354.羽化の時
「間違いだと、言いたいんですか。わたしがミライのために生きるのは。あの子のためだけにわたしの全てを捧げ、あの子以外の全てを蔑ろにするのは、外道だと。あなたはそう言いたいんですか」
「君の愛を貶めているのではない。無論、その良し悪しを語っているのでもないよ。ただ諦めが早すぎるだろうと言っているのだ──宝妙くん以外の遍くを見限るには、君はまだ若過ぎる。幼過ぎると言ってもいい」
「…………」
「断言しよう。その果てに望みはない。君が何より欲する宝妙くんとの未来には通じていない。いずれ君は君自身の手で『最悪』を引き寄せてしまう……これは必ずのことだ」
「意味が、わからない。ミライこそを何よりも優先することがどうしてそんな未来へ繋がるのか。そうならないためにわたしは──」
「生憎とそういうものなのだ、観世くん。ひとつに固執し過ぎれば遠からず壊れる。宝妙くんとの関係も、そして君の心も」
何を馬鹿なことを、とは言い返せなかった。エミルの言葉には簡単に撥ね退けられないだけの重みがあったからだ。実体験として語られているそれはまさしく彼が辿った道であり、彼の闇でもある。エミルの目が、真剣な口調が否応なしにそのことをマコトに実感させる。
だからといって頷ける話ではない。マコトはミライを守るために、彼女と共に歩んでいくためだけに今を生きている。そのために全てを捧げることの何が悪いのかまるで理解できない──それが破綻に繋がるなどと言われても、「そういうものだ」などと言われても納得できない。理屈が、飲み込めない。
確かにエミルは破綻したのかもしれない。しかしそれは彼の望みが……野望が極端に過ぎたせいも大いに関係しているだろうとマコトは思う。それこそミライの幸福を願うほんのささやかな己の願いとは異なり、彼が願う対象は全世界。この地球そのものだったという。エミルがなんの綾でも比喩でもなく本気で『世界征服』を企てていたことを、そしてそれがたった一人によって阻まれたことを──自らが育てた情報班の特務部隊に探らせることで──後から知り得たマコトが受けた二重の衝撃は、言葉に言い表せぬだけのものがあった。
経験をもとにしての助言であることは、わかる。だが彼の例がどうして自分にも当てはまると思うのか。どうしてそれをこうも強く確信している様子なのか、そこがまったくわからない。自分に限らずエミルの失敗談と同列に語れる者などいるはずがないのだから。怪物の怪物たる所以を、己との決定的な差を知っているだけにそうとしか考えられないマコトには、故に体験からくる彼の説教は非常に聞き入れ難く。
「あなたと、一緒に、するな。わたしから言えるのはそれだけです」
「意固地だね。その通り、一緒ではない。まったく同一でこそないが……しかし君には自覚があるはずだ。体よく諦めてしまったその日から、自分が何も得ていないことに」
「っ、」
「無駄を削ぎ落しているつもりかもしれないが、そう思い込もうとしているのだろうが。しかし今の君はただ小さくまとまってしまっているだけだ。自分の世界を広げることを恐れている。それによって宝妙くんとの距離が離れるのを恐れている。その二の足こそが彼女と君との間に距離を作っているというのにね」
「……あなたですら欲したものは手に入らなかった。ならばわたし程度の者であればより必死にならなくてはいけないでしょう。あなたは欲したこと自体が間違いだと言うかもしれないが、わたしの願いはそうではない。どうしても叶えたい願いのために自らの可能性を狭めることが、そんなに悪いですか」
「そうやってすぐに切り捨てるのが良くない、と言っている。私もかつては枝葉など捨て置いた。たった一本の幹が太く長く頑丈に、壮健に育てたばそれでいいと。だが違う、違うのだ観世くん。以前の私や、今の君から見て余分でしかないはずの枝葉にこそ大切なものがある。あったのだよ。それに気付かなければ行く末は先細る。栄養を与えるつもりの剪定が、しかし人においては当てはまらない。君はそれを知る必要がある──殻を打ち破る必要が、ある」
「わたしの……殻」
事実だ。エミルという絶対に敵わない敵がいると知ったあの日から、ミライを守るには自分では力不足。どうしたって役者不足だと思い知ったあの日から、マコトは己を纏め上げ、堅牢な殻に閉じ込めた。弱きは弱きなりに、小さきは小さきなりに。ぎゅっと縮まって固まることで、容易には傷の付かぬ存在になろうと。ミライを守るにはまず自分が脅かされないようにならねばと幼いながらに懸命に考えて編み出したその戦い方は、生き方は誤りだったのか──。
──否。その当時はそれでよかったとしても、環境が一新し人間関係にも新たな広がりが生まれようとしている今、エミルの言う通りに。自らに課した殻を。自己を閉じ込めている枠組みというものを破るべき時が来ているのかもしれない。
でなければ。
「……ミライが強く、美しく成長していく。すぐ横でその様を眺めて、自分はいつまでこのままなんだろうと。いつまで彼女に追い縋れるだろうかと。不安に思うようになりました。観世家の掌握も、それに伴っての宝妙家との同盟強化も、その不安の表れだったんでしょう。自分自身の成長を諦めているからそれ以外のことで何かをするしかなかった……ミライのためにわたしはこんなにも頑張っているのだと、達成感を得るために。ご指摘その通り。わたしは確かに、あなたを知って心折れて以来、この手に何も掴むことができていない」
「そう認められるだけ上々だろう。叩きのめされることでしか目を覚ませなかった私とは違い、君はまだ自分の意志で道を変えられる。その切っ掛け作りに、不詳この九蓮華エミルが協力したい」
──ファイトを続けよう。厳かに告げられ、マコトは頷く。そうだ、戦わねば。この先に何が待っていようと、エミルの一手がどんなものであろうとも。立ち向かうのだ、立ち上がるのだ。折れた心を真に奮い立たせるべき時が、今を置いて他にあるはずもないのだから。
マコトは戦わねばならない。本当の自分を取り戻すために──ミライの横に立つに相応しき自分になるために。
「《戦士の追悼碑》は複数の効果を有している」
「!」
「君のリヴァイアサンを呼び戻した登場時効果に加え、他にも常在型と起動型のそれがあってね。その内の常在型効果を説明しておこう。このオブジェクトが場にある限り、フィールドから取り除かれるユニットは墓地に行かず、ゲームから除外されることになる」
「強制除外の効果……!」
無限の生命力によって墓地とフィールドを循環するリヴァイアサンも、ひとたび除外ゾーンへ放逐されてしまえば何もできなくなる。そうなってしまえばまさしく真なる死を迎えることになる。オベリスクによってリヴァイアサンを封じると言ったエミルの言葉の意味がマコトにはようやくわかった。確かにこれは、自身のエースに対しての特効と言っていい程に「効果的な効果」である。
「あくまで除外されるのは墓地へ行くはずのユニットのみ。手札・デッキへのバウンスや、コストコアへの変換などといった特殊な離れ方をするのであればオベリスクの効果対象外となる。どうしてもエースユニットを手放したくなければ参考にするといい」
あるいはそれ以外にも、とエミルは続けてこう言った。
「オベリスクそのものをどうにかできる算段があるのなら。それまでの間、リヴァイアサンを守り切るというのも選択肢の内だろうね。此度の君が何を選ぶか、私はとても楽しみだ」




