304.ミライちゃんなら
随分と先を、随分と革新的な未来を見据えているものだと笑う。人がこんなにも御三家の格付けに拘っているというのに、その頂点に位置する彼女はそんな枠組みに意味はないと、取っ払ってしまいたいと言う。もっと言えば御三家という存在そのものに大した価値などないと断じている。その在り方はとても眩しく、とても卑怯なものにミライの目には映った。
「案ずるなロコル。別に絶望などしていない。この件で我がマズい立場に立たされるかと言えばそういうこともない。痛恨とは言ったがこれで我々の悲願が頓挫するわけではない……元よりこの一勝だけで九蓮華を追い落とせるなどとも思っていなかったのだからな。言ったろう、一歩目だと。失敗はしたが、ならばまた一歩を踏み出すに相応しい機会を窺うまでよ」
情けなくもロコルという、飛び越すには大きすぎた石に躓いてしまったミライだが。無論、そのまま蹲って諦めてしまうのではもっと情けない。そんな真似は宝妙たる彼女に許されるはずもない……今回の件を知った父や母も「一度の敗北がなんだ」と、「むしろこれをバネにより高みを目指せ」と必ずや克己を促してくることだろう。結果に落胆するよりも誇らしく前を向けと激励してくれるはずだ──そんな両親こそを心から誇らしいと思うミライは、そう思えるが故に。決して宝妙の悲願の達成を捨て置けはしないのだ。
「どうしたって家のしがらみからは抜けられない──いや。自分の意志で抜けないんすね、ミライちゃんは」
「当然。我はそれをしがらみとは感じていない。むしろこれは原動力であり誇りだ。伝統と歴史をいずれ受け継ぐこの身を我は美しいと思う……貴様の自由さにも負けないくらいに、な」
九蓮華の内情がどうであるかなど知らない。しかしそこにドロドロとした何かがあるのは確かだろう──それは宝妙の内部にだってあるものだからミライにもわかる。美しいだけではない、忌むべき因習や諍いも彼女の世界にはあって、あって当たり前のもので。そしてそれらも含めて背負う覚悟をとうに決めているのが彼女である。なので。
「やはり捨てられんよ。我は必ず宝妙を御三家の頂点に置く──枠組みを取っ払うとすれば、その後だな。何、貴様やマコトの協力もあるならそれはそう難しいことではないだろうよ」
「え、頂点に立ったのにヒエラルキーをなくしちゃうんすか? 御三家内どころか他の高家とも……それどころかミライちゃんの言う一般人と同じ立場になってもいいと?」
「枠組みをなくすと言っても現実問題、我らの世代が存命な内には完全撤廃とはいかんだろう。日本ドミネ界の中枢と切っても切り離せないのが御三家なのだから影響力はどうしたってすぐには消えん……だから大変になるのは我らの子や孫の世代じゃないか? その時になれば苦労をかけてしまうことにはなるが──」
しかしミライも、薄々には感じていたことだ。特定の家々だけがのさぼり、より肥え太るためにドミネ界隈を操作すること。その浅ましさと限界を、崩壊の足音を意識せずにはいられなくなった。次代当主になることがほぼ確定的になってからは余計に、御三家の頂点になったとて、ではその先で自分は何をすればいいのか。どこを目指せばいいのか。ミライにはまったく未来が見えていなかった。
それに比べて家名の重みや古くからのしきたりというものを端から「くだらないもの」としか思っていない様子のロコルのなんと自由でなんと奔放で──なんと軽々しいことか。そこに僅かばかりの羨ましさを感じないでもないが、しかしミライはその軽さに軽蔑も抱く。
「貴様の言う通り、なくしてしまうべきだろう。本来ドミネイションズに生まれながらのヒエラルキーなどあってはならない。我もその考えには賛同する……しかしだ。当主になる気もなければ家名を背負って戦うつもりもない。そんな貴様に枠組みどうのと言われても『仰る通り』などと追従はできんな」
「…………」
「だから貴様は指を咥えて見ておけ。我がトップに立ち、そしてそこから全てを変えていく様を。言ったように協力したいと言うのならさせてやってもいい、拒絶はせん──貴様の手があれば多少なりとも改革が早まることは間違いないだろうからな」
「あは……いいっすね、それ。ミライちゃんなら自分なんかよりよっぽどそういうのに向いてそうっす。矢面に立つより裏方向きの自覚はあるもんで、そんときは喜んであんたを支えさせてもらうっすよ。たとえ拒絶されようとも、っす」
「ふん」
ロコルの言い草を小気味よく鼻で笑い飛ばしつつも、そこには満足げな響きがあった。そのことに自分でも気付きながら、ミライは改めて勝者を称えた。
「それにしても見事な腕前だったな、ロコルよ。デッキ構築も盤面の獲り方もキルスピードも。全てにおいて貴様は我より一歩先んじていた。それらを何ひとつとして覆せなかったが故の順等な結末。此度の敗北はそうとしか言いようがない……厳然とした力量差を感じた」
「手玉に取られたと思っているのならそれは違うっすよ。自分が先にファイナルアタックにまで持って行けたのは色んな要素が重なってのことっすから。それに今回のは最初から最後までトリッキー頼りの隙を突いたような勝ち方でもあるっす……ミライちゃんが感じているほどの力量差なんて」
「それでも翻弄されたのは事実で、隙を見せてしまったのも事実だ。そこを突かれて負けたというのならそれが今の我の実力。貴様を相手に勝ちを確信できるほど強くなれてはいなかったと。その不甲斐なさを受け入れることから始めねば成長はない。──次こそ貴様に勝つために、我は立ち止まってなどいられんのだ」
「ああ……そうっすか。そうっすよね、ミライちゃんなら」
落ち込んでいないわけではない。負けた悔しさも悲しさも本物で、だけどそれで下を向くほど弱くない。たった一度の失敗で己を見限ってしまうほど安くはないのだ──宝妙ミライという小柄な少女の偉大なるプライドは、そう折れやすくないのだ。
既に次の戦いに目を向けている。その逞しさを、ミライの正々堂々たる強さをロコルもまた眩しく思って。
「それじゃ、今日のところは自分の方が一枚上手だったってことで。互いの健闘を称え合って握手でもするっすか? ほら、お隣の舞台では同じことしてるっすよ。スポーツマンシップっていいっすよねぇ」
「念を押さんでも貴様がそうしたいというのならしてやるさ。勝者の言うことは聞くと言ったはずだぞ」
への字に口を曲げつつも差し出されたミライの手をロコルはぎゅっと握る。そして真っ直ぐに視線を結びながら、彼女に笑いかけた。
「これまでの反省も含めて、これからの自分はちょっと頑張っていくつもりなんで。ミライちゃんも一緒に頑張ろうっす。お互い大変な立場ではあるっすけど、でも一人じゃないならなんとでもなると思うっすから」
「社交界にも出てこなかった貴様に何があったかは知らんし、訊ねたりもしない。貴様も我やマコトのこれまでをあえて聞きたいとは思っていないだろう。それでいい。お互い過去など気にせず未来を見ようじゃないか」
──貴様と共に見るそれは、そう悪いものじゃなさそうだからな。
そうシニカルに笑い返したミライは、握手を終えるとすぐにロコルの横を通り抜けて舞台を降りていった。その背中を目で追いかけたロコルは、そこで──通路で一言二言の言葉を交わすミライとマコトの姿を見て。そしてミライが通路へと歩を進めようとする一瞬、それに続く前にマコトがこちらへ視線をやったことに気付いて。
「………………」
「っ……!」
普段はどこを見ているかも定かではない、ふわふわとしたマコトの双眸が。今は確かに自分だけを見ていて。その眼差しに込められたモノにロコルはほんの一瞬だけ、しかし凄まじく圧された。
幻のようにふっと圧が消え去り、舞台上から視線を外したマコトはミライの後を追いかけて通路に消えていく。雲の上でも歩いているかのような頼りなくもどこか浮世離れした彼女の足取りから、ロコルは最後まで目を離すことができなかった。




