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199.生徒の未来を想うこと

「…………」


「始まってしまいますね」


 舞台で向かい合うエミルとアキラ。言葉を交わす両者には二人にしか見えないものがあるようだ──そんな風に思いながら黙して様子を眺めていたムラクモに、ごく小さな音量でかけられたその声。すべきことを終えていつの間にか戻ってきていた泉へ、ムラクモは口を開く。


「他の先生方への連絡、ありがとうございます。これでもしも(・・・)の場合には備えられた」


「若葉君が負けてしまった場合への、備え。教師総出で生徒を取り押さえるなど本来許されていいことではありませんがね……」


 それは確かにその通り。かの九蓮華家と真っ向から敵対してしまう点も含め、反論の余地もないとムラクモは認める。しかしそれでも、どんなに教師として許されざる行為であろうと、そんなのは今更のことでもある。アキラの勝利を信じはしても、けれど彼だけに全てを背負わせるつもりはなかった。彼の力が及ばなかった時を想定しておくのは当然だ──そしてその際に最もの矢面に立つのは協力してくれた教師たちではなく、学年主任の面子でもなく、他ならぬ自分であろうと。ムラクモは強く決意してもいる。


「若葉に託す決断をした時点で俺はあいつの担任失格です。だが、だからこそ。為すべきを間違えることはもうしない……四年前、九蓮華の本性に気付けなかった。気付いてやれなかった過ちを繰り返さない。そう決めました」


「……最初の担当者だったからと言ってあなたを殊更に責める者はいませんよ、ムラクモ先生。彼に本当の意味でを目を向けられなかった責は私たち全員にある。咎、と言い換えてもいい。誰か一人でも彼の声なき主張を耳にすることができていれば九蓮華君も今のようにはなっていなかったかもしれない……そう思えばこそ、です」


 妹であるロコルや、本人の口から語られた内容を総括するに、エミルの根幹にあるのは自尊心や顕示欲の肥大化というよりも「周囲への失望」だ。最初の入れ物である九蓮華という家に見切りをつけた彼は、おそらく少なからずの期待を寄せてドミネイションズ・アカデミアを訪れた。兄弟姉妹を力尽くで制してまで手に入れたその権利を以てエミルはただの学園生徒の一人に紛れ込んだ。


 彼が手間をかけてまでそんな演技を行なったのは、それまでも父や母という現権力者へそうしていたようにただの延長線上のことかもしれないし、先を見据えて今しばらく雌伏の時を過ごす必要があると持ち前の演算力で計算高く企んだが故かもしれない──エミルのやってきたことを思えばそうと考えるのが自然だろう。けれども。


 それ以上に、ひょっとすると彼は……『待っていた』のではないか。自分の本能に、本性に、本質に、気付いてくれる誰かを。家族にすら隠せる、誰であっても謀ることのできる己がしかし、どうしても騙せない人物。まるで通じ合うように全てが詳らかとなってしまう何某の存在を、待ち望んでいたのではないか。それこそが彼が入念に被った化けの皮の真意だったのではないかと、今になって泉は思う。


「彼が望んでいたのはまさしく若葉君だったのでしょう。それを前提にするなら、これはきっと正しい行いだ。衝突案の提言者たちはある意味で最も正確に九蓮華君の意を汲んだことになる……望みを叶えてやったことになる。何故なら彼にとって真に理解者足り得るのは、対等の目線で立てるのは、若葉君にしかできないことなのですから」


「若き才者、兆しを持つ者同士。確かに若葉でなければならなかった。仮に俺やあなたが一年生当時の九蓮華の偽装を見破れていたとして、しかしそれが奴に響いたかは疑問だ。本当にあいつの心を動かすことができたか否か──」


 いや、悩むまでもなく不可能だったろう。そうムラクモは結論付ける。エミルに必要なのは彼の側に立てる人間だ。背を伸ばしたり膝を曲げたりして無理くり同じ目線になったところでそれは彼の望む理解ではない。教師という立場にいるムラクモたちでは元より、彼の欲するモノには届かないのだ。


「若葉君でなければならなかった。彼が私とのファイトで兆しを見せた時点で、あるいはこの学園への入学が決まった時点で、九蓮華君との対決は必至だった。それでも私は──いえ、それ故に私は、今でも彼らをこのような形で対面させたことを悔やみます」


 掌を返すように衝突案に乗った、というより自ら率先して先導させたムラクモのそれは(具体的な名こそ挙げないが)考えの足りない幾人の他教師に引っ掻き回される懸念をなくすための拙速であり、されども自身の手で一から十までセッティングした彼の手腕が必ずしも拙いと評せるものではない……とは、泉も認めるところではあるが。


 泉とてムラクモの協力者の一人、どころか共同者と言ってもいいくらいの働きをしているが、しかしそれとこれとは別。現状の最善策としてムラクモの提案に頷きはしても、その根底にある衝突案への賛否について泉は未だに考えを変えていなかった。彼は夏休み前から一貫して反対派の立場を取り続けている。それを承知しているだけに、ムラクモは神妙に言った。


「やはり納得がいきませんか。生徒に生徒の行く末を託す行為には」


「いいえ。言ったように、今の九蓮華君には若葉君しかいない。彼らがファイトを通して私たちには見えない、望むことのできない何かを確かめ合うというのならそれもまた良し。そこにどんな悲喜あれどそれ自体は真っ当のことだと思います」


「……ならば、あなたは何を悔やんでいるんですか、泉先生」


 ムラクモはアキラへエミルを、そしてエミルへアキラを任せてしまう。その後の未来の全てを左右させてしまう舞台へ両者を立たせていることを、一教師として不甲斐なく思っているし恥だと考えている──この状況を作り出した最大の立役者である以上は持って当然の責任感と罪悪感をどちらも抱えている。なので泉も自分と同じように重く罪の意識を抱いているのだろうと予想していたムラクモだったが……どうも彼の言い分はそうではないようだった。


 ムラクモからの疑問に、泉は答える。


「若葉君と九蓮華君の衝突が必至であったのなら。私たちが何をするまでもなく、職員室で侃々諤々の議論を繰り返す意義もなく、おのずとこうなっていた。互いの引力に引かれ合うように、惹かれ合うようにして彼らは互いをぶつけ合っていただろうと……そう思うのです。そして真実はそれが最善だった。大人の思惑が絡むことなく自然と彼らが対決できたのなら、それ以上はなかったとね」


「……なるほど」


 これもまた反論の見つからない言葉だった。何かが少し変わっていれば。どこかのタイミングが僅かに前後していただけで、エミルはこうも学園全体の敵のような扱いは受けておらず。必然、それと戦うアキラに特段の何かが背負わされることもなく。


 二人はただのドミネイターとして、純粋に勝敗だけを競うファイトに興じられていたはず。そしてその結果どちらが勝とうと負けようと、準覚醒者である彼らは互いに良い影響を深く与えていただろう──などと。アキラとエミルが友人となれていた世界を思い描いたところで虚しいだけではあるが。しかしムラクモとしても泉の言いたいこと、見たかったものは理解できる。心から賛同できる。


 だから彼は、こう言った。


「まだ遅くない」


「ムラクモ先生……?」


「九蓮華は道を違え、独りでその先へ、誰も追えないところへ行こうとしている──それさえ阻止できたのなら。一旦こちらへ引き戻すことができたのなら、遅くはないはずだ。あいつだって未来ある生徒の一人だ、今からやり直したっていい……四年前にできなかったその手伝いを俺はするつもりです。今度こそ教師らしいことを、あいつにしてやりたい。だから」


 ──だからどうか、勝ってくれ。


 ただ勝利するだけでなくエミルを根幹から崩す。その難題を押し付けられている、なのにちっとも重荷というものを感じさせないままにカードを繰り出した舞台上のアキラへ、ムラクモは強くそう祈った。



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