257.奇跡じゃない
限界である。そんなことはアキラこそがよくわかっている。どう取り繕ったところでこればかりは誤魔化せない──どんなに工夫を凝らしたところで、計略を張り巡らせたところで。そうであっても先に息切れを起こすのは自分なのだと、そんなことはとっくに。
エミルは立っている。震えのない両脚で、凛と背筋を伸ばし、こちらを見据えている。見つめ返す自分はどうか? 生まれたての小鹿よりも頼りない足元で、ファイト盤にもたれかかってようやく立つことができている。糸が、切れた。それだけは避けようと必死に保っていた大事な何かが、先の一撃のためにいよいよプツンと途切れてしまった。その自覚が、実感が確かにある。そう、限界なのだ。エミルのそれと己の疲労は種類が違う。度合いが違う。深刻さがまるで違う。
ようやく底が見え始めたのがエミルであれば、底を削ってでもまだ見ぬ燃料がないかと必死にかき集めているのが今のアキラだ。絶対にクイックチェックによる反撃を許さない。その気概を現実のものとするために支払った代償はあまりに重く、大きかった。大切に残しておいた貯蓄をたった一発に使い切ってしまうくらいには、そうしなければ封じきれない程度には、未だエミルのオーラも脅威であるということ。どう考えても、どう見繕っても。「あと二回」。今と同じことを繰り返すのなんて不可能。決して実現し得ない夢幻だと、アキラの現状を見れば誰もがそう思う。アキラ自身すらそう笑う。
しかしそれがなんだと言うのか。不可能? 誰もがそう思う? 上等ではないか、だからこそ覆し甲斐がある。踏ん張り甲斐が、あるというもの。ドミネイターならばそう奮起すべきだとアキラは思うし、実際に彼は燃えている。燃料なんて空っぽで、ガス欠で、底を掘っても掘っても都合よく湧いて出てはくれないけれど。今にも倒れてしまいそうだけれど、だけど燃えている、燃え滾っている。熱く闘志が燃え盛っている──あたかも肉体を巡る己が血潮こそ燃料であると言わんばかりに意気高々と、意気煌々と、意気軒昂に熱を抱く。
元より無謀を承知で挑んだリベンジマッチ。勝ち切るために無茶をしなければならないのは織り込み済みだ。この程度であればむしろ安いくらいだと、なんの迷いもなくアキラはそれを認める。つまりは、絶対的にある格差。本来なら十回やって九回は呆気なく負けてしまうぐらいには横たわる彼我の実力差という大きな溝を、飛び越えるための奮闘。このファイトを『十回中の一回』にするための諸々の努力が、結ばれようとしているのだと。限界いっぱいの状況をそうポジティブに捉える。ここが本当の土壇場であり瀬戸際。伸るか反るかの最後の大一番。勝ちと負けの分水嶺を描くクライマックス──ならば燃えない方が嘘だろう。
「二度目のダイレクトアタック。行かせてもらうぜ、エミル」
「……手前勝手に見切ること。見限ることは、もうすまい。君に対しては自慢の『目』だって見誤ってばかりなのだから尚のことにね」
おいで。と、命令を下そうとするアキラと、それに合わせて再び攻撃態勢を取ったガールを、エミルは手放しに招く。その無抵抗を示す態度やセリフとは裏腹に、彼を包み込むオーラだけは獰猛に蠢いていた。貫くアキラのオーラを、受け止めて食らい尽くす。獣を嚥下する蛇となり、今度こそ知らしめようと。二度も無謀を通すほど九蓮華エミルは弱っていないのだと──弱くないのだと。
「どれだけ意気込もうと二度目はない。奇跡は二度も続かない。それが道理というものだ、アキラ君」
「道理に従うばかりじゃドミネファイトの意味がない。意義がない。……そもそも俺は、意志の力で無茶を通すことを『奇跡』なんていう体のいい言葉で片付けるつもりもない!」
「……!」
「言ったろう、お前を倒すのに奇跡なんかには頼らないって──ビヨンドによって増えた攻撃権を使い《ビースト・ガール》で再びアタックを行なう!」
獣人少女がフィールドを駆ける。軽やかで素早い足運びは瞬く間にその身を敵の首魁へと、エミルの目前へと運び。そして彼女の爪が掲げられた。
「ビーストスラッシュ!!」
二回目の烈爪、炸裂。しかしてぶつかり合うはガールの爪とライフコアのみにあらず。それに伴って今一度オーラとオーラの激突が起こる。獣のように力強く牙を突き立てるアキラの闘志と、それを迎え撃って絡め取り先に獣の首へ噛み付かんとする大蛇のようなエミルの闘志。目を覆いたくなるほど激しく凄絶な血みどろの争いがまたしても繰り広げられる──やはりどんなに凄惨であろうともそこから目を背ける者はいなかったが、そのおかげで皆が気付く。否が応でもその事実が目に入る。
此度の激突は明らかに、獣の方が苦戦している。
「づぅ……!」
「っぐ……!」
先ほどは抵抗も許さぬ間に勢いで押し切ったアキラのオーラが、今度は逆にエミルのオーラに押し返されんとしている。獣が蛇に屈しかけている。これならば。
「ブレイクされたことによりクイックチェック──ドロー!!」
行ける、食らえる、仕留め切れる。そう確信して一層にオーラを隆起させながらデッキからカードを引いたエミルは、けれど。それを引き終わる前に表情を驚愕に染めた。
「させっ、る、かよぉ!」
「なっ……!?」
押し切れるはずだった最後の一瞬、しかし残された力を振り絞るように足掻いた獣が蛇の拘束を打ち破り、持ち前の牙を突き立てた。霧散するエミルのオーラ。守りをなくしたことで彼の運命力は弱まり、アキラの運命力に呑まれてしまった──またしても首根っこを抑えつけられてしまった。
そうなればもはや、引いたカードがどうなるかなど火を見るよりも明らか。
「く……私が引いたのはクイックカード、ではない」
手札に加え、それでおしまい。無コストでのプレイが叶わないからにはそれ以上彼にできることなどない。新たに手札が一枚増えただけ……その総数は五枚と、連続のブレイクにより随分と数だけは増えたが。言うまでもなく次の一個。最後に残されたたった一個のライフコアまで砕かれた場合、その潤沢な手札にはなんの意味もなくなる。活かしようもなく敗北が決まってしまう……つまるところエミルにとっても瀬戸際の、大一番。間違っても余裕など見せられない彼岸と此岸の境目に立たされたことになる。
──だが。
「ふ、ふふ……はっはっは! 本当にやってくれるものだ! まさかあそこからひっくり返されるとは思いもよらないことだよ。粘り勝ちなどというものではない、勝負は完全に決まっていた。なのに君はそこから盛り返してみせた──理屈にならない、道理にも通らない、文字通りの無茶を通してみせた。通させてしまった身としてそこは見事と言っておこう」
だがそれでもエミルから余裕が、泰然自若とした王者の如き佇まいが消えないのは。
「感服したし、堪能した。これが君の可能性……いや、君が言うところの『ドミネイターの可能性』か。高く羽ばたくに相応しい輝きを感じさせてもらったよ。しかし、流石にだ。流石にもう無理だろうアキラ君。その様子ではもう流石にどうしようもなかろう……」
これまでどんな痛みにも、どんな苦難にも耐えてきたアキラが。必死に歯を食いしばって持ち堪えてきたアキラが、膝をついている。息も絶え絶えに背中を丸めている、そのあまりにも憐れみを誘う様子を目にしているが故だ。
「はぁー、はぁー、………っ、なにが、はぁ……」
「いや、いい。もう何も言い返すこともない。息を整え、気持ちを整え、オーラを整えて。次が正真正銘の最後。それに持ち得る全ての望みを託すといい」
「っ……、」
あと一回。
果たしてアキラは。




