310.二人で
「し──嫉妬」
耳にした単語をおうむ返しに呟きながら、ロコルは悟る。イオリが先ほど口にした「ミライはともかくとして、マコトの方はロコルの夢に協力してくれないだろう」という、ロコルからすればどこからスタートしてどのようにゴールしたのかまったく不明だった予想。それはつまり。
「嫉妬心のためにマコトちゃんは自分とミライちゃんが手を取り合うのをやめさせようとしてくる、ってこと?」
「まず間違いなくね。イオリたちの前でも被っていた仮面を脱ぎ去ってまでロコルへ叩きつけた殺気。一気に親しくなってしまったロコルとマコトの関係性に激しい悋気を抱いていることは確実だと思う」
その程度のことで心を揺さぶられて演技が崩れてしまうあたり──自身の持つ「人間臭さ」に見事に翻弄されているあたりは、とてもエミルと近しい存在だと言えたものではないが。けれど誰より完璧に近かった兄ですらも完璧ではなかったのだからいくら観世の傑物とはいえ……『怪物』とはいえ、兄に劣らぬところがあっても当然。むしろそうでなくてはおかしいとイオリは内心で首を振る。同時代に三人も天凛がいては堪らない。それは今でもエミルこそが世の頂点と仰ぐイオリにとって我慢ならない事実となる。
そんな彼だからこそマコトの心情は手に取るようにわかるのだ。嫉妬で感情を剥き出しにしてしまう行為は彼自身よくやっていたことだから。嫉妬深い性格をしているという自覚があるイオリはだから自信を持って、情報越しにしか知らないマコトの内面の荒れ方が自分のことのように理解できるし、そして双子としてイオリの性格をよく知るロコルもまた彼の言うことだからこそすんなりとそれを信じられる。こと情念に関しては、女性性であるロコルよりもよほど重く深く溜め込んでいるのがこの十三歳の少年であるからして。
「でも、自分としてはいずれ高家の枠組みがなくなるのであれば御三家の頂点に宝妙が立ってくれても別にいいと思っているし、ミライちゃんがその後で本当に協力してくれるならそこまでをサポートしてもいいと思っている。と、ミライちゃんを通じてマコトちゃんにもそこは伝わっているはず。それでもマコトちゃんは納得してくれないのかな」
ロコルの言いたいことはつまり、九蓮華の補助。それも次期当主候補筆頭の片割れとの協力体制は嫉妬のひとつでご破算にしてしまうには惜しい、実に美味しいものだろうということだ。
もしもこれが実現したならミライが宝妙の当主となり、宝妙を御三家のトップに据えるというミライにとっての悲願も成就しやすくなることは確実。少なくとも組まないよりは組んだ方が利点があり、ミライのためにもなる。そのことはマコトだってよくよくわかっているはずで、だとすれば一時の感情任せにそれを邪魔しようなどとはしないのではないか──というロコルのあまりに理性的過ぎる考えを「まるでわかっちゃいないなぁ」と呆れたようにイオリは否定した。
「一時の感情を舐めちゃいけないよ。中でも嫉妬心っていうのは人を狂わせる何よりの材料なんだ。イオリだってエミル兄さまのためだと思えばなんだってしてきたけれど、マコトのそれはイオリじゃ足元にも及ばない。尽くしていることを本人にすら気付かせたくないっていうんだからその愛は、その狂気は本物だよ。純度もね」
「…………、」
ロコルからすれば嫉妬の第一人者はイオリだ。そのイオリですら舌を巻くほどの重たさがマコトにはある、ということか……そうなると確かに『たかだか嫉妬のひとつ』などと軽く言うことはできない。その感情一個に他全てが等価となるだけの価値がマコトには──彼女の想うミライにはあるのだろうから。
マコトの視線を思い出しながらごくりと喉を鳴らすロコルへ、「それに」と付け加えるようにイオリが続けた。
「ロコルのサポートが強力だったり手厚かったりするほど。それでミライが助かれば助かるほどに、なおのことマコトは我慢ならないはずだよ」
「なおのことって、それはなんで? 助かる分にはいいことだろうに」
「だってそれじゃロコルのおかげでミライの夢が叶ったみたいなものじゃないか──実際がどうであれ、自分以外の誰かが『一番の貢献者』になってしまうおそれがある以上、マコトはそれを歓迎しないよ。ちょっと前のイオリを思い浮かべてみればわかりやすいよ。自分以上の兄さまの側近なんて、あの頃のイオリが許すと思う?」
「あー……うん、ないね。それは絶対にない」
エミルの初敗北の前にイオリも同じ相手に完敗を喫している。そうなった切っ掛けはやはり嫉妬心。兄に目をかけられている、欲されている他者のことがどうしても許せず。どうしても自分の方が上だと証明したくて──兄の目を自分だけに向けたくて。そのために挑み、負けて、そして……とまあ、色々とあっての今のイオリだ。彼は変わった。変わらない部分も多々あれど、それでも大きく変化した。エミルと同じく、いや、エミルが変わったからこそイオリもまた変われたのだろう。以前よりもずっと付き合いやすくなったイオリを見てロコルはそう思う。故に、理解する。
「以前のイオリが、今のマコトちゃん。それもイオリよりも更にヘビーな愛情をミライちゃんただ一人に捧げている、と……なるほどこれは厄介だ」
「でしょ? イオリの言いたいことが伝わってくれて嬉しいよ。要するに『油断するな』ってこと。ちょっとミライと通じ合えたからって気を許しちゃ後ろからマコトに刺されるよ。きっと彼女たちはそういう風にしてこれまでも色んな事柄に対処してきたんだろうから」
「ミライちゃんにやってる自覚はないんだろうけどね……こうなってくると同盟の件もどっちから持ち出した話だかわからないな」
ミライの認知からすると、元々あった縁を利用して宝妙から観世へ持ちかけ、半ば強引にその手を取ったという流れなのだろうが。しかし観世の全てがマコトの一存に委ねられているのだとすれば、あるいは強引に手を取られたのは宝妙家である可能性も出てくる。エミルの候補辞退による九蓮華の統率の乱れ。それを機に二正面作戦を展開せんとしたのは宝妙でもなければ観世でもなく、マコトなのかもしれない。だとすれば──だとしても、自分たちのやるべきことに変わりはないとイオリが言う。
「二対二だ。向こうが二人がかりでくるんだからこっちもそうしなきゃ戦えないよ。くれぐれもサバイバルマッチの結果が出るまでは取り込まれないでくれよロコル」
もしもロコルが陥落し、マコトのいいように利用される。ないしはアカデミアから排除されるようなことになれば、イオリは孤立無援となってしまう。エミルもとうに卒業した状況でそんな不利を強いられても強がれるほど、今のイオリは自惚れていない。そうなったら九蓮華は確実に追い落とされる。素直にそう認められるから、認めることができるようになったから、故にこうして盗み聞きの心配のない場所で急ぎロコルと情報の共有を行なっているのだ。
イオリの真剣さを、ロコルもしかと受け取って。
「わかった。自分も九蓮華にこれ以上砂をかけたいわけじゃないし、ミライちゃんをトップに押し上げるっていうのは保留にしておく。そもそもの話……そういう思惑なんて抜きで正々堂々と一生徒同士として争い合っていくのが健全だろうし。せめてDAを卒業するまでは、あの二人とはただのライバルでいようかな」
「そう……よかったよ、ロコルの口からそれが聞けて」
と、本当に安心したように微笑んだイオリの表情がすぐに一転。鋭く通路の先、舞台側へと繋がる方を見つめて彼は呟いた。
「──誰か、来るね」




