32.進展と新天地! DA新入生アキラ!
早朝、若葉家の玄関。スニーカーを履いたアキラは立ち上がり、振り返って言った。
「じゃあ、母さん。父さん。行ってきます」
「ええ……アキラ、気を付けてね」
「頑張ってくるんだぞ、アキラ。何かあったらすぐに連絡しなさい」
「うん!」
元気よく返事をするアキラの恰好は、まるで引っ越しでもするかのように大荷物であった。背負ったリュックも手に持ったバッグもパンパンに膨らんでいる。実際引っ越しというのは当たらずとも遠からずであり、これよりアキラはドミネイションズ・アカデミアに通う六年間、向こうの敷地内にある学生寮で生活するのだ。
つまりその間は親元を離れての自立が求められ、アキラ自身はそのことに不安と期待がない交ぜになったなんとも言い難い感情を抱いているようだ。それは今の彼の顔付きにもよく表れている──が、そんな当人とは対照的に、まだ十三歳にもならない息子を自身の目が届かない環境へ送り出すことにアキラの母はひどく憂鬱そうにしていた。
「あ、ちょっと待ってアキラ。忘れ物はないか確かめた方が……」
「もう、昨日から百回はその確認してるよ母さん。大丈夫だって、必要な物は全部入れてあるから」
「そう……なら、学校までの道のりは? 良ければ私が送ってあげてもいいのよ?」
「それも大丈夫だよ。DAより離れてる試験会場にだって俺一人で行ったじゃないか」
「そうだけど……お母さんあなたのことが心配で」
心配ばかりされても、と多少の不満と共に困ってしまうアキラに、父が朗らかに笑いながら言った。
「ははは、アキラ。お母さんの心配性は今に始まったことじゃないだろ? それだけアキラを大切に思ってる証拠だ。勿論、父さんもお前を心配してる。だけどそれでも送り出すのは、心配する以上にお前を信じてるからだ。な、母さん?」
「……ええ、そうね。あのDAにだって本当に受かっちゃったんですもの。きっとアキラなら立派なドミネイターになれるわ。私もそう信じてる」
「父さん、母さん……ありがとう」
自分のために母を落ち着かせてくれた父にも、そしてそれだけ自分を想ってくれている母にもじんわりと胸に温かいものを抱いたアキラは、さっきまで以上の活力が体に漲ってくるのを感じた。
「じゃあ、改めて。行ってきます! 俺、頑張ってくる!」
笑顔で家を飛び出していく息子を、夫婦もまた笑顔で見送った。玄関がぱたりと閉まった時、笑みを引っ込めた母の眼差しはやはり不安そうであった。これからきっと大変な思いをいくつもするであろうアキラの手前なんとか取り繕いはしたが、しかしそこは親として。子のことをどんなに信じていても心配なものは心配だった。
「本当に大丈夫かしら……あの子がこんなに早く家を出ることになるなんて思いもしなかったから、なんだか現実味がないわ」
「そうだなぁ。他の生徒も一緒とはいえ、まだアキラには早いとも思うが……だけどそれは親の目線の話だからね。幾つになれば早くないんだと聞かれたら答えに困ってしまう。俺たちが不安なく送り出せるくらいの歳まで待たせると、アキラにとっては遅すぎるとも思うから……今はとにかく喜ぼうじゃないか母さん。自慢の息子が夢に向かってひた走っていることをね。それはきっと素晴らしいことだ」
「お父さん……ええ、その通りだわ。アキラ、とってもいい顔をしてたもの」
これがただ寮制の中学校に通うというだけであれば、不安に思うのは同じでもここまで息子の身を案じたりはしない。だがアキラが送るのはただの寮生活でもなければ、学び舎もまた普通の学校ではない。彼が通うのは過酷極まりないと外部にまで噂が聞こえ、実際に毎年のように脱落者が出ているあのDAなのだ。そこで息子に艱難辛苦が降り注ぐことは想像に容易く、できればせめて傍にいてやりたいのに、DAに通わせるとなるとそれすら叶わない。
アキラが独りきりで夜な夜な泣いている姿を想像し、母としては不安というよりいっそ恐怖ですらあったが。だけどアキラならきっと乗り越えられる、そう信じる気持ちにも嘘はなかった。矛盾しているようだがこれが親心というものだった。
「なぁに、あの子だって一人じゃないんだ。幼馴染のコウヤちゃんだっているんだし、他にも新入生の知り合いがいるらしい。あの調子ならすぐにいっぱい友達もできるだろう」
友達と言っても同級生も上級生も、気は早いが来年以降に入ってくる下級生であっても本質は競合相手。DA生として戦績を競い合う都合上、ただの仲良しこよしとはいかないだろうが。しかしそういった関係性だからこそ得られる友情というのもあるのではないかと父は思っている──かつてドミネファイトに熱を入れていた者の一人として、プロの頂きにまで届くかどうかは別にしても、息子にはドミネイションズを通じてたくさんの青春の思い出を作ってほしいと願う。それは必ず生涯を通しての彼の宝物となり、財産となるに違いないから。
「信じて、祈る。夢を追う子に親がしてあげられるのはそれくらいだ」
まだ不安そうな妻の肩を抱きよせながら、彼はアキラが出ていった扉を見つめてそう微笑んだ。
◇◇◇
「やばいやばい、家を出るのが遅くなったから電車の時間が……! アレに乗り遅れたら遅刻しちゃうぞ!」
DAまではかなり距離があり、いくつか乗り換えもある。最初の一本を逃したらずるずると到着時間が遅れることとなり、そうなると入学式に間に合うか非常に怪しい。ムラクモから遅刻厳禁と告げられていることもあって焦りに焦るアキラだったが、駅にひた走る彼の進路が急に塞がれたことで足を止めざるを得なくなった。
「うわっ?! あ、危ないなぁ」
いきなり目の前へ飛び出してきたのは一台の車。それもボディが黒塗りで光沢のある、見るからに高級車だ。お金持ちなのに随分と荒い運転をしているんだな、くらいに思って車を回り込んで先を行こう──としかけた彼を呼び止める声。
「若葉アキラ様ですね?」
「えっ?」
開いた車の窓から運転手が顔を出しアキラを名指しした。そうしてアキラの全身を上から下まで確かめ、手早く降りてくる。その運転手は女性で、しかも黒スーツにサングラスを合わせたまるでSPのような出で立ち。そのことを意外に思う間もなく、彼女はすっと後部座席のドアを開けた。
「お乗りください。DAまでお送りいたします」
「お、送る? そんな話は聞いてないけど……」
「こちらをご覧ください、DA職員であることを証明するバッジです」
「あ、ムラクモ先生もしてたやつ」
キラン、とスーツの襟元で輝く金色のそれは間違いなく試験会場のモニターに映るムラクモがしていた物と同じだ。彼もこれがDAの関係者であることを明かす物であると言って、なんてことはないように見えるが最新技術がふんだんに詰め込まれており複製不可能な品であると説明していた。つまり、この女性は本当にDAからやってきた送迎者なのか──そうアキラが理解しきるのを待たず、女性は言う。
「お早く。少々時間に余裕がありませんので」
「あ、は、はい!」
急かされる形で乗り込むアキラ。高級車らしい外見に過たず、父が持つ自家用車とは内装も座り心地も雲泥の差であるその豪華ぶりに彼は少しばかり怯んだが、運転席に乗り込んだ女性は手慣れた様子でさっさと車を発進させてしまう。
「シートベルトの着用をお願いできますか。安全運転を心掛けますが、万一のことがあってはいけないので」
「わ、わかりました」
いそいそとシートベルトをしたアキラをミラー越しに確かめて満足そうにした彼女は、順番が前後してしまったことを先に謝罪してから名乗った。
「私は甘井。甘井アンミツと申します」
「あ、アンミツさん……えっと、可愛らしい名前ですね」
「ありがとうございます。どうぞ気軽にアンミツとお呼びください──私の役目はアキラ様のお世話をすることにありますので」
「──んっ!?」
何か突拍子もないことを言われたような気がして声を引っ繰り返らせたアキラ。そんな彼を乗せている車は順調にDAの方角へと進んでいた。




