256.奇跡
互いに絡み合い、食らい合う獣と大蛇。アキラとエミルのオーラによる押し合いはさながらそのように観客たちからは見えた。血で血を洗う、血も凍るような凄惨で迫力に満ちた衝突。余波に目を閉ざしたくなるが、しかし本当にそうしてしまう者は一人もいなかった──大講堂にいるのは、このファイトを観ている者たちは全員がドミネイター。年齢も性別も所属も問わず皆が皆ドミネイションズに触れている者たち。であるならば目に収めないはずがない、記憶に焼け付けないはずがない。そんな勿体ない真似をするはずがない。どこまでも凄惨で、ながらにこんなにも美しい激突を、激闘を、激昂を。自らの命すらも燃料の一滴へ振り絞って燃え尽きんとするような、その二人の決闘を。まさか一瞬たりとも見逃すわけにはいかないだろう。
「アキラ君……!」
「エミル……!」
つい先ほどまでなら確実に優勢を取っていたはずの大蛇が、徐々に押されている。その事実は当人らだけでなく観客席にも伝わった。傍目から見ても明らかに獣の側が、アキラこそが押している。圧している。貫き通さんとしている──運命力を運命力で圧倒しようとしている。一時はアキラのオーラを押し込めてやり込めて、講堂内の誰にも感じさせないくらいに追い詰めていたはずのエミルが。度重なるオーラの消費、アキラに促されての無駄使い、そして何より全身全霊を預けたドミネユニットの思わぬ退場。それらの失敗が積み重なったことでいつの間にか、そう、誰にとっても気付かぬ内に。アキラ以外の誰しもがそうと見抜けぬ内に逆転は果たされていた。今この一瞬。次の一瞬や、更にその先はともかく。この瞬間、この刹那、この時間だけは明確に。
アキラのオーラがエミルのオーラを遥かに上回っている。
「ッ、クイックチェック……、ドロー!!」
引いたのか、引かされたのか。先のクイックチェックで引いた除去カードはまさしく引かされたもの。そうとは知らずに過剰な運命力で持ってきた、エミルにとって都合のいい。そしてアキラにとってはもっと都合のいいパズルのピース。最後の連撃に全てを懸ける、懸けられるようにするための策略の一手であった。ならばこれは? その思惑を察し、改めて運を手繰り寄せて脱却を図らんと。爆発と称していいほどに発憤して引いたこのカードは、果たしてなんなのか。自分が引いたのか、それとも引かされたのか……。
ああ、わかっている。引けるはずもない、引かせてくれるはずもない。右手にあるカードを見たエミルは我知らず笑っていた。穏やかに息を吐いていた。わかっていたのだ、引く前から。デッキの上に手を翳したその時にはもう、完全に抑え込まれていた。中盤において自分が終始そうしていたように、アキラの運命力を抑えつけていたように。今度はそれをそっくりそのままやり返された……いや、それ以上の完封具合で頭を抑えられた。顔も上げられないほどに、足元しか見やることのできないほどに。そんな状態で望むカードなど持ってこられるわけがないと、エミルだからこそ他の誰より理解できていた。
「──クイックカードでは、ない。発動はなしだ」
新たな一枚。それもまた強力なミキシングカードでありながら、今この瞬間にはなんの役にも立たないカード。エミルの窮地を救ってはくれない、されどもエミル自身が選び抜き支配下に置いているその一枚を、静かに手札へと加え入れる。丁寧で落ち着いた所作。それを見るアキラの目も、それ以外の全員の目も、エミルはその全部を受け入れていた。
そしてここでハッキリとした。目に見えての事実だけでなく結果として証明されたのだ──アキラがエミルよりも上に立った。ファイトが始まって以来初めて、あるいはエミルの人生において初めて、彼が頭を垂れた。垂れざるを得なくなった、その光景にエミルを知る者は様々な思いを抱く。……不思議なもので、それを見にきたはずなのに。それを見せてくれと願いながら来たはずなのに、しかしエミルに心折られてドミネイターの道を諦めようとしていた上級生たちは、何故か「見たくない」と思ってしまった。どうしてだか「弱ったエミル」を、「負けるエミル」を見せないでくれと。そんなお前なんてあり得ないはずだと、今だけはそう祈る──どうか彼に力を、と。
捨てたはずの弟からも、一方的に切り捨てたはずの同級生や先輩らからもそうやって切に願われているとも知らず。しかしまるで彼ら彼女らの想いが届いているかのように、受け取っているかのようにエミルは。
「まだだ、アキラ君。私はまだ負けていない」
「はぁ、はぁ……」
肩で息をするアキラの返答を待たず、続ける。
「これは強がりじゃない……君が君だけに見える勝算を望みそうしていたように、ハッタリなんかじゃあないんだ。いくら目減りしているとはいえ、ここまで抑え込むには容易い代物じゃなかったろう? 九蓮華エミル渾身のオーラは」
君の極度の疲労がその証拠だ、とエミルは指を差して。まるで何かを突き付けるようにしてアキラを見つめる。
「あと二回。今と同じことができるのか──させると思うのかい? 私が、それを許すとでも?」
一度は成った。だが、次は? その次は? もう二連続でエミルを封じ込めないことには、運命力で押し勝たないことにはアキラに勝利はない。既に二の矢三の矢と放ち続け、最後の大勝負に打って出ているアキラには「次の一手」がもうないのだ。ここで決めきれなければ、負け。コストコアは全て使用済み、手札もゼロ枚。まったく無防備であるガールを守る手立てすらない以上、今と同じことをあと二回繰り返さないといけない──それができると簡単に言い切れるほど、アキラが成した奇跡は安くもなければ易くもない。
九蓮華家の血。ファイトの技量に高く、オーラ操作にも長けた一族。ドミネ高家という元貴族たち、その中でもとりわけの伝統と格式を持つ御三家の一角。そこに連なるエミルは、連綿と受け継がれた血の生みし突然変異の怪物でもある。特別な血を色濃く引き継ぎ、血の埒外にある特異性まで手にした彼を、一瞬とはいえオーラで上回ること。その首根っこを抑えつけて完封することがどれだけの偉業であるか。ひょっとすればそれを成功させたアキラ当人以上に、出し抜かれたエミルこそが正しく評価しているかもしれない。まさしく『奇跡』であると舌を巻き、脱帽し、感服しているかもしれない。
だからこそ彼にはまだ己の負けが見えない。アキラの勝ちがどうしても見えてこない──一度の奇跡を掴んだ、ただそれだけでここまで疲れ切ってしまっている彼を目の前にしてしまえば、どう望んだところで。
「そんな有り様で。まだ覚えたての戦い方でよくぞ私の引きを封じられたものだ。そう褒めこそすれ落胆するようなことはあり得ないが……けれど出てしまうため息は止められないな。君はよくやった、などと。そんな誰にだって言えるような言葉で締められたいとは、アキラ君だって思ってはいないだろう」
「当、然だ……また、的外れな心配なんてしてるのか? 俺はこの通り、まだまだ元気だぜ……あと二回? はっ、軽い軽い。あと千回だって、万回だって同じことをしてやるよ」
「そうかい」
今度こそ、ただの強がり。消耗があるのはアキラだって同じなのだ。その度合いこそエミルよりも低くとも、まずもって絶対値の差がある。無茶が祟って本当にアキラは満身創痍、立っているのもやっとなほど……言ってしまえば限界に来ている。
(いや、とうに限界など越えているか)
それでも越えていく。アキラは限界の先の、更に先へと行こうとしている。ファイトの果ての向こう側へとエミルを連れていくつもりで、次の一瞬にまた全てを懸けるのだ。




