308.異質の少女
「観世家を動かしているのが、現在の当主じゃなくて──マコトちゃん? それってもう……」
「そうだよ。観世マコトこそが当主みたいなものだ」
言っちゃなんだけど現当主なんてほとんどお飾りってことだね、と肩をすくめるイオリに「信じられない」とロコルは首を振った。
「どうしてそんなことになるの? 将来的には確実に当主になるからと言って、今の時点で──まだたかだか十三歳の少女が御三家の一角の指揮官になるなんてあり得っこないでしょ」
最有力というだけで一応は他にも候補者のいるミライとは違い、マコトは競合のいない完全独走者。万が一が起こり得るミライに対し当主の座につくのが確定している彼女の立場が相当に強いことは、ロコルにだってわかっている。どれだけ有力であっても確定と不確定の差は大きく、埋め難いものだ。それでいてミライだって既に一人の少女には似つかわしくないだけの『力』を持っているくらいなので、地盤としてはそれ以上であるマコトの権力が──たとえそれが周りの大人の意思通りに動く傀儡であったとしても──どれだけ確固たるものになっているかも、優に想像はつくというもの。
しかしイオリの語った内容はそんなロコルの想像を超えている。それも遥か斜め上へと突き抜けてしまっていた。幼い頃から内政勉強に熱心だったイオリの情報収集力を侮ろうというわけではないが、けれどもこれは言われてすぐになるほどそうかと納得できるような話じゃない……それだけ信じ難いことなのだ。今はまだ候補者でしかない子供が、当代を名乗る前に家を支配するというのは。
「兄さまという例がある九蓮華の人間が言うことではない気もするけどね」
「それはそうかもだけど。でもエミルを例に挙げて他を語るのはそれこそ違うよ──あの人は何もかもが例外。『強さ』っていう一点だけで自分以外の全ての法則を捻じ曲げていたんだから」
そうして苦難や困難とは無縁に、無人の野を行くが如く悠々と。歩けるはずもない水面や空中すらも泰然に闊歩していたのが九蓮華エミルという存在だ。その歩みを止められる者が誰もいなかったのはある種当然のことで、彼が当主候補の筆頭となりその座を不動のものとしたのは言ってしまえばこの世の摂理にも近しい、人にはどうしようもない現象であったのだ。
「だけどマコトちゃんはそうじゃない。彼女にあるアドバンテージは候補の座を奪い合うライバルがいないって点だけ。争うまでもなく行く行くは当主になれるっていう、一本戦のあみだみたいな反則的な立場だけ……」
それだって、敷かれたレールに変更の余地がないこと。エミルがそうしたようになんなら候補を辞退する道も残されている九蓮華や観世の子供たちとは違って、ミライには初めから終わりまでそういった逃げが許されない。そんな重すぎる責任を生まれたその瞬間から背負っているという事実に比べれば、大した喜びにもなるまい。
「それは九蓮華から飛び出した人間だからこその発想だよ……と、言いたいところだけど。でもこればっかりはイオリも否定できないな。もしイオリに、大兄様も大姉様も中兄様も中姉様も。エミル兄さまさえも──そしてロコルまでいなくて、一人きりの候補者だったとしたら。そう生まれてきていたらと思うとゾッとするものがある。それでもイオリは候補者らしくあろうと努力するはずだっていう自負はあるけど」
けど、手本となってくれた上の兄姉たちに、競争心を煽ってくれた双子に、何より彼にとっての絶対たるエミルに出会わぬままに、彼らを丸ごと欠くままに生きた自分は、果たして九蓮華が施す英才教育を耐えられただろうか。今のように強く当主を目指す気持ちでいられただろうか……? そう考えてみたとき、迷いなく「そうに決まっている」と答えられる自信は湧いてこなかった。だから、ミライの立場をまるで生来の罰かのように語るロコルの言葉を否定することができない。
だが──。
「ロコルやイオリがそうでも、他の誰がそうでも。どうしたって唯一の候補者っていう立場に重大なプレッシャーを背負い込んでしまうところを、でも観世マコトは違ったんだよ。あの子は、あの子だけはそうじゃなかった」
「そうじゃなかった……?」
「言ってたよね、どこを見ているかわからない。まるで掴みどころのない女の子だって……その印象は間違っていない。とことんマイペースに、とことん浮世離れしているのがマコトって子だ。それはアカデミアの入学後だろうと入学前だろうと変わらない。イオリたちの前だろうとそうでなかろうと変わらない。まさしく観世マコトから受けるに相応しい第一印象だ──だけどちょっと考えてもみなよロコル。本当にロコルが想像するようなプレッシャーに、生まれながらの罰にマコトが苦しみ続けてきているんだとしたら。果たしてあんなにマイペースに、あんなに『自由』に振る舞えると思う?」
「……!」
「それこそあり得ない。でしょ?」
イオリの言う通りだった。そんなことはまずあり得ない……ロコル自身が、あのエミルにも認められるほどの「面の皮の厚さ」を持つだけに。それで生まれの苦渋や重荷を覆い隠して生きてきただけに、自分とどこか似通った雰囲気を持つマコトも、故に同じ境遇にいるのだと。ふわふわとした掴みどころのなさは努力によって作られたものだと深く考えるともなく思い込んでしまっていた──信じ込んでしまっていたが。それは甚だの誤解であるとイオリが告げる。
「そう、観世マコトは違う。イオリやロコルとも、宝妙ミライともまるで違う。あえて言わせてもらうなら……あえて彼女に近しい人物を挙げるなら。それはやはり兄さまということになる。天凛の才者であられる、最強のドミネイター。九蓮華エミルにこそ、あの子は近い」
「なっ……、」
その言葉を聞かされたロコルの衝撃たるや、筆舌に尽くせぬものがあった。なんと言っても、イオリだ。九蓮華エミルの一の信奉者であり狂信者であった彼が──以前ほど盲信ぶりが突き抜けてはおらずとも今でもそのスタンス自体に変化はない──己にとっての『絶対』である対象に、他を並べる。唯一無二であるはずのそれに比すると宣うこと。それがどれだけ珍しい事態かはロコルの絶句にこそ全てが表れている。
無論イオリのこれは、兄が本当の意味での絶対ではなくなったこと。敗北を経験したことで少なくとも一人、確実に彼と横並びに語られる人物が出てきたのに加え、エミル本人もそれを機にまるで憑き物が落ちたかのように絶対者たる振る舞いをしなくなった。そういう諸々の事情も関係しての評価であり、何もマコトの全てがエミルと同一であると言いたいわけではないともロコルにはわかっている。わかっているが、それでも衝撃は衝撃だった。
「比較対象にエミルを上げなくちゃいけないくらい……それくらいにマコトちゃんは観世家の異質だってこと?」
「やっていることがそうとしか表現のしようがないもの。兄さまみたいにファイトでの実力行使か、はたまた別の手段か。どうやってそうなったのかまでは探れなかったけれど、でもどうやってたって一緒でしょ? 現当主を尻に敷いている。家の大人たち全員が彼女に従っている。それがどれだけ『あり得ないこと』かは、御三家の一員であるイオリたちこそが一番によくわかるはずだよね」
その訊ねるまでもないイオリの問いに、答えるまでもない返答として頷きを返したロコルは、そこでひとつの気付きを得る。
「マコトちゃんが観世を動かしている。と、いうことは。宝妙家が持ち込んだ同盟作戦は、マコトちゃんの一存で同意されたことになる?」
イオリもまた、ロコルの問いに首肯で答えを示した。




