323.助太刀、怪物のエミル!
「エミル……どうして」
どうしてここに、どうしてこのタイミングで姿を現わせたのか。疑問をありありと顔に浮かばせる妹へふっと笑いかけてから、エミルは彼女だけでなくマコトにも聞こえるようにそのよく通る美しい声で言った。
「宝妙家と観世家の新たな動きについて大まかなことはイオリから聞いているし、ロコルとミライくんの試合も見させてもらった。その後のマコトくん、君の荒れ様もしかとね」
「……!」
あんな一瞬の、それもロコルにだけ向くようにと気を付けた殺気を、舞台の外から見ているだけの者が察知したというのか。そのことに目を見開く少女へエミルは「無論だとも」と頷き。
「イオリやロコルも素晴らしいものを持っているが、それでも読む力に関しては私がずっと勝っている。だから気付けたんだよ、君がこうして暴挙に打って出ることにも」
イオリが自身の義務として行っているエミルへの報告。その内容は精緻かつ多岐に渡り、しかも高頻度に行われる。ロコルとの密談よりも先にエミルへ宝妙ミライと観世マコトに関するありとあらゆる知り得た事実やそこから推測できることを伝えていたイオリは、当然に新たに確信を持ったマコトのミライに対する激しい執着。それによってロコルが目の仇にされるであろうという懸念も彼に告げていた──その結果として、エミルは二度目の休憩を貰ってここにいる。
「密談場所に紅上くんたち以外にも近づく者がいて、それが君と来たならば。誰だって嫌な予感くらいは覚えるだろう。気配を消している君の傍で私も気配を消して待機していたんだが、気付かなかったかい?」
返事は無言の睨みだった。それを笑顔のままに受け止めるエミルへロコルが。
「それってひょっとして、紅上センパイたちに自分とイオリの居場所を教えたのってエミルなんすか?」
誰も通りかからない場所を選んだはずだったのに、どうしてコウヤたちがピンポイントでそこを訪れたのか疑問だったのだ。訊くタイミングを逃したままに別れてしまったので地味に気になっていたロコルだが、エミルがその理由だと考えればしっくりくる。何せ彼ほどの探知網となれば大講堂程度の広さくらいならどこにロコルがいようと筒抜けであるのだから。
「そうだよ、どこにいるか知らないかと訊ねられたものだから隠さず教えたさ。イオリと大切な話をしているのは承知していたが試合時間も近づいていたからね、そろそろ切り上げ時だと知らせる意味も兼ねて彼女らを送ったんだ……それでも大分時間は押したみたいだけど。おかげで私も観世くんも長く待ちぼうけを食ってしまったよ。ねえ?」
「…………」
「おや、返事をくれない。これは嫌われてしまったかな」
やれやれとわざとらしく肩をすくめるエミル。そんな彼にミライが向ける感情は、嫌う嫌わない以前に最大の警戒である。九蓮華エミル。その名の恐ろしさをマコトはよく知っている──それは音に聞く噂からでもあり、実体験としての確信でもあった。このように面と向かって口を利かれるのは初めてのことだが、数年前に一度だけ社交界の場で彼を見かけ、そしてそれだけで重々に知れた。言葉など交わさずとも、ファイトしている様など目の当たりにせずとも。ただそこに佇んでいるだけで威圧的で暴力的な、大人たちすらも気圧されるほど異質な存在感を放っていた彼を……一目見ただけで理解できた。
違う。
なまじマコト自身が観世の突然変異的な才能の持ち主であったために、その時点で既に『計画』を企てていたくらいには特異な存在であったために余計に詳らかとなった。エミルとは、そんな自分と比べても異常な生き物である。そう肌で感じ、脳で直感し、胆で受け止めた。足りない部分を謀略と策略で埋めている継ぎ接ぎの怪物である己とは違う、強さひとつでその位置にいる正真正銘の怪物。足のつま先から頭のてっぺんに至るまで全てが異常の、この世にいてはいけない類いの才能──それを『ミライの未来』における最大の敵と捉えて、どうにか対抗すべく観世家の掌握を急ぐと共に自身の力もより必死に磨き上げたのも今は昔。
マコトは強くなったし、観世家は彼女の物となった。ミライと共にドミネイションズ・アカデミアに通えることも決まって、その時期に最大の敵は勝手にいなくなった。勝負の舞台から、たった一度の敗北を機に降りてしまった。……それに拍子抜けしなかったわけではないし、肩透かしを食らった気分にもなったのは事実。いずれ矛を交えることになると覚悟を決めた難敵が急にいなくなったせいで次なる目標へ何を据えればいいのかわからなくなってしまったのだ。エミルという存在が強大過ぎて、仮想敵ありきでプランを作るのに慣れ過ぎてしまった弊害だった。
とまれ、まあ、いいだろう。怪物と噛み合う必要がないならその方がいい。戦いを想定して得た力は、戦いがなくなったとしても無駄にはならない。結果としてミライと二人で創る世界のためにエミルはいい仕事をしてくれたのだと見做すこともできる。力を蓄えることを煽るだけ煽って消失したそのぶつけ先は、マコトにそれまで以上の余裕というものをもたらした。順風満帆。エミルの代わりとして舞台に上がってきたのがこれまた癖のある双子であることにミライはそれなりの用心をするようにと言ってきたが、どんな曲者であれエミル以上の難敵はあり得ない。そういう意味でもマコトはミライに見せている「マイペースな少女」の皮が被りやすく、入学からのこの一ヵ月を安穏とした気持ちで過ごしていたのだが。
それがひっくり返された。エミルとはまた違った意味での難敵。マコトにとっての急を要する課題が出てきた──九蓮華ロコル。
努めて情報を隠している節のあるイオリと異なり、こちらは自然体のままにろくに情報を掴ませない演技者。それが演技の賜物であると同じく騙す者として見破ってはいたマコトだが、だからこそミライとは「合わない」と。彼女が倒して武勇伝とするに相応しい敵役にして適役であると、その程度にしか見ていなかった少女がまさか、たった一戦。本気で想いをぶつけ合うファイトを一度しただけでこんなにもミライと親しくなってしまうなどとは、彼女を誰より知っていると自負するマコトでもまるで読めなかった。完全なる想定外であった。
危機感は対エミルを見据えていた頃よりも上。何せエミルはその絶対性故に絶対なる敵として君臨し、もし破れるにしてもミライとマコトは共に散れる。唯一無二の相棒として一緒に死ねるのだ──だがロコルは、その関係性に入り込んでこようとしている。土足で踏み込んでこようとしているのだからとても許せたものではない。ミライには自分しかおらず、自分にはミライしかいない。他に輩がいたとしても真実対等であるのは宝妙ミライと観世マコトだけ。そうでないといけないのだ。そうでないと我慢がならないのだ。
だから、二人きりの関係を壊してしまいかねない、三人目となってしまいかねないロコルは。ミライに思いの外気に入られている彼女は、ここで確実に潰しておかねばならない。
どんな手段を使ってでも。
「──と、君が考えているのはお見通しだとも。勿論これは私の憶測であって全てが正しいとは限らない……が、当たらずとも遠からずだろう。高い精度で君の思考をトレースできた自信がある。何せイオリから貰った情報は数多い、それだけの材料があればこの程度の推論はいくらでも可能だ。私ならばね」
「……思った通りに、わたしが思う以上の怪物なんですね。九蓮華エミルさん」
「なに、君もその歳でなかなかのものだよ」
御三家の異質と異質。その視線の交錯には、いくつもの感情が乗っていた。




