319.ロコルの自重と自嘲
輝かしい瞳だった。戦う者としての殺気を帯びたその眼差しはひどく剣呑でもあったが、それ以上に強く、格好のいいものにロコルには見えた。誰に何を恥じることもない生き様をしているからこそできる真っ直ぐで美しい双眸。それは畢竟、紅上コウヤという少女のありのままを示している。
若葉アキラの幼馴染として、そして彼の憧れの対象として、常に傍にいるコウヤだ。アキラの思い描く理想のドミネイター像に彼女が影響を与えていることは間違いなく、それはアキラの生き様にも影響を与えることであった。彼がああもドミネイションズに、ドミネファイトに真っ直ぐでいられるのは、このコウヤの存在が大きい。彼女が善き手本として彼に背中を見せた数年間があったから、その土台があるからアキラはブレないのだ。
元々あった素養が十二分に活かせるだけの下地が伴ったからこそ彼の今があり、そして彼の今を作った一番の立役者は他ならぬコウヤだと言えよう。
彼女なくしてアキラの飛躍はなく、そうなるとエミルを止められる者もいなかったことになる。もしもアキラがコウヤと幼馴染でない世界線があったとしたら、そちらではひょっとすればロコルが勇者役を担っていたかもしれない……その結末が果たしてどうなるのかは別として、アキラがいなければもっと大変な事態となっていたであろうことは確実だ。アキラとエミルの再戦を決定付けたのも、仇討ちをすべくエミルからの誘いに──それが罠であると知りながらも一切臆さず──乗ってファイトしたコウヤの勇猛さこそがその直接の原因。そういった点を鑑みれば、そして黙って彼女を送り出したロコルなだけに、コウヤという少女は単なる先輩の一人として数えるには大き過ぎた。
尊敬の念に堪えないドミネイター。そんな彼女からの、一見手厳しくもこちらを慮る情というものをひしひしと感じさせる言葉。それを送られて何も感じないほどロコルは鈍くもなければ恥知らずでもなかった。
「その通りっすね。今の自分は、ドミネイターらしくないっす。とてもセンパイ方に胸を張ってそうと名乗れないっす……」
実力を隠すこと。大会などで戦略的にそういった行為に及ぶドミネイターはいるだろうし、それ自体は何も問題ない。勝つために、最終的により上へ進むために必要ならば大いにやるべきだ。そもそも実力をセーブして困るのは万一にもそれが理由で足を掬われる可能性がある本人だけであるからして、卑怯でもなければ侮辱的でもない……と少なくともロコルの感性からすればそう思う。いついかなる時もどんな相手にも必ず全力で臨む、というのは議論の余地なく素晴らしいことであるし、一種の理想でもあるが。しかし勝利を数多く掴むためにはそんな素晴らしさへ背を向けることが正解にもなるのが勝負事の妙というもので、ロコルはそういった盤外戦術に勤しむのもまたドミネイターが当然に負うべき義務のひとつだと捉えている。では、何故今の彼女は胸を張れないのか?
それは彼女が実力を隠す意味合いが、例に挙げた『勝つため』のそれとは根本的に異なっているからだ。ロコルの場合、強さの隠匿とは後の試合で事を有利に運ぶための策略の一環ではなく、むしろ試合にはまるで関与しない、まさしく盤外のことのみを気にしているがためのもの。盤上を優位にするために行うからこそ盤外戦術と呼称するのであって、最初から盤上に視線を向けていない盤外戦術とは、ただの身勝手に過ぎない。ロコルがやっているのはそういうことだった。それを、コウヤとオウラには見事に看破されていた。
「エミルの後継だと見做す目を、少しでもなくさせたい。勝負にならない可能性があるから、ミライちゃんとのファイトでは呼べない。そして何より……まだドミネユニットを見つけられていないイオリを傷付けたくない。そんなことばかり考えているのが、そんなことばかりを考えて目の前のファイトに全力を出さないのが、自分っていう情けない奴っす──だけど」
無論、ロコルがドミネイト召喚を控える理由はそれだけではない。現在の彼女の目的はイオリを片割れではなく唯一の次期当主候補とすること。かつてのエミルと同じ立ち位置につかせ、それに足るドミネイターに彼がなれるよう表から裏からサポートすることにある。いずれは御三家や高家といった時代錯誤も甚だしいヒエラルキーを撤廃させることが彼女の夢ではあるが、あくまでそちらは最終目標。イオリの成長を待つよりもずっと時間のかかることであるために、当面はやはり当主候補のもう一人として振る舞う必要がある──そしてそれには御三家間のバランスを取り持つことも必要になる。
良くも悪くもピラミッド型の位置付けで安定している御三家のパワーバランスが崩れれば、ミライやマコトがそう画策しているように、古き時代の再来の如くに戦争が起こる。そしてミライの理想図のようにそこに清々しい決着がつくならばまだいいが、しかし争いとはそう上手くいかないものだとロコルは知っている。格付けの再認定がなされ、一応の終幕を経たとしても、それがどんな三角形を描くにしてもほぼ確実に確執は残るだろう。そして戦争の直近ともなれば現在のようなわだかまり程度では済まされない、もっと生々しく鮮度の高い恨みつらみが水面下に沈着することだろう──よりにもよってイオリの代でそんな悲劇は起きてほしくない。それは将来的なロコルの夢を更に困難にさせるだろうし、そういった事情を抜きにしても戦争とその事後処理に一生を忙殺される弟の姿など見たくないというのがロコルの本音であった。
故のバランス調整だ。絶対的に回避したいのは御三家が完全に分裂し、それぞれが対立して三竦みのにっちもさっちもいかない状態に陥ること。そうなっていないだけ宝妙と観世が手を組んでいる現状は、それと敵対しなければならない九蓮華(というより矢面に立つことになってしまったロコルとイオリ)の負担を抜きにして考えればずっとマシだと言える。先のファイトを通してミライと手を組むヴィジョンも見えてきたからには──それを打ち崩さんと企んでいるであろうマコトの存在が非常にネックではあるものの──悪くない。最低でも卒業までは次期当主候補同士の丁々発止のみで打ち止めにしておきたいロコルの思惑に沿った展開でもある。
ただしロコルは理解している。それが成り立っているのが単なる幸運の比率が大きいことと、そして幸運を除いて残った部分の大半が自身の自重にこそあることを、自嘲的に理解している。
もしもロコルがドミネイト召喚を、習得した途端に自慢気に披露するような気質であったなら。普段から惜しげもなく己が全力を周囲に見せつけるようなファイトをしていたなら、果たして現状のバランスはあっただろうか? イオリにミライにマコトといった、いずれも例外なく一癖も二癖もある次代の当主候補たちを相手に、御三家間の調整などといった繊細に過ぎる仕事が成り立っていただろうか──?
考えるまでもない。答えは否、絶対的な否だ。
ロコルが気にしている盤外のこと。それは何も自分を想ってのことばかりではなく、その根元にあるのは彼女が抱える「責務」である。どうしても自分が成さねばならぬ、成さなければ自分で自分を許せぬ執着にも似た責任感。それこそがロコルを二律背反の矛盾の内に閉じ込め、その心を軋ませているものだった。
だとしても。
「だけど、紅上センパイ。自分はドミネイターである以前に『九蓮華』っすから。この責務からは逃れられない。逃れちゃいけないんすよ。エミルから、家から逃げてしまったあの日のように」
同じ過ちは犯せない。




