268.三角形の頂点
観世。それは九蓮華、宝妙と同じく御三家の一角たる名。そこに生まれた誠実という少女は、他二家とは違って子が他にいない──つまるところ後継ぎ候補が他にいない、あまりに重大な責任を背負った一人娘である。彼女の堕落が即ち家の凋落、歴史の陥落となる。跡目争いがないというメリットだけではとても覆し切れないデメリットを抱えさせられているマコトはしかし、そんな深刻さをまったく感じさせないほどにマイペースな少女であった。
それはもう、幼い頃から親交のあるミライこそが彼女の置かれた立場にやきもきしてしまうほどに。
「──奴のことは端から眼中にない。確かな実力を持っておきながら『めんどうくさい』の一言で滅多にそれを発揮しない、ただの阿呆だからな。そんな腑抜けと今更白黒つけようとは我も思わん……というかそうするまでもなく午前の一回戦で敗退しているしな、奴は」
苦虫を嚙み潰したような顔でミライは言う。本当に眼中にない相手であればそんな表情はしないんじゃないかとその点については訝しみつつも、彼女の言葉にロコルは納得する。入学してまだ一ヵ月と少し。御三家同士という壁にしかならない縁もあって同学年と言ってもあまりまともに話していないし、授業のファイトでもまだ彼女とは当たっていないが。けれどたったそれだけの薄すぎる関係でも充分に察せられるくらいには、観世マコトは掴みどころのないふわふわとした少女であった。これがやがて観世の当主になるのか……とロコルをしても戸惑ったものなので、それなり以上に付き合いのあるミライがこの性格である以上二人の相性が水と油であるのは間違いないだろう。
斯様のミライとマコトが何故昔から親交があり、今もよくつるんでいる(という言い方だとミライあたりは憤慨しそうだが)のかというと。要は家同士の結託である。同じ御三家と言ってもヒエラルキーはあり、三角形をイメージするとわかりやすい。頂点の角に位置するのが九蓮華で、下の二角が宝妙と観世。つまり格付けと言うのなら既に付いているのだが、それを自分の代でひっくり返さんとしているのが宝妙ミライなのだ。
ロコルからすれば三角のどこが上になろうが下になろうが何も変わらないだろう、としか思わないのだが。しかしそれは持つ者が故の視点なのか、あるいは持たざる者への無理解か。御三家とひとくくりにされながらも明確に九蓮華の下に位置付けられている側からすればロコルのスタンスは鼻持ちならない余裕と見えて仕方がないようで──特に宝妙家は御三家においても特にプライドや顕示欲が強い家系でもあり、その煮凝りであるミライが九蓮華のごたごたを前にこれぞ千載一遇と研いできた牙を剥かない理由がなかった。
そんな彼女と幼少よりの友人であり、ある意味では下剋上の相棒でもあるマコト少女のスタンスはどうかというと……やはり彼女はこの好機にもふわふわゆらゆらと思惑が読めず、いっそ何も考えていないと見做した方がしっくりくる。いや奴は確実に何も考えていないのだ、とミライに至ってはそう確信までしている。
とまれ、いまいち役に立たない相棒ではあるが宝妙&観世VS九蓮華という二対一の構図を作るためには彼女の手を放してしまうわけにはいかない。手、というよりも手綱か。どこをほっつき歩いても構わないが、自分の傍からは離れ過ぎないようにリードを繋いでおくのだ。そうせねばならない理由がミライにはあった。
他の高家ではいくら味方に付けても単なる傘下にしかならず、それは御三家のネームバリューにまったく寄与しない。御三家で争うなら残る御三家の力を借りるのが最高戦略であり、目下の敵である九蓮華を追い落とすためには必然、宝妙は観世と組むしかないし、観世は宝妙と組むしかない。ミライとマコトの幼い頃からの親交とはこうして形作られた家々の文言なき契約と打算でしかなかった──少なくとも両家の大人たちにとってはそうだった。それをマコトがどう思っているのかミライは知らず。そして自分自身がどう思っているかについてはもっとわからない。わからないまま、彼女と出会って十年が過ぎた。
──とにかく。いずれは観世との争いになるだろうがその前にまず九蓮華を頂点から引きずり下ろすことだ。そうしなければ何も始まらないのだからそれまではマコトとも争う必要などない。ロコルからは窺い知れぬことではあるが、ミライの「眼中にない」発言はそういう意図を含んでのものでもあった。
「もちろん、我とて『たかだか一勝』。たった一度貴様に土を付けたところで家の格が決定付けられるとは思っていない。だがそのための大きな一歩とはなろう? この盛大な舞台で、DA全学年が見守る中で宝妙が九蓮華を下す! それは革命の序章となり、行く行くは寮然の結果となって世に知らしめられるだろう。次代を率いるのがいったい誰であるか、な」
「…………」
だからそんな売名ランキング競争に自分は興味なんてないんすけどねー、と内心で返して。だけどそう説明したところで、どう言葉を選んだとてミライは納得すまい。矛を収めたりはすまい──結局のところ彼女からすればロコルの真意などどうだっていいのだ。関係がない。跡目争いに乗り気だろうと反り気であろうと、御三家間のパワーバランスの維持派だろうと改革派だろうと。
思惑がどうであれロコルは九蓮華の人間であり、しかも同い年という、自身が下すべき絶好の獲物。そうとしかミライの目には映っておらず、完全にそう割り切っている。ロコルやイオリを完全に敵に回してでも打ち倒し、その戦果で以て宝妙を引き上げる。計画はとうに立っているのだ。十年以上も前から、そしてエミルの名乗り下げを機として尚更に、ミライのすべきことは完全に確立されている。
故に、ロコルが何を言ったところで意味などない──家名と誇りを懸けて挑んでくるミライに対して、応じる以外の選択肢は残されていないのだ。
「まったくもって傍迷惑な話っすけど……でも、自分のことから逃げてたって何も良くならないってのはよーく学んだことでもあるっす」
「……!」
マコトとは種類の違う、しかし同じくらいに掴みどころのない雲のような少女。それがロコルに対するミライの印象であったが。
「自分も一応は九蓮華っすから。それにイオリが一人前と認められるまでは、後継ぎ候補の一人としてしゃんとしてなきゃいけないっすし。これ以上のらりくらりってわけにもいかないっすよねぇ──」
印象が塗り替わる。立ちどころに染め上げられる──それは雲のような白とはまるで異なる、鮮烈な色味。ドミネイター特有の殺気に満ちた、尋常ではないほど濃密な気配。それを纏ったロコルの瞳に射貫かれ、ミライは思わず喉を鳴らした。
(そうか、これが。これこそが貴様なのだな、九蓮華ロコル! とんだ猫被りめが……!)
「いいっすよ、ミライちゃん。次の三回戦で自分はあんたと──本気で。九蓮華の人間として宝妙の人間とファイトをすると誓うっす。それでいいっすよね?」
「ああ、いいとも。その言質を取るために声をかけたのだ。くくく、感謝しておくぞ……貴様がやる気になったことを、貴様にではなく天にな。やっと悲願の一歩目だ」
「あはは。その大切な一歩、無事に踏み出せるといいっすね」
精々転ばないようにするっすよ。と、静かな口調で告げたロコルにミライは再び鼻を鳴らすことを返事として。そして二人はそれ以上何も言わず互いに背を向けた──次に相対する時は、決戦の時である。




