31.受験の裏では
「──ということで、今年も合格者は五十五人という例年通りの人数となりました」
「ほっほ、ご苦労さんじゃったのうムラクモくん」
第一会場のメイン試験官にして、今年度の受験全体を取り仕切る主要責任者のポジションにもあるその男性──ムラクモは、眠たげな顔付きをそのままに自身の上司へと報告を行なっていた。ムラクモはドミネイションズ・アカデミアの教員でもあるために、彼の上司とは即ち学園長。DAにおいての最高権力者であった。しかしそれほどの人物を前にしてもやはりムラクモに覇気はなく、溌剌とは正反対にあるようだった。
一応気を付けて姿勢よく立ってはいるものの、それでも若干猫背な上に早く帰りたがっているのが見え見えだ。そんな彼の態度を気にする様子もなく、学園長は手元の資料へと目をやりながら言った。
「ふむふむ。ひとつの試験会場からおおよそ四、五人が合格となったわけじゃな……確かに例年通りの割合。しかしムラクモくん、ぬしは相変わらずキビしーのう。第一会場で選ばれたのはたった三人。最も受験者の多い会場で最も合格者が少ないとはの」
「多いと言ってもどこも千人超の中での僅か数名……誤差みたいなものです。それに、たとえ何万人いようが合格に足る者がいなければ私は全員を落としますよ。第一会場にDAでやっていける子は三人しかいなかった。それだけです」
無表情のまま返された言葉に学園長はうむ、とにこやかに同意する。
ムラクモが担当する会場で試験を受けた子供たちを不運と思う反面、それが彼らのためであったとも学園長は思っている。DAは自他共に認められる魔境。他のドミネイションズを学ばせる専門校や学習塾などとは注がれるリソースがまるで違う。時間、金銭、設備、授業レベル。ありとあらゆる側面において他を圧倒し間違いなく日本で、いやさ世界でもトップクラスの学びの場として成り立っているのがDAという学校だ──故に、そこに所属する教員も生徒もそれだけの類い稀な環境を生き抜き、またその環境を構成する一員ともなっている魔境の住人たち。そこに混ざろうというのだから新入生に求められるハードルというのも自然と高くなる。
というより、足切りというには高すぎるラインを設置しないことには毎年退学者が続出することになる。そうでなくともほぼ必ず年に数人は学園を去るのだ。そういったドロップアウトを経験した者は受験に失敗した者よりも荒れる。その不幸をなくすためのハードな選定であると言っていい。
つまりは学園側からすれば、厳しい振い落としとは挑戦者への親切心に他ならないのである。
「大量に受け入れ、その大多数を壊して捨てる……なんていう大量生産大量消費みたいなやり方は私たち教師側の労力から言って合理的ではなく、また時代錯誤も甚だしい」
「そうじゃのう。ワシの時代はまさしくそうやって『強い者』を育んでいたものじゃが、それが正しかったとは思うておらん。あの時代の地獄を数多く見てきたので、な」
「承知しております。ですからDAを設立なされたのでしょう」
うむ、としかつめらしく頷く学園長をムラクモは見つめる。椅子にゆったりと腰かけるこの老人は、日本という国にドミネイションズを広めた立役者であり、かつてプロリーグでも活躍していた数少ない日本人の一人でもある。DAが誕生する以前となれば、学園長も含めこの国から世界に羽ばたいたドミネイターは本当に僅かしかいない──そんなドミネ後進国が今では古強者の米国や欧州と並び強豪国のひとつとして数えられているのだから、彼が日本にもたらした恩恵というのは計り知れない。そこらの政治家などより余程発言力があるのが、このオオクニ学園長だ。
態度こそ平時そのものではあるが、ムラクモもまた一ドミネイターとして学園長を心から尊敬している。そして一教師としてもその高き理念について理解があった。
「学園長のお考えはわかっているつもりですよ……だから私も手を抜けない。判定はどこまでもシビアに行いますし、その分保証もしましょう。他の会場の合格者は知りませんが、少なくとも私が担当した第一会場の三人は──実に素晴らしい原石であると」
「ほっほ……ならば良し。君がそこまで言う子たちとあらば楽しみじゃわい。報告、確かに聞き届けた。もうさがってよいぞムラクモくん」
「失礼します」
満足そうにする学園長へ一礼し、部屋を後にする。職員室を目指し長い廊下を歩く最中、進行方向に立つ一人の男がムラクモの目に入った。その人物はにこにこと機嫌良さそうにしている。
「これはこれは、ムラクモ先生」
「泉先生。……何か御用ですか?」
普段であれば廊下ですれ違っても互いに会釈をする程度の間柄。しかし今回は名を呼ばれたことで(とても億劫そうに)立ち止まったムラクモに、泉と呼ばれた彼の同僚である男は几帳面そうに四角レンズのメガネをくいと指先で動かして言った。
「いやなに、試験では私の息子がお世話になったようですから。親として一言お礼を、と思いましてね」
「息子……ああ、飛び級受験生の泉ミオですか」
「そうです。あなたの会場に割り振られたと知った時には私も少々慌てたものですが、しかしきっちりと合格させていただいたようで。ありがとうございます、ムラクモ先生」
「……そこは私に礼を言うのではなく息子さんを労うべきでは?」
至極真っ当なことを述べたつもりのムラクモに、泉は「ははっ」と何がおかしいのか軽い笑い声を上げた。
「えぇえぇ、そうですね。合理的なムラクモ先生らしいお言葉だ……無論あの子にもよくやったと言ってやるつもりですよ。けれど合格などできて当然の実力があって、本人もそれに自覚的ですから。この程度のことで労っても喜んではくれないかもしれませんね」
「………」
「それはそうと、ムラクモ先生」
「なんでしょう」
まだ何かあるのかと訝しむムラクモに、泉は受験の結果に少々気になる点があるのだと言った。その言葉にムラクモの表情にも多少の変化があった。
「気になること?」
「あなたがよく言うように、合理性を極めるのなら。第一会場での合格者は私の息子一人で充分だったのではないのかと思いまして……いえ、他意はありませんよ? しかし強烈な太陽光を直視した後に懐中電灯程度の輝きを見てもそれを『光っている』とは認識できないものでしょう」
「……何が仰りたいのですか? できれば簡潔にお願いしたい。私も暇ではないので」
「ですから、ちょっとした疑問の解消ですよ。合格者は本当に三人も必要だったのか、とね。原石どころか既に珠玉たる私の息子が入学するのだから、他の二人など不要だったのではないか……そういう質問を私はしているのです」
目を細めてそう述べた泉。ムラクモはその言葉の裏に、息子の箔付けのためにも彼に『第一会場唯一の合格者』という肩書きを付けたがる浅ましき欲望の臭いを嗅ぎ取った。泉の過去の言動を思えばそれは決してムラクモの穿ち過ぎなどではなく──。
はあ、とため息をひとつ。
「泉先生……勘違いはいけない」
「はい?」
「あなたのお墨付きも、飛び級受験生という肩書きも私には一切の意味を持たない。試験官として私は泉ミオという一人の受験生を推し量った。そうして彼にはこの学園に通う資格があると判断した──無論、共に合格した他二名についても、泉ミオになんら劣らぬ才能を持っているともね」
「……ほう」
意味ありげな泉の視線を真っ向から見つめ返し、ムラクモは続ける。
「あまり息子さんにばかり目を向けるものではないかと……私たちはDAの教師であり、次代の担い手である生徒全員を平等に教育する義務があるのですから。では」
言うだけ言って、小さく頭を下げて横を通り過ぎたムラクモ。廊下の向こうに消えていくその背中を見送ることもせず、一人残された泉は。
「………………」
無言で再びメガネの位置を指先で調整。ふんと鼻を鳴らし、そのままどこぞへと歩き去っていった。




