245.イオリに見えてきたもの
それは刹那の攻防だった。カードを引く瞬間に懸けられた、その力。その想い。凝縮された意志は質量すら持ち、オーラの脈動となって二人を叩く。
ディモアのダイレクトアタックに乗ったアキラのオーラはエミルをしても凄まじいと言えるものがあった。それはエミル自身がそうしたような、相手プレイヤーに過度の苦痛を与える一撃でこそなかったものの。だが明確に勝利を目指してライフコアを砕いた想いはエミルにも確かに届いており、カードを引く手にいつも以上の重みを感じさせている。常人ならば、何も引けまい。掴むべき可能性をするりと取り逃がしてしまうこと間違いなしの、いいアタックだ。オーラの操作に一家言ある身としてエミルは率直にそう思う──つまり、ここにきてアキラのオーラ操作。一流以上のドミネイターにしか発現しない、ドミネイト召喚と同程度には超常的なその技術が成長している。進化している。それこそ自分と与するくらいに巧みになっている、と。そう認めることができた。
ますます覚醒者に相応しくなっていくアキラ。目覚ましい目覚めを得ている彼に、自分ができることは何か。それを考える。常人には何もできずとも、このエミルならば。九蓮華の忌み子にして寵児。天賦天稟、天凛の才を持つ己であれば。ここまで見事な一撃に対しても「掴む」ことができる。勝利を渡さないことができる──覚醒者に相応しいのは君だけではないと。そう証明するのだ。世界を背負う想いになど目もくれず、今この時は、ただそのためだけに戦おう。前を向こう。カードを引こう。
きっとそれが最も清々しく、気持ちのいいファイトであるから。
「クイックチェック、ドローだ!!」
切り裂くように。アキラから与えられた重みを振り払うようにエミルはデッキからドローした。その一瞬、複雑なうねりが生じたことで舞台外にまで両者のオーラが広がり、風となってファイトを見守っている全員に触れた。エターナルを失って以降のエミルの削がれたオーラでは、もう大講堂の全てを満たすようなことは叶わないが。しかしアキラと一緒なら。未だ質も量も最盛を保っているアキラのオーラとぶつかることで、合わさることで、エミルのオーラもまだ跳ねる。今となってはアキラと同程度の規模になってしまった彼の、けれどそれに喜びすら覚えているという事実が、もう寒々しさのなくなった闘志によく表れていた。
「ムラクモ先生、これは」
「ええ。……若葉が『やってくれた』。そう見ていいでしょう」
「……兄、さま」
エミルの掴んだ一枚がなんであれ。仮にそれがアキラの攻め手を止め、エミルの勝利を決定付けるものだったとしても。九蓮華エミルはもう以前までの九蓮華エミルではない。アキラとの再戦に臨む前の彼とは決定的に違う──彼もまた目覚めを得ている。何よりも得難かった気付きを得ているのだ。
アキラによって与えられたそれに、ようやく見えるようになった新しい景色に、もはやエミルが背くことはないだろう。そこから目を逸らすことなんてきっともうしないはず。であるならば、この勝負。別段どちらが勝とうとももはや大した意味はない。エミルというドミネイションズ・アカデミアの、延いては日本ドミネ界の破壊者である……否、破壊装置である異端を止める。それだけを目的に控えているムラクモを始めとした教師陣、保全官らはこの時点で任務を達成したも同然。勝ち負けに拘る必要はない──のだけれど。
「勝負後を狙って俺たちの手で取り押さえる、なんていう最低な最終手段を取らずに済んだ。自発的にエミルが変わったというだけでも十二分に最良の結果ではあるが。だがここはドミネイターらしく、戦っているあいつらを見習って最高最善を目指したいところだ──だから勝て、若葉。せっかくの大舞台、せっかくの再戦なんだ。どうせなら『最強の生徒』の肩書きを勝ってお前が手に入れてしまえ」
リベンジを果たせ、と。アキラの勝つ姿を見たいと願うムラクモ。その想いは隣にいる泉も、そしてこの場にはいないアンミツといったアキラと少しでも関りのある大人たちは全員が、真剣にその勝利を祈っている。だが、何もここに集っているのはアキラの応援者ばかりではなく。
「に、兄さまは……負けない。どんな気付きを得ようとも、目を……覚まされたのだとしても! それでもファイトに勝つのは兄さまだ!」
エミルが、これまでの自身の行いを省みる。これよりの振る舞いを変えんとする。それだけでも彼にとっては──誰よりもエミルの傍にいると自負するイオリにとっては、青天の霹靂。まったく信じられない事態ではあるが、けれど、だとしてもだ。そうだとしても、アキラによってエミルが変わってしまっても、勝利だけは。ドミネファイトの栄光だけは手放さない。これまで通り、これより先も、そして今も。勝つのはエミルだ。常勝無敗の伝説が、生涯続くであろう神話が、こんなところで崩れるわけが。壊されるわけがない。壊されてしまっていいはずが、ない。
なんと言ってもエミルは『絶対』だ。イオリにとっては彼こそが指標。その指標が誰かの手によって曲げられることなど、あってはならない。そう叫ぶイオリの本心は、だから負けてほしくないと。最強の兄が土を付けられるところなど見たくないという、ただの弟らしい身内贔屓でしかないのだろうが──その本心の吐露に、痛ましいまでも剥き出しの感情に、ムラクモは「安心しろ」と彼にしては優しげな声音で応えた。
「たとえ負けようがそこで終わるわけじゃない。エミルの才能は、強さは。お前にとっての『絶対』は崩れやしない──それに、ほら。よく聞いてみろ。もう九蓮華は決して孤立者なんかじゃあないようだぞ」
「え……こ、これは」
いつからかすっかりと静まり返っていた観客席。それが、喧騒を取り戻しつつある。よく聞こうと耳を澄ますその間にもだんだんと、どんどんと大きくなっていく……それは声援だった。アキラと、そしてエミルへの。見事なファイトを見せる二人の優れたドミネイターへの、勝敗の有無を越えた純粋な応援が講堂中から湧き上がっている。そうと気付いてイオリは戸惑いを隠せない。
「いったいどうして……?」
声も出せないほど、身動きすらできないほどに息苦しく重苦しい空気感。それが霧散したからには応援が再開される、そこはわかる。だがそれがアキラだけでなくエミルにまで送られる理由がわからなかった。ここにいるのは、全員がエミルの敵。イオリを除けば誰もがエミルの敗北を望む者しかいなかったはずではないのか──。
「気付かされたのは九蓮華だけではない、ということだ。……誰も彼も、俺やお前も含めて九蓮華エミルという個人を──たった一人のドミネイターを。あまりにも特別視し過ぎていた。若葉は孤独の原因が九蓮華にあると言ったが、そしてそれは間違いじゃないんだろうが……けれどやはり、今日に至るまでその孤独に気付いてやれなかった。手を差し伸べてやれなかった全員にも責任はあるだろう」
「……!」
例えば、もっと早くにエミルがアキラと出会えていたらどうだったろう。それこそ十年前。アキラがドミネイションズに初めて触れた頃──まだエミルが他者に対して希望を持てていた頃。その時分に彼らが邂逅していれば、エミルの見る未来は変わっていたのか。
イフの話だ、可能性だけならばなんとでも言える。ひょっとしたら二人揃って日本のドミネ界に落胆し、余計に手の付けられない暴れ方をしていたかもしれない。独りぼっちが二人ぼっちになっただけで、エミルの思想は更に先鋭化していたかもしれない……悪い方向に考えることは、いくらだってできる。できるはずなのに、だけど。
「兄さま……イオリは。イオリは……!」
イオリの脳裏にはどうしてか、笑って手を繋ぐ幼いエミルとアキラの。とても楽しそうな姿しか思い浮かばなかった。




