185.極上の気配、武者震うエミル!
「……なるほど」
すぐにわかった。近づくだけで、中へ入らずとも。そこに何が待ち構えているのかエミルには充分察せられた──ムンムンとかぐわしく匂い立つ闘気。ドーム型の施設の外にまでそれを知らしめるほど強大なオーラを放つ何者かが、自分を待っている。猛々しい戦意を持つドミネイターの存在がひしひしと伝わってくる……つまりはこれのためか、とエミルはそちらにも察しが付いた。
カメオの足止めと、ムラクモによるVIP扱いさながらの案内。それらは九蓮華特有の気配探知能力を有する己に、先んじてこの何某の存在が気付かれないために。万が一にも何かしらの手を打てないようにと、シームレスに対面にまで移行させんとして画策された「作戦」なのだろう。
そんなことをせずとも自分は逃げないし、小癪な策だって用いない。そうしなければならない凡夫とは違うのだからあまり舐めないでほしいものだが、しかし言ったように万が一だ。エミルとてムラクモが念には念を入れて、用心を重ねただけのことだというのは理解が及んでいる。本気で自分が逃げ出すとも、そうでなくとも他の一手を打ってくるとも思ってはいない。ただそれだけ、どうしてもこの何者かと対峙させ対決させたい決意の表れなのだと──それもまた重々に伝わってくる。
「随分な気の入れようだ。私を楽しませるためにやっているのだとしたら手放しで褒めてもいいくらいだが……ふふ、そうではないのだろうね」
足を止め、独り言ちる。誰に聞かせるつもりのセリフでもなかったが、彼以外の全員がしかとその発言を拾っていた。ドームからの闘気に呼応するように、またぞろ不穏なオーラを覗かせたエミルに場の空気が凍り付く中で、ただ一人彼の言葉に反応を返したのはやはりムラクモだった。
「どうしたエミル。まさか引き返す、などとは言わないだろうな? そんなおめおめと逃げ出すような真似を……」
「ふ、ふざけるな! こんなちゃちなことで兄さまをハメたつもりか!? DAの教師ともあろう者が情けない、イオリは心からガッカリした──兄さまは何が敵だろうと負けないし、どんな策にだって踊らされもしない。踊っているのはお前たちの方だ、ピエロ共め!」
信奉する兄への立て続けの無礼続き、加えての極めて挑発的な文言に対し激昂する弟。その小さな背丈ながらに活火山の如き激しさを見せるイオリへ、しかしムラクモはどこまでも平坦ないつも通りの表情で言う。
「そうだな九蓮華弟──俺たちは九蓮華エミルに踊らされている『被害者』だ」
そう、たくさんの被害を生み出しているエミルなのだから、知るべきだろう。やられるばかりだった被害者も時には加害者より遥かに恐ろしい存在になるということを、知識ではなく実感として理解しておくべきだ──とはいえ。今回エミルへ鉄槌を下すべく待機しているのは被害者でもなければ加害者でもなく、エミルを自身と対等の者として見据えているおそらく学園ただ一人の生徒ではあるが。
イオリに返事をしながらも視線はエミルに向けるムラクモ。それを涼やかな目付きで見つめ返してから、エミルは微笑を携えたままで隣の弟を窘めた。
「もう少し落ち着くといいよ、イオリ。私のために怒ってくれるのは嬉しいがそんな必要はないんだ。被害者様の涙ぐましい努力を憐れみこそすれ、叱ることはない。それではあまりに弱者が可哀想だ。そうだろう?」
「兄さま……わかりました。兄さまがそう言われるのであればイオリも黙ります。ですがどうか覚えていてほしいのです。愛する兄さまを侮辱されては、弟としてどうしても憤慨せざるを得ない気持ちもあるということを」
「ははは──イオリは本当によくできた弟だね。というわけですから、ムラクモ先生。この子が憤死してしまう前に案内を終えてもらいたいのですが……この心地良いオーラをただ私一人へ向けてきているであろう『誰か』の下へ、ね」
あえて明言しないエミルではあるが、講堂内で誰が待っているのかは既に見当もついていることだろう。あるいはエミルともなれば闘気すら識別が可能で、それによって人の判別まで行えるのかもしれないが──いずれにしろここまでくれば、そして彼からの言質が引き出せたのだからムラクモとしてはなんだろうと構わなかった。エミルが逃げず、そして戦うつもりでいる。それだけを確定させられたならもはや何を隠し立てする意味もない。
「いいだろう、舞台まで連れ添ってやる。だが壇上には一人で上がれよ、九蓮華。そこまでは教師であっても面倒見切れないんでな」
「面倒を見たい生徒が別にいるから、でしょう? 構いませんよ、お好きなようになさってください。私も好きにやらせてもらいますから」
「……カメオ、お前たちはここまででいい。泉先生も、手筈通りにお願いします」
ムラクモの言葉にカメオは頷き、後輩たちと共にエミルの包囲を解く。そして泉は何か用意でもあるのか一人で先へ講堂へと入っていった──流れはよくシミュレーションされていたようだと苦笑するエミルはその後、すぐに変化を肌で感じ取った。
泉が知らせたのだろう、九蓮華エミルの来訪を。それによって講堂から漏れ出ていた闘気がより鋭敏に、より錬磨されたものへと変わった。まるで学園長を彷彿とさせるような、あれには年季で劣るもののしかし鋭さでは負けていない、突き刺さるようなオーラ。優れたドミネイターにしか出せないそれをふんだんに浴びたことで、いよいよエミルは笑みを深く深く。
深々と黒々とさせて。
「感謝しますよムラクモ先生」
「……、」
「とりわけ彼に近く、そして私に対する危機感を僅かにでも他の主任方より正しく持っていたムラクモ先生だ。彼を仕上げてくれたのはあなたなのでしょう? 私も彼の邪魔を取り払ってあげはしましたが、それだけで『ここまで』にはなりようもないはずですから」
あるいはロコルが自重せずに手を貸した結果であるとも考えられはするが、それにしてはオーラから感じられる質が洗練されきっていない。自身の『強さ』を完璧に隠せるあの妹のこと、演技力に定評のあるエミルをしても一級品と認められるだけの彼女が一から十まで彼を導いたのならばこのような気配にはならない──これはただ強く、荒々しく。その強固なまでの意志をまったく隠さない、ひたすらに戦う者としての気概だけを高めた闘志である。まったくそれが空っぽである上桃原カメオなどとは真逆にして正反対の、実にエミル好みの特上の殺気。
そんなものを向けられては、向けられるようになってくれたのなら。彼の成長に関与した全てに感謝するしかなかった。
「余裕だな、九蓮華。確かにあいつを仕立てたのは俺だ……いや、仕立てさせられたと言った方が正しいか。そんな俺が言うのもなんだが、お前はとんだ虎の尾を踏んでいるぞ。恐れ知らずの性分を精々後悔しなければいいがな」
「後悔? それはナンセンスですよ先生。虎でも獅子でもまだ足りない。眠れる竜でも物足りない──彼には彼として、無二の怪物として。いつか私にも届き得る牙を磨き続けてもらわなければならないんですから」
今日がその始まりの日。物言いがついて決着のつかなかった前回はノーカウントとし、ようやく白と黒を決せられる今日こそが。長く自分に仕えることになる彼の人生の開幕なのだ。そう確信するエミルは、だから礼を惜しまない。
「ここまでありがとうございました。後はこの私が最後まで導きますので、どうぞ心配なさらぬよう。きっと彼を世界で二番目のドミネイターにしてみせますよ」
「……何を言っても、だな。ついてこい」
問答をどれだけ重ねても相手がエミルでは意味がない。改めてそう悟ったムラクモは先行して講堂を目指し、弟と手を繋いだままのエミルは軽やかな足取りでそれに続いていった。




