198.絶好の機会、リベンジの刻!
彼が舞台へ上がって、そして講堂は静まった。あれだけ若葉アキラの勝利に盛り上がっていた衆目が、ただ一人。たった一人の少年の姿を目にしただけで口を閉ざし、身動きを止め、まるで少しでも物音を立てれば命を落としてしまうかのような緊張感を持って舞台を見つめるだけとなった──九蓮華エミル。
その名の脅威を身に染みて理解している五・六年生だけでなく、それ以下の学年の生徒たちも漏れなく固まったのは、別に知識なんてなくとも。彼がいったいどういった上級生で、どういったドミネイターで、どういった人間であるか、何ひとつ承知しておらずとも。ただそこに立っているだけの彼が、もはや観衆になど一切の関心を払わず舞台上のもう一人にのみ熱く視線を注いでいるだけの彼が、こんなにも……こんなにも恐ろしい。それ以外の感想が浮かばない。圧倒される以外のことができない。
となれば固唾を飲んで見守るしかない──全校生徒、全教師、全保全官が集合しているこの講堂で唯一、こちらもただ一人だけエミルと目線を同じくするその生徒、若葉アキラへと。無窮の才持つ怪物へ挑む無謀なる挑戦者へと、声なきエールを送ることしか許されない。
「良い場所だ」
と、エミルは言った。そう大した声量でもなければマイクを向けられているわけでもない、目の前のアキラへと発せられた何気ないセリフは、しかし不思議と静けさに支配された講堂の隅まで行き渡るようによく響いた。
「この大講堂が、じゃあないよ。私と君が戦うための舞台。それが良いと言ったんだ。もっと言えばこの機会を設けてくれたムラクモ先生を初めとする諸先生方、生活保全官の皆さま……学園長も、かな。そして何よりも、勇気ある決断をしてくれた君に。私は惜しみなく感謝したい。戦う前に言わせてもらおう──ありがとう、若葉君。やはり君は私の見込んだ通りのドミネイターだ」
「…………」
告げられた言葉を噛み締めるように、咀嚼するようにアキラは少しの間を置いて。それからぽつりと「意外だな」と口にした。
「意外?」
「前回のファイトでは誰にも見られない場所を指定してきた。コウヤたちと戦ったのも誰もいない深夜のアカデミアだ。てっきりエミルはシャイなんだとばかり思っていたから、こうして学園を上げての勝負にすることを嫌うだろうと予想していたんだけど……どうもそうでもないみたいだな」
「ふふ。まあ、こちらも色々と予想外であったのは確かだとも」
こんな舞台が用意されたことも、協力者が一人残らず捕らえられてしまったことも、アキラのリベンジがここまで早いことも、そしてその「仕上がり」がこのレベルにまで達していることも。総じてあまりに迅速である──あれだけ鈍かった学園の動きが、まだ緩やかな曲線を描くはずだったアキラの成長が、エミルの予測を。未来予知にも等しい絶対性を持つ彼の『目』から読み取る演算結果を、大きく上回った。
意外と言うべきは私の方だろう、とエミルは心から楽しそうに笑って。
「とまれ喜ばしい。私の過激な手段が功を奏したのだ──君へ接触し、君の枷である友人らを排除した。ここまでやっても学園の後手後手の対応は変わらないはずだと踏んでいたのだが、見事に裏切られたよ。なまじ私が『優秀な』生徒なだけに手をこまねいていた彼ら教師も、一度明確に敵と定めればここまで果断になるのかと、良い意味で驚いている。こんなことなら元より人目を憚らず大胆に動いておくべきだったかもしれないね。そうしていればもっと早くに学園と切った張ったが楽しめただろう……ああ、だけどそうすると。今こうして君と向かい合うこの時間はなくなってしまうのか。それは駄目だね、我慢ならない。他の何に代えても君との出会いだけは、ファイトだけは失えない──」
「なるほどな。感謝っていうのは、つまりそういう意味か」
「そうとも。君を得る。私と同質の才能を持つ者を。生まれたその日から十七年以上も探し続けてようやく見つけた、この国を背負って立つに相応しい九蓮華以外の者を。私は今日ここで手に入れるのだ。──今の君はあの日と違って、私の全力で屈服させるに不足のない相手だ。紅上君たちを退かした甲斐があった。気持ちよかったろう? 君の道を狭める邪魔がいなくなったのは」
「…………」
「だけどそれだけでは『ここまで』にはならない。やはり君の著しい成長、この闘志の昂り方へ寄与したのは先生方なんだろうね。素晴らしい手腕だ。流石DA教員、若人を育てること。才能をこじ開けることに関しては天下一品のようだ──惜しむらくは私に対してついぞその手管を発揮してくれなかった点だが、そこは大目に見ようじゃないか。君を発掘してこうも仕立ててくれた、というだけで、私の落胆にも大いに釣りがくる」
「結局は全部お前の思う通り、か」
「無論だよ。天意に示されるがまま、君に今度こそ刻み込んであげよう。そして私たち以外の有象無象のドミネイターに、手始めにこの講堂中の人間に! 『啓蒙』をしよう。これが、この戦いこそが、これよりの新世界であると。耐えられる者だけが、資格持つ者だけが生き残り、そうして出来上がる真にして純のドミネ界を私が率いる。その輝かしい未来の第一歩に君とのファイトをあてがおう。つまりは共同作業。今は敵同士の、しかしてすぐに手を取り合う私たちの、華々しい一歩でもあるわけだ」
「……人さまの夢に口を出すような真似はしたくないけど」
「む?」
戦意の衝突、それに反応して互いの前にファイト盤が出現。そこにデッキを設置しながら、アキラは続けた。
「だけどそっちが勝手に巻き込もうっていうんだから言わせてもらうぜ。俺も、そして俺以外のドミネイターも、ただの一人だって。エミル、お前の見ている悪夢に付き合ってやる義務はないってな」
「ほう、言うに事欠いて悪夢とは。日本ドミネ界に今一度飛躍と改革を促し、世界を制する。私以外の者にとっても旨味のある野望だと思うがね?」
「そうかもしれない。でも、お前の作る世界はあまりにも狭量過ぎる。お前の認めるドミネイターしか存在を許されない? だったらその世界にいるドミネイターは、俺の目指すドミネイターとは違う」
「君が目指すドミネイター。とは、いったいどんな存在なのかな」
「知りたければ教えてやる、このファイトを通して──ドミネイションズが持つ可能性ってものを!」
「面白い。是非ともご教授いただこう──私からも、相応のお返しをするよ」
互いに手札が五枚になるようデッキからカードをドロー、それからライフコアを七つ自身の周囲に展開。ユニットの攻撃から身を守ってくれるこの宝玉が全て砕けた時、そのプレイヤーの敗北が決まる。もちろん、アキラもエミルも。そうなるのは自分ではないという強い自信を持ってそれを宣言した。
「「ドミネファイト!!」」
両者の掛け声に合わせてファイトが開始され、先行を示すライフコアの点滅がランダムで起こる。今回コアが瞬いたのはアキラの方だった。
「先行はドローなし。スタートフェイズにコストコアのチャージだけを行なってアクティブフェイズへ移行──1コストで召喚、《ベイルウルフ》!」
《ベイルウルフ》
コスト1 パワー1000
わおん、と可愛らしく鳴き声を上げて登場したのは灰色の毛並みをした小さな狼だ。緑陣営の最軽量無能力ユニットであるその小狼の瞳は、主人の敵であるエミルを見据えてメラメラと闘志を燃え上がらせていた。




