187.決戦の舞台、大講堂!
ムラクモに続いて講堂入りしたエミルは、そこに広がる光景を見渡して一言こう言った。
「素晴らしい」
二階席。いざとなればそこを「観客席」とできるこの大講堂は、全校集会だけでなくドミネイションズ・アカデミアをあげての特別なファイト。それを行なうための式典や儀礼の舞台の役目も果たす──そして現在の講堂はそちらの側面こそが全面に押し出されていた。
学園中の人間が集っているかと思うほどすし詰めになっている二階。それと比較して一階は実に閑散としたものだ。特殊構造によってファイトフィールドがせり上がっているそこでは、たった一人だけ。講堂の中央でこちらを見据えて立つただ一人のみが存在していた。
「若葉アキラ」
ぽつりと名を呼んだ、その声が伝わったわけでもあるまいに。しかし二階席のざわめきに煩い中でもエミルには確かに彼の返事が聞こえた──「九蓮華エミル」と、己が名を呼び返す少年の声がしかと耳に届いた。
「若葉もお待ちかねといった感じだな。行ってやれ九蓮華、そして倒されてこい」
「……はは、なんという送り出しの言葉でしょう。つまりはこの状況こそがあなたの仕込みであり望みであると、そう思ってよろしいのですね?」
見れば二階席には、もう登校をしなくなったはずの六年生や退学申請を出しているはずの五年生の姿がある。いったいどんな手を使ってすっかり心が折れている──否、砕かれている彼ら彼女らをこの場に呼び寄せたのかは知らないが。しかし彼らが何を見たがっているのか、何を見せてもらえると約束されてのこのことやってきたのか。それだけは想像するまでもなく窺い知れた。
「そうとも、若葉アキラに敗北する九蓮華エミル。一年生に下される五年生。兆し持つ者に敗れる兆し持つ者──勧善懲悪。お前という絶対が負けることで、絶対などないのだと。そんなまやかしに縛られる必要などないとあいつらに気付かせる。それが俺の、この学園の全職員の望みだよ」
退学申請の受理は最終決定権を持つ学園長のところでひとまず停止している。夏休み期間は書類上の手続き一切をしないと決めたこともあって、未だに五年生は(一応という文言こそつくものの)DAに在籍していることになっている。そして六年生も、彼らが取りやめたのはあくまでプロへの志望だけ。籍自体は問題なく残っているため、学年主任だけでなく全教師の力を終結させれば集合させるのはそう難しいことではなかった──無論、間違っても簡単などとは言えなかったが。
エミルと同じ『兆し持つ者』であるアキラという存在がなければ、そして彼が打倒エミルを掲げていなければ、とてもではないがこの光景は実現させられなかっただろう。
「なるほど、ご苦労なことですね。確かに希望はある……全ての元凶であるこの私が無様に破れる様を目の当たりとすれば、彼らの心に再び火は灯り。ドミネイターとして息を吹き返すことでしょう──しかしこの世の遍くは表裏一体、光があればそれと同量の闇もある。希望があれば、絶望がある。こうは考えなかったのですか? ここで皆の希望である若葉君が破れてしまえば、今度こそ全員が真なる絶望へ叩き落とされる、と。中途半端に期待を持たせられてそれを奪われる。なんとも惨いことです……傷の上塗り、塩塗り、毒を塗り。あなたがしていることはそういうことなのですよ」
何せ私が負けることなどあり得ないのですからね。
そう言い切ったエミルの瞳は、仄暗く。それでいて幽玄の鬼火をその奥に揺らめかせている──狂気と執念、そして理想への飽くなき欲求。それらが煮詰まり凝り固まり形成された宝石のような彼の双眸は、見る者全てにそこに宿る力を知らしめる。それと真正面から相対して、されどムラクモはその狂気を受け流してみせた。
「問答は無用と言った。言葉の通じる生徒であれば一晩語り明かすこともやぶさかじゃあないが、生憎とお前はそうじゃないからな。お前の中にはお前だけの『法』が定まっている。それこそ絶対の基準が、線引きがな。それをこちらのルールで覆すことは不可能だ……だからお前のルールの則ってやる。お前の土俵で、お前の世界で、若葉アキラはお前に勝つ」
「──ふふ。盛り上げ上手なことです。沸き立たせてくれるじゃあありませんか、ムラクモ先生……!」
そこまで言うのなら、望むのなら、希うのなら是非もなし。自分もまた自分の流儀で以て淡い希望に引導を渡すのみである──と、進みかけたエミルの腕を引く手があった。
「待ってください、兄さま」
「なんだいイオリ。見ての通り、今からファイトを始めるところなんだ。君に構ってやれはしないよ」
「イオリにやらせてください」
「……なんだって?」
突然の申し出に振り返ってみれば、イオリの眼差しは真剣そのものだった。冗談で口にしているのではなく本気で自分の代わりに戦いたいと言っている──ふむ、とエミルは進ませようとしていた足を引き戻し、しっかりと弟のことを見た。
「どういうつもりだい? 話は聞いていたろう、ならばこの舞台は私のために用意されたものだと理解もできたはず。あそこに立つ若葉君も私を待っているのだよ。なのに、彼ともこの学園ともなんの関係もない、なんの因縁もないイオリが舞台に上がると?」
「そうです兄さま。兄さまの敗北などという起こり得ない出来事を夢想するどうしようもない馬鹿者たちに、わぞわざ兄さまが応えてやる義理などありません。無関係のイオリで充分です。無因縁だから、むしろいい。兄さまの忠実なるしもべであるこのイオリがあそこの若葉何某をファイトで屠ってみせましょう──それだけでこの場の全員が夢から覚めるはず」
「ほう。若葉君の殺気はイオリも感じているね? その上で君は、『アレ』に、絶対に勝てると?」
「勝ちます。イオリは絶対に勝ってみせます! 兄さまのためにも!}
「そうかい」
軽く答えながら、一度舞台の方へ視線をやってから再びイオリを見たエミルは、よくわかったとばかりに頷いて。
「イオリの気持ちは伝わったよ。確かに、今の若葉君に勝てるようなら私にとって君の価値は跳ね上がる。その時点で課題を課すまでもなく私の永遠の右腕に任命してもいいくらいだ──だけど功を欲して負けるようなら全てが台無し。そうなったら、怖いよ。そのリスクは承知で言っているんだろうね?」
「は、はい。イオリは負けません。必ず兄さまの期待に添えてみせます」
全てが台無し。その言葉に、エミルの見透かすような観察の瞳に少しばかり怯えながらも、すぐにその弱気を打ち消してイオリは真っ直ぐに答えてみせた。意気込みは充分以上。それがはっきりしたことで「いいだろう」とエミルは一歩下がり、代わりにイオリの背中を押して舞台の方へ進ませた。
「やってみるといい、私の可愛い弟よ。くれぐれも前座にならぬよう全力を尽くすことだ。君は賢くて優秀だが、私ほど強くもなければロコルほど強かでもない。ほんの僅かにでも気が緩めば一息に持っていかれる、それを重々に理解してフィールドに立ちなさい」
「わかりました兄さま──どうかイオリを見守っていてください」
「ああ、私はしっかりと見ているよ」
にこりと精一杯に愛らしく見える笑みをエミルへ向けてから、イオリは講堂の中心地となっているそのフィールドへ上がっていった。エミルではなく誰とも知れぬ、小学生にしか見えない子供の登場に、観客席は余計に騒がしくなった。そんな騒々しい空間においても、しかしアキラだけは物静かだった。
「…………」
何も言わず、彼は己がデッキを構える。その様子にイオリはすっと、エミルそっくりの所作で目を細めた。




