266.兄と双子の今
ちょっとよく意味がわからないっすね……と困惑しているロコルへ、エミルは朗らかに説明を続けた。
「いや何、ごく単純な話だよ──あれ以来私は学園の行イベント事では必ず運営に携わっているのさ。と言っても、誰にでもできるような簡単なお手伝いをしているだけなのだけど」
ロコルは試合に夢中で私が会場にいることにまるで気が付いていなかったね、ところころと笑う兄に妹はますます不思議そうな顔をする。
「運営のお手伝い……? 一生徒が、っすか?」
別に学校のイベントなのだから生徒が運営に関わっていてもなんらおかしなことではない、のだろうけれども。しかしいくら季節柄の行事と言ってもドミネイションズ・アカデミアが学内で開催する大会となればその重要度は普通学校の運動会や文化祭と比べても非常に高いことは言うまでもない。何せそこでの戦績が生徒の内申や進路に大きく関与するのだから合同トーナメントはただやって楽しい親睦を深めるだけの行楽行事などでは断じてないのだ。
故に天下のDAが生徒を運営に起用するということに少なからずの違和感を覚えたロコルへ、まったく正しい着眼点だとエミルは同意する。
「実際、行事運営のために職員室からお声がかかるのは生徒会を始めとする各種委員会の生徒くらいのものなのだけど……私の場合は去年、カメオ前生徒会長を筆頭に委員会には多大な迷惑と負担をかけてしまった立場だからね。その贖いのために今年は彼らに混じって仕事をさせてもらっているというわけさ」
「委員会に迷惑……ああ、そういうことっすか」
だから贖罪なのか、とロコルはやけに大仰な物言いの意味を悟った。委員会はどこも主に上級生を中心にして構成されており、そして昨年時点での上級生らは全員がエミルの行った『選別』の犠牲者である。直接的・間接的を問わずに被害を受けた彼らの復活までには数ヵ月単位での時間を要し、その分だけ次期委員会への引き継ぎや指導が遅れてしまったという裏側の事情がある。対外的にはエミルは未だDAきっての優秀生にして模範生ということになっているが、学園側としても彼のしたことに罰を設けないわけにはいかない。ということで、委員会未所属ながらに現在のエミルは教師らの小間使いも同然に大小関係なくイベントごとの度に忙しく働かされているのだ。
「確か……あの日から数ヶ月かけて学園外の選別の被害者たちに謝罪して回ったんすよね? で、それが終わったら今度は学園のパシリっすか。大変っすね、エミルも」
やったことがやったことなだけに、そしてやろうとしていたことが大事なだけにまったく同情はできないが。しかし他の六年生が卒業を前に年間通してのサバイバルマッチに勤しんでいる中、その流れから一人外れたように小間使いに終始している九蓮華エミルというのは……かつては彼という怪物の重圧に最も近くで晒されていたロコルなだけに、なんとも言い難いものがあった。
複雑な思いを抱く彼女へ、けれど当の兄はなんとも明るく頷いて。
「大変とは思わないよ、贖う機会が与えられただけ私は恵まれている。謝罪回りだって自己満足に過ぎない行為だというのに皆それをよく評価してくれる……もっと罰を与えてほしいと不安になってしまうほど、本当に恵まれている」
「…………」
「それに今日という日は私以外の六年生もサバイバルマッチを一時中断してトーナメントを観戦しているのだから大して疎外感もない。なんと言っても去年までとは形式も違うからね、手探りで新しい形を成功させようというこの感覚は割と楽しいものがある」
何をするにも常に独りで、何をしようにも常に完成されていた神の子エミルだ。皆で一丸となって物事に当たるなどという経験などしたくてもできなかったのがこれまでで。しかしあのファイトをきっかけに人の子へと生まれ変わった彼はもうそんな孤独から解放されている。ならば楽しくて仕方ないだろう、とロコルは兄の心境に理解を示す。それは四年前、九蓮華という狭い箱庭を飛び出して外を知った自分が味わった感情と、きっと近しいものだと思うから。
「……あれ? 運営のお手伝いをしてるっていうのなら、なんで会場から出ようとしてるんすか? これから午後の部が始まるんすから行き先は逆方向のはずっすよ」
エミルが向かう先は講堂の外か、あるいは通路前の階段を介しての観客席か。そのどちらかということになる。どちらにしたって運営を手伝う身としてはおかしなことではないかと疑問を口にしたロコルへ、エミルは「ちょっとね」と少し言葉を選ぶようにして答えた。
「無理を言ってお休みを貰ったんだ。イオリを探しに行きたくて」
「──イオリを? なんでまた」
エミルの弟にしてロコルにとっても双子の弟にあたる──本人は自分こそが兄だと主張してやまないが先に産まれたのはロコルだ──九蓮華イオリ。一卵性故に男女の差こそあれどロコルと瓜二つの顔立ちや体格をしている彼は、ロコル同様にアカデミアの新入生である。その動機に関しては『兄エミルを追って』なので大きく異なっているが、しかしエミルの口利きによって同世代に一人だけという家訓を破ってDAへ入学できているのは二人共に共通している。その点についてはロコルもエミルへ(一応の)感謝をしていた。
「トーナメントで敗退して空き時間ができたときは私の仕事を手伝う、とイオリは買って出てくれたのだけど……昼休憩も終わるというのに一向に姿を見せる気配がないものだから、これは私から探しに行ってあげたほうがいいだろうと思ってね」
「ああ……負けて拗ねてるんすね」
「うん、まあ。おそらくそうだろう」
自分と違って弟に対してもまったく歯に衣着せぬロコルへ苦笑しつつ、エミルもオブラートに包もうとするのはやめて。
「あの子のことだから私を待っているんじゃないかな。だとしたら私自身で早めに見つけてあげたい」
「相も変わらず甘えたがりっすね、イオリは。ホントに拗ねてるんならもう少し放っておいてもいいんじゃないっすか?」
「そうもいかないさ。私がひどいことを言っても、目の前で敗北しても、それでも慕ってくれるかわいい弟なんだ。特に、君に負けてトーナメントを敗退したとあってはその傷心の度合いも察せられるというもの。あまり長く放置してもしておけないよ」
そーっすか、と呆れ混じりにロコルは頷く。確かに、もしここでイオリが通りがかったりして、エミルと自分が二人きりで仲睦まじく話している(イオリ視点だ、あくまで)のを目撃なんてしたらとても面倒なことになりそうだ……そういった火の粉を思えばエミルには一刻も早く彼を見つけだして大いに慰めてもらいたいところである。同級生として嫌でも日々イオリと顔を合わせるロコルとしては、彼の内にある爆弾の処理は手早くお願いしたかった。
「ともあれロコル」
「ん、なんすか?」
「午後の部への進出、おめでとう。イオリの分までファイトを頑張ってやってくれ──私も、かわいい妹が優勝する晴れ姿が見たいな」
「……随分簡単に言ってくれるっすね。優勝のためには誰を倒さなきゃいけないかわかってるんすか?」
「勿論、私が一番よくわかっているとも。それでも兄としては応援せずにはいられないのさ。身内の贔屓目を抜きにしても、ロコルならそのチャンスも大いにあると思うしね」
「あーもう、いいっすよ。エミルにチャンスがあるなんて言われたら……ますます頑張らずにはいられないじゃないっすか。だから」
──お望み通り優勝してくるっすよ、お兄ちゃん。
「……!」
すれ違い様にそう言われて。久方ぶりに彼女に「お兄ちゃん」と呼ばれて。咄嗟に振り向いたエミルの目には、記憶の中のそれよりもずっと大きくなった妹の背中だけが映った。それを眩しそうに見つめながらエミルは独り言ちた。
「……ああ。ロコルならきっと、彼にだって勝てるよ」




