324.怪物からの誘い
参考までに。と睨み合いから一転、すっと表情を消して。あまりにも抑揚に欠けた平坦が過ぎる口調でマコトは言った。
「教えていただけませんか。わたしがなんらかの行動を起こすこと、そこまではその人並み外れた推察力で把握できたとして。しかし何故タイミングまで読めたんです? 今この場でこそ行動が起こされると、どうして予想できたんですか」
こうも正確に、まるで本当に未来でも予知できるかのように読み切られ、邪魔されている。マコトなりに意表を突いた襲撃のつもりだっただけにこのことは甚だ不愉快かつ著しく不思議な事態であった。
ロコルのまったく無防備な背中へ声をかけた段階では作戦の成功を微塵も疑っていなかったが故に、その間にも。そしてそれ以前のロコルを待ち構えている段階から既に自分が見られていたこと。その視線にまるで気付けなかったことが──隠形で一杯食わされたことが、ひどく納得のいかない気持ちもあるが。けれどそこは自分の油断だと諫めるしかない。獲物を待ち構える狩人はそれを誰にも悟られてはいけない。何故なら獲物を仕留めようと狩りに全神経を集中させるその瞬間こそ、獲物以上に狩人が無防備になってしまうからだ。そこを他の何かに狙われてしまえばひとたまりもない……先ほどのマコトはつまりそういう状態にあったのだ。
狩りの計画を実行前から読まれていた以上、こうなるのは半ば必然でもあった。イオリがここまで事細かに(それもトーナメント運営中であろうと関係なく)エミルへ報告を行なっていたのがまず予想外であったし、それを受けてエミルがこうも出しゃばってくるとは更に予想外だった。彼と双子の仲が──エミルの怪物性を本能の部分で知るミライにとってはとても意外なことに──良好であるとは、普段の様子から知ってはいたが。だがエミルの側はあくまで双子への干渉は「良き兄」の範囲に留まっていて、それ以上の過干渉や「元当主候補筆頭」としての入れ込みや忖度はなく。つまりはそういうことなのだろうとマコトは理解していた。
どういった心境から当主戦からリタイアしたのか、それはエミル本人にしか知り得ぬことであるために、現在の彼がどういったスタンスでいるのかもまたその言動からおおよその予測をするしかなく、ミライに御三家を掌握させる上での最大の生涯でこそなくなっても彼へのマークを外していいなどとはちっとも思えなかったマコトはこの半年間、少なくない数の千草班(観世家使用人の中でも隠密作戦に特化したチーム。マコトが選定した者だけで構成されている)を当てて動向を見守っていたくらいだ。
アカデミアに入学してからの一ヵ月間にはイオリとロコル、一応はエミルのリタイアの切っ掛けを作った若葉アキラ。何より宝妙家の私塾から卒業し初めて学校というものに通うミライの監視に割り振るために一旦エミルを要観察対象から外していたが……これは単に優先順位の問題であり、もっと千草班を潜入させられていれば間違いなくマコトはエミルの観察も続けていた。とはいえ仕方ないことだ。ミライが慣れない新環境にストレスを溜めないかと本気で心配したし、久方ぶりに顔を合わせるイオリやもっと久方ぶりに(なんなら死んだかとまで思っていた)ロコルと再会するというのだから、ほぼ未知と言っていい双子への警戒はマスト。そして怪物を倒した怪物的英雄であるアキラもまた──。
マコトほどエミルの怪物性を知らぬミライは「弘法とて筆を誤るもの。どんな強者であろうと生涯無敗などあり得んということだ」とどちらかと言えばアキラが強いというよりもエミルに弱さがあったのだと見ているようだが。実際にそれは核心を突いているのかもしれないとは思いつつも、やはりマコトとしてはアキラを低く見積もる気にはなれなかった。この大講堂で行ったという世紀の一戦。それ以降エミルとアキラが良好な関係にあるらしい点も含めて、彼には「何か」がある。そうとしか思えない。
エミルとは違って一目見ただけで戦慄が走るようなこともなく。エミルとは違ってファイトも常に絶対的というわけでもなく。女顔で線も細い、女装でもしてしまえば誰も女子と疑わないであろうくらいに男子らしい力強さや覇気に欠けた印象しか受けないアキラが──相対しているだけでも身も心も震えあがるようなこの怪物を、唯一打倒せしめた。それは紛れもない事実であるからして、いくら自分の目には平凡な一人にしか見えずともマコトとしては注意を払う以外になく。
それが裏目に出て、自由な怪物が妹を守るべくここにいるのだからままならないものだ。
エミルは言う。
「だから、トレースだよ。君の思考をなぞったならばタイミングだって読める……と言っても判断材料はそれだけじゃあないが。イオリは、そしてロコルも。君への用心が必要だと考えていながらそれを明日からのことだと捉えているようだったからね。考えるともなく自然と『たった今』に仕掛けられる可能性を排除していた。だからこそ今しかないと判断できたわけだよ。客観的に見ても君の視点でも最高のタイミングはここだろう」
イオリにもロコルにも隙があり、これ以上ロコルが試合で活躍することもなく、同時に優勝の可能性も消え失せ、更にミライとの関係性が構築されてしまう前に先んじて叩き壊す。日を改めてロコルに接触するよりも遥かにメリットに溢れている。そう考えると「大会中に何かされはしないだろう」と自然と警戒を先送りにしていたのがいかに無用心かわかる。エミルの語りでそれを悟ったロコルはハッとした表情を浮かべていた。
「ロコルをファイトに連れ出すことに成功した時点で最低限得られるものがあるのも巧い点だ。勝てば最高だが、仮に負けてしまったとしても差し出すのは『イオリの安全』。君に失うものはなく、しかしてロコルの不戦敗によるトーナメント敗退という結果は変わらず。今後イオリを狙うことはしないと約束でもする代わりに宝妙くんへの告げ口を禁ずればアフターケアも万全だ。聞いた限りの性格上、自分に勝っておきながら戦わずして敗退するなど宝妙くんにとってはひどく許し難い行為だろうからね……決定的な破断とは言わずとも出来かけている繋がりに罅くらいは入る。そこを突いてやれば完全に敵対させることも訳はない……」
と、そこでエミルはマコトへと一歩近づいて。少女が努めて後退を我慢する様をじっと見つめながら続けた。
「というのが君のプランなのだろうが、おやおやおかしいね。これは私に限らず作戦中に『お邪魔虫』が入り込んでくることをまったく想定していない非常に簡素な計画だ。君ほどに悪知恵が働く──おっと失敬、賢しらな子であれば突発的に練ったものであろうともう少し巧妙にできたはずなのに。……随分と焦ってしまったようだね、観世くん」
「……だったらどうだと言うんです」
「いや何、良いことだよ。賢い君が性急な一手を打ってしまうほどに宝妙くんが大切だということだろう。それだけ想えるものが『自分以外』にあるというのはそれ自体が非常に大切なことだ。裡に芯のある者は強いが、それを形作るのが己だけでは案外と脆いものだ。硬くとも曲がりやすく、折れやすい。それを身をもって知った私としては君を肯定してやりたい。そこでだ」
ロコルの代わりに私が君とファイトしよう、と喜色混じりの艶やかにも聞こえる声音でエミルは告げ、その提案に息を呑む少女へこう付け加えた。
「無論のこと。私と対峙するデメリットに釣り合うだけのメリットも用意しようじゃないか」




