために相手が呼び出したユニットへのアタックはできない……【好戦】持ちならば例外的にプレイヤーへのアタックよりも優先してユニット同士のバトルに持ち込めるし、【守護】持ちであればアタックを放棄してガードに回ることも当然可能だが。そうでもない限りはダイレクトアタックへ参加するのが無難な選択だろう。《アポカリプス》がコスト上、唱えられるタイミングがファイトの最終盤であることも相まってこのスペルは思いの外に引き分け製造機であるが……私たちの場合そんなカラーレスな決着には縁がない。そうだね?」
「ええ。ご存知の通り青単色であるこのデッキに赤陣営のユニットカートなんて一枚だって採用されていません。《アポカリプス》の踏み倒し召喚はわたしのメリット足り得ない……それはあなただけに一方的な恩恵をもたらす、致命の刃」
いや。致命の刃というのならそれは彼のオーラ操作の方だろう。殻を破り放った過去最高潮のオーラの血潮。それすらも一斬りで撫で伏せたエミルの、卓越どころでは済まない超越の技量。その鮮やかに過ぎる一閃こそが自身の命を奪ったものだと、マコトにはわかっていた。
──彼のドローの時点で己の敗北が、しかと見えていた。




