195ただのドミネイターとして
「ナイスファイトだった。エミルのところに戻るといい」
涙には触れることなく、労いの口調でアキラは言った。優しさと気遣いを感じさせるセリフはイオリをかえって怒らせたようで、彼は泣きはらした顔を上げてキッとアキラを睨みつけた。その表情。とても双子であるロコルと同じ容姿をしているとは思えない、似ても似つかない余裕のなさ。そこにイオリらしさというものがあるのだろう──同じ九蓮華でも彼はロコルとは違うし、エミルとだって全然似ていない。それを実感したアキラは、イオリの鋭利なまでの視線に苦笑を返した。
「もうファイトは終わったんだからそんなに殺気立たなくたっていいだろ? おためごかしなんかじゃない、本当にいい勝負だったと俺は思っているよ」
「よく、そんなことが言えますね……あの内容で勝者からそんな風に言われて、敗者が喜ぶと思いますか? イオリがそこまでの能天気に見えますか!」
「そうは言っても本心は本心だからなぁ……コントロール奪取主体の戦法はこれまでに戦ったことがなかったし、そういう意味でも俺は楽しめたよ。ちょっと前までなら楽しむだけじゃなくもっと苦戦していたとも思う。それこそエミルとファイトする前の俺だったらあっさりと負けていたんじゃないかと思えるくらいにはね」
だけどエミルに完膚なきまでに叩きのめされたこと。そしてその後のムラクモとのマンツーマンでの何十戦という連続ファイトを経て、今のアキラは以前のアキラと決定的に異なっている──段階が進んでいる。あるいは、ドミネイターとしての別次元に立っている。そう評しても過言ではないほどに強さが、覚悟が、そして自信が迸っている。一見して凪いだままの雰囲気から、しかし奥に潜む闘志が溢れ出してそれを知らせている。
「エミルに負けて、エミルに勝つためにここにいる。あいつの野望を止めること、まだ眠り続けている親友たちを救うこと。責任の重さは気が遠くなるほどだけど、今だけはそれも大きな力になってくれそうだ──だからイオリ。言っちゃなんだが、君には初めからちっとも負ける気なんてしなかったんだ」
「…………」
許せるはずのない不遜な物言い。いつもならノータイムで噛み付くはずのそれに、しかしもう怒る気にはなれなかった……怒る気力も湧かなかった。確かに勝てる道理などなかったと。ここまで圧勝されてしまえばイオリもそれを認めるしかなかった。目の前の敵への警戒をおろそかにする行為はドミネイターにとって下の下もいいところの無用心。だが、アキラはイオリに対してそうすることが許されるくらいに。あくまでエミルと戦う前の肩慣らし程度に認識する無用心が無用心足り得ないくらいに、強いのだ。
圧倒的な隔絶。挑むことを、負けん気を抱くことを馬鹿らしいと投げ打ってしまいくなるほどの。エミルを相手にしか感じたことのない彼我の実力差を、イオリはアキラを相手にも感じてしまった──。
それは認めよう、だけどもだ。
「──ええ、強いですよ。あなたは強い。イオリの野望程度、準備運動のつもりでなんなく踏み潰してしまえるあなたを都合のいい餌だと思い込んでしまったのが。盛大に見誤ってしまったのがそもそもの落ち度。その時点でもうどうしようもなかったのだと認めましょう……でもねぇ!」
立ち上がる。着物の袖口で涙も鼻水も乱暴に拭って、精一杯にみっともなさを取り繕ってイオリは吠えた。
「だからって、イオリには遠きドミネイター同士だとしたって。あなたがエミル兄さまに勝てるだなんて、これっぽちもイオリには思えませんよ! これは兄への贔屓目でもなければあなたへの意地悪でもありません、本心です。頭ではなく心がそう教えてくれているんです──若葉アキラ。あなたがどれだけ意気込もうと、どれだけ強かろうと。それでも兄さまには敵わないとね」
そうだ、敵うはずがないのだ。若葉アキラは自分より強い。ワンブレイクしか許さずに勝利してみせたのだからそれは確かだが、しかし。しかし自分にワンブレイクを許すようでは九蓮華エミルには到底及ばない。彼ならワンブレイクすらさせない完封試合を、真の圧勝を収められる。それと同じ芸当ができなくてどうして対等などと称せようか。
ドミネユニットを操る、覚醒の兆し持つ者。その肩書きこそ共通していれど両者が並び立っているわけではない。イオリはアキラへ指を突き付けてそう指摘する。
「魔王を倒す英雄になったつもりでもいるのでしょうが、自殺行為ですよ。この場はあなたの処刑場となる。兄さまをああも昂らせてしまったからには今度こそあなたの命は保証されません。兄さまは本気で、なんの加減もなく! 人知を越えた力の全てをあなたへぶつけるでしょう──そしてそれで終わりです。あなたが主役の物語はそこで幕を閉じる」
本当に死んでしまおうが、命だけは取り留めてエミルの傀儡となろうが。どちらにせよ若葉アキラの快進撃は終了する。アキラがアキラらしく生きる人生にフィナーレが打たれることは間違いないのだ。かつてエミルが他の兄弟を蹂躙する様を見て目が覚めた、頭を冷ませられたイオリのように。この世はエミルこそが主役の舞台であると、そう認識させられる。否が応でも従わざるを得なくなる。
故にまだしもナンバーツーの座へ野心を抱く自分は一等に賢く、一等に健全であるとイオリは思う。エミル以外の兄や姉が、そして双子の妹であるロコルがどうして同じようにしないのか理解に苦しむ程度にはこれが正解だと確信している──これ以外に生きる道はないと確信しているのが彼だった。
「あなたには敗北の未来しかない。だってまだあなたは、全開になった兄さまを知らないんですから。勝ち目なんてあるはずもない」
「──忠告をありがとう、イオリ。肝に銘じさせてもらうよ。だけど大丈夫だ」
「大、丈夫……?」
「ああ。君の言う通り俺はまだ全開のあいつを知らない。前回のファイトじゃそのほんの一部しか味わっていないからな……でも、その一部こそがエミルの本質。さわりの部分だったんじゃないかとも思うんだよな」
「兄さまの本質……を、あなた如きが。ただ一度のファイトで見抜いたとでも?」
「見抜いたなんて大袈裟な言い方はしないさ。だけどそれに近いのかもしれない。ドミネユニットはドミネイターの意志の現出したもの。互いにそれをぶつけ合ったのだからそこに感じるものだってあった──」
アキラはイオリほどエミルとの付き合いも長くない、どころか日数にすれば彼という存在を認識してからまだ一月足らずしか経っていない。家族であり兄弟であり、そして彼の信奉者として傅いているイオリとどちらがよりエミルを知っているかなど比べるべくもないことだ。
が、それとは反対に。あのたった一度のファイトでアキラが知り得たものは、イオリにも知れていないもの。見えていないものだったのではないか──いくら時間ばかりをかけても決して覗けない、エミルの奥底にある何かへ、世界で自分だけが近づいている。その自覚がアキラにはあった。
「魔王を倒す英雄? とんでもない、魔王も英雄もここにはいない。俺もあいつもただのドミネイターだよ。これからするのは決戦じゃない、最後の戦いでもない。この先何度となくやっていくファイトの、ただの一戦さ」
「……そんな心持ちで兄さまに挑むなんて。それこそただの自殺にしかなりませんよ」
アキラの揺るがぬ想い。その力強さと輝きに押されたか、言い返すイオリの語調にはもう、先ほどまでの勢いがなくなっていた。




