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210.生まれて初めてのこと

「今のは……!」


 それを聞いたのはアキラだけか。いや、その音は音であって音ではない。鼓動であってただ心臓が鳴っているだけではないのだ。それは異次元へ通じる合図。そこへ手が、闘志が伸ばされている証。つまりはドミネユニットの招来を予兆するものであり、まだ片鱗とはいえ。しかしエミルがエターナルへ意識を向けたこと──そうすることでアキラへ一種の脅迫を行なったのは、間違いない。だから彼としてはアキラだけがしかと認識してくれればそれでよかったのだろう。


 思惑通りに、観衆はいずれも気にしていない。耳に入ったはずのその音を、自分たちのざわめき。はたまたフィールドに座す墓碑天使の稼働音に紛れさせて鼓動を正しく聞けていない。それが重要な契機であり、エミルとアキラの言葉なきやり取りが交わされていることになど、まったく気付けない。見守る生徒らにわかるのは目に見える結果のみ。即ち、ライフのリードによって今の今までファイトを有利に進めていたアキラが、瞬く間に苦境へ追い立てられている様。それだけが誰の目にも明らかな事実だった。


 このまま若葉アキラは敗北するのではないか。合同トーナメントでもそうだったように、このファイトもエミルが本気を覗かせた途端にあっさりと勝負が決まってしまうのではないか──特にエミルの本性、本能というものをよく知る五・六年生たちはそうとしか思えず、悲鳴にも似た内心の声と共に表情を歪めている。そんな不安が伝播したのかどうか、決して明るいとは言えない声音によるざわめきは一層に大きくなって二階席の全体へと広がっていった。あたかもエミルの思い描く、自身の勝利とアキラの屈服。その光景が強制的に共有されているかの如くに皆の目にも映る。


 それはきっと、エミルの迸る闘志。その強烈ながらも寒々しい殺気に余波とはいえ晒され続けていることも──そしてその意味を理解できていないとはいえ彼の化身が登場する予感を受けたこともまた、無関係ではないはずだ。


「会場もいい雰囲気になってきたね。君を応援し見守る……というよりも。ただひたすらに勝負の行く末に怯えている。竦む思いが、絶望の兆しが私にはひしひしと伝わってくる。音となって、匂いとなって、色となって、やってくる。だからドミネファイトの間だけ私は無色透明の自分から解放されるのだ」


「解放だって……?」


「ああ。大いなる使命を持って生まれた私も、ファイトのひと時だけは一人のドミネイター。戦いのみを楽しむことができるからね」


「戦いを、楽しむ。確かに重要なことだな」


「だろう? なればこそ闘争本能は如何ともしがたい。ドミネイターは戦う者なのだからそれを抑えきれないのは自然だが……故に、だ。一級の闘志を、己が手で砕く時。腐臭漂う絶望の黒へと沈める時こそが、何よりの優越となる。存在証明となる。ファイトの本質とはなのだ、アキラ君」


「否定はしない。ファイトは文字通りに戦いだし、ドミネイションズがそのための道具であることは確かだ。俺はもうそこから目を背けない──だけど。お前が言っているのは本質の一側面でしかない。じゃないはずだろ? ファイトも、ドミネイションズも、ドミネイターも。戦うだけが、勝ち負けだけが全てじゃない」


「いいや全てさ。それだけなのだよ、私たちは。それ以外などなんの価値も持たない、何も世界を変えられない。勝敗だけが改革をもたらす絶対にして唯一、そして勝敗を決定付ける才能・・こそが! 人を制してでも上に立たんとする殺傷本能だけが! 私たちドミネイターを価値あるものとする不可欠の要素にして素養だ! そのことをまさしく今、この場が証明してくれているではないか!」


「……!」


 アキラにはエミルの言わんとしていることがわかる──わかってしまう。その悟りを悟ったエミルは、故に唇で弧を描く。


「君には才がある。この私と質を同じにする、神に選ばれし才が。だからこうして舞台に立っている。彼らに才はない。だからああして雁首を揃え、才ある者同士の戦いを呆けて見ていることしかできない。これはあからさまな、そして残酷なまでの縮図だよ。一握りとそれ以外! 絶対的な格差をこの場所はよく表している!」


 エミルの不吉で、強大に過ぎる気配。その胎動に怯える者たちを眺めてあげつらうように言った彼に、アキラはその言葉の『一部』に頷く。


「そうだな。俺はここに立っている。お前と戦う運命を背負って、ここにいる。何かに選ばれたような流れだと自分でも思うよ」


「そうだろうともアキラ君。それこそが君の持つ他者との差。決して混じり合うことのない、こちら側の住人である証拠だよ。有象無象と私たちは違うのだ」


「さあ、それはどうかなエミル。人には誰しも戦う舞台がある。俺たちの戦いを見守っている皆も、運命に背中を押されて迎える大一番がある……俺にとってのそれが今ってだけで。その相手がお前だからって、そこに格差なんてあるとは思えない。そしてもうひとつ訂正させてもらうなら」


 ──神じゃなくて、選んだのはお前だろ。


「…………」


「闘争本能なのか、それとも寂しくなったのかは知らないが。俺と戦うことを望んだのはお前自身。俺を持ち上げることで、それ以上に自分を持ち上げているのがお前だ。安心しろよ。使命になんて縛られたつもりにならなくたって──ファイト中以外だって。お前は充分にただのドミネイターだ。他のドミネイターと何も変わらない、どこにでもいる人間の一人でしかない」


 アキラのそれは、本音であった。装飾のない、嘘偽りのない、ただの本心。感じたことをそのまま口に出しているだけの、なんの含意もない言葉。優れた洞察力にまたしてもそう教えられ、エミルの笑顔は固まった。


 演技をしている時であれば。実力を隠し切っている時であれば、いくらでも侮られた経験がある。そしてそれをなんとも思わなかった──騙しているのはこちらなのだから当然だ。相手がすっかり騙されるのだって、自分の演技力を以てすれば当然でしかないと。そう考えていた。実力を見せる価値もない者たちだと、そこで本当に侮っていたのはエミルの方だった。


 しかし。

 否、それ故に。

 実力を見せたはずの相手から。

 本当の自分を知っているはずの相手から。


 お前は何も特別ではないと。


 どこにでもいる取るに足りない人間だと、そんな風に言われたのは……正真正銘、エミルの人生においてこれが初めてのことだった。


「ふ……ふふ」


「!」


「ふ、ふふふ……ふふふふふふふ!!」


 それだけは──よりにもよって若葉アキラからそのように「侮られる」ことは、エミル自身にとっても激しく意外なほどに、どうしても我慢のならないことであった。


「そうかいそうかい、アキラ君。イオリにも宣っていたように、あくまでこのファイトを。君と私の雌雄を決する重大な局面──どころか! 今後の日本ドミネ界、引いては世界中を左右するこの一戦を! なんていうことのない単なるファイトのひとつだと! そう貶めたくて仕方がないのであれば……!」


 いいだろう、とエミルは頭に手をやって掻き毟るようにする。白と桃色のグラデーションが美しい長く柔らかい髪をかき上げた彼は、柔和だった顔付きにも硬い変化を見せており。いつもの中性的で掴みどころのない様子から、まさしく一人の戦士の出で立ちとなった。


 こうまで『剥き出し』になることもまた、エミルにとっては生まれて初めての体験であった。



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